生物兵器輸送作戦
1942年6月、ミッドウェー攻略作戦と平行してとある作戦が決行されていた。
その作戦の名前は「警戒色作戦」。米国本土に生物兵器を輸送し、アメ公の工業地帯を緑に還してやろうという内容である。
なぜこんな作戦が実行されたのか、それには海軍空技廠の労働状態が絡んでいた。
1941年、零戦の航続距離を伸ばせだの速度をあげろだの防弾版をつけろだの機銃を統一しろだのといった不満に対応していた空技廠だったが、とある年少の技官が疲れすぎて吹っ切れたのを切っ掛けに、丸一日休んで居酒屋に行こうとなった。そこで皆して酔っぱらい、遂にはアメ公に勝てる筈無いだのアラスカは広いだのシリコンバレーの踊り子の尻が綺麗だの訳のわからん内容を喋りだしたのだ。
店のなかで暴れまわる技官たちに怒った居酒屋の店主の息子は海軍に直訴。「こんな小さな居酒屋で暴れまわるくらいならさっさとアメ公を緑に還して来い!」と吐き捨てて海軍省を後にしたが、後日特高警察に捕まった。
さて、ここでひらめいたのは海軍省の公務員である。アメ公を緑に還す、この発想はなかったと感動し、すぐさま各帝大の生物に詳しい教授に連絡をとり、作戦計画を練った。
完成した作戦計画案は以下の通りである。
ミッドウェー作戦に伴い囮艦隊としてアリューシャンに展開する航空母艦隼鷹に折り畳み主翼を装備した一式陸上攻撃機を2機配置し、米国本土に最も接近し次第生物兵器を搭載し発進、工業地帯を緑に還すものである。
なお一式陸上攻撃機より投下する生物兵器は以下の通りである。
一、オオスズメバチとその巣、10個
一、竹の地下茎を埋めたプランター、4個
一、ミントの葉っぱ、お土産用紙袋に詰め込んで20袋
一、狸、雌雄各10匹。
一、ワカメ、水槽3個分
一、葛、バケツにいっぱい、10杯
一、ススキ、40束。土つき
一、金魚、バケツに3杯
以上の作戦計画案であるが、なんと承認され、専用の作戦参謀がつきかなりの手直しを加えた後に実行されることとなった。
以下、主な変更点である。
輸送機は一式陸上攻撃機から大型陸上攻撃機の深山へと変更になり、発進基地も航空母艦から北海道の根室飛行場に変わった。
またすべての生物兵器は投下する予定であったが、竹は特殊部隊が空挺降下し、工場の近くに埋める作戦となった。
また、ワカメは戦艦大和のバラストタンクに搭載し、西海岸砲撃のついでにばらまいてくることとなった。
ミントは潜水艦搭載の水上偵察機から西海岸に向けて散布されることになった。
また、作戦においては、出発地が北海道であることから暗号にアイヌ語をアルファベット翻訳しさらに暗号化したものを使用することとした。
そして1942年6月、作戦は「雀蜂作戦」と名を変えて遂に実行に移された。
作戦は日本軍の作戦としては珍しくほぼ完璧に成功、アメリカは阿鼻叫喚に包まれた。
ある工業地帯には竹が、ある工業地帯には葛が群生し工場を稼働できない状態に陥らせ、工業国家アメリカを破壊せしめた。
オオスズメバチはニューヨークやワシントンに巣を作り、住民を大量に殺戮した。もちろんホワイトハウスも例外ではなくルーズベルト大統領はその猛毒でまだら模様の死体を晒して死亡、トルーマン大統領も執務がままならない状態となりホワイトハウスを移転せざるを得なくなった。
さらに地方都市では狸が大量に繁殖、狂犬病を媒介した。
その他生物兵器も猛威を振るい、鬼畜米を震撼せしめた。
また、本作戦において竹の埋め込みのために投入された特殊部隊が米国系のクォーターであったことからほとんどバレることなく潜伏したため、竹の地下茎を飛行場のとなりに埋め込むなど害悪の限りを尽くしたために飛行場滑走路を突き破って竹が生え、米国空軍を困らせた。
しかし、日本政府及び海軍省はこの作戦の戦果を知ることはなかった。なぜなら米国が情報統制を行ったためである。また特殊部隊が無線機を持っていなかったことも重なりほとんど情報が入らなかった。
そして生物兵器が米国で猛威を振るっていることを知らぬまま、日本は追い詰められていった。
1946年7月、遂に米国が降伏した。米国本土が文字通り緑化されたからである。当時の戦況としてはイタリアが寝返り、ドイツが降伏し、日本は本土決戦一歩手前まで攻め込まれていたため、日本国民は1億総困惑したという。
戦後、米国は戦後復興に必死になったが駆除しても駆除しても沸いてくる外来種に耐えることができず、遂にかつてのチートパワーを取り戻すことなく今に至る。
果たしてこの世界は幸せなのか。それは神の味噌汁。