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6 宝石姫の思い

そういうわけで第6話です。



「わたくしが心にかけているのは、貴方が吐き捨てるように言う赤毛のお人。殿下ですもの」




「貴女ほどの人が、なんであんな男に……」


「貴方はもうすぐ死ぬのですから正直におっしゃったらどうです?」


 宝石姫は、あわれみさえ浮かべた目で見下ろします。青白いなごりびに濡れた姿は、薄闇を圧しておりました。


「正確にはこうではありませんか? 自分よりもかなり劣ってはいるけれど、愚かな者の中ではまぁ賢いほうではあるわたくしが、なのでしょう?」


 血を流す黒の貴公子は、


「ちがう、そんなことは……」


 だが、その声は芯を抜かれたように、どこか弱々しくて、簡単にさえぎられてしまいました。


「怒っているわけでありませんわ。貴方のなかでそれは、最大級の賛辞だと判っておりますもの」


 部屋の扉が開くと、幽鬼のような修道女が5人、音も立てずに入ってきます。


 手に手に長剣や短剣、槍をもっているものまでおります。


 姫はきっぱりと宣言しました。


「しかとその目で見、その耳で聞きましたわね。この男の王家を敬う心のなさを。王国への叛意は明らか」


 修道女達は一礼すると、5人のうち4人が、さきほどまで自信満々だった男を取り囲みました。


 男は反射的に腰へ手をやりましたが、そこにあるはずの長剣は、聖域に武器の持ち込みは禁止という理由で預けてきてしまったのです。


 しかも急に動いたせいか毒の回りがはやくなったらしく、口から血までこぼす始末です。


 4人は武器を振り上げ、口々に言いました。


「王の命により」「王国のために」「王太子殿下のおんために」「未来のお妃様のために」


 5つの声がそろいます。


「この痴れ者を処刑する」


 4つの武器が一斉に振り下ろされます。その動きは一部の隙もない精緻な機械仕掛けのように完璧です。


 死にかけている男が避けられるはずがありません。



 いきなり、男は脚を跳ね上げ、振り下ろされた長剣を横から蹴りあげました。


 口から吐いた血は、頬を浅く噛んで自ら出したものだったのです。毒は効いていませんでした。


 男は日頃から暗殺を警戒し、さまざまな毒を微量ずつ飲むことで耐性をつけていたのです。


 長剣の軌道はそれ、突き出された槍の先端を見事に切断し、男は脚を振り下ろした反動を使ってすばやく体を起こし、槍が貫くはずだった空間へ身をひねりました。


 短剣の切っ先は、ほんの僅かにそれて、男の背を浅く切ったものの、服を大きく切り裂き下の分厚い革の胴衣を暴いただけでした。


 もう一つの長剣も、男の体があった場所の床に突き刺さってしまいます。


 男は跳ね起き立ち上がりざま、鋼のように鍛え上げた腕で、床に刺さった剣を無理矢理引き抜き、目の前の修道女を横殴りに切り裂きます。


 修道女達は、素早く引いて体勢を立て直そうとしますが、男のそれを上回る電光石火で、たちまち斬り伏せられてしまいました。


 一人戸口近くにいた修道女は、恐怖に駆られたのか、助けに入るのは無駄とみたか、逃げだそうとします。


 男は短剣を拾い上げるとその背中に向かって――


「どうしてわたくしが、貴方ではなく殿下を選んだか知りたくありませんか?」


 その穏やかな声に、男は思わず振り返り、投げられた短剣の軌道は僅かに狂い、逃げる修道女の肩先をかすめ壁に突き刺さります。


「王妃の地位か……いや、あんな滅びかけの王家の一員になるなど――」


「あの方と同じで、わたくしも真実の愛とやらを見つけましたの。貴方に対してではなく、貴方が愚昧と罵るあの方との」


 修道女は螺旋階段を駆け下りていったようですが、男の意識の中からその存在は消えていました。


 その意識を大きく占めるのは、目の前にいるあやしくうつくしい女だけ。


「あの男なら操れるからか!」「あの方なら操れるから、とでも?」


 ふたりの声が重なりました。


 男は言葉を予測され、続ける言葉を失い。女は笑いました。哀れみをふくんだ笑いでした。


「あの方は操れる方ではありませんわ。貴方のほうがよほど操りやすい。だって今なにを言うかわかりましたもの」


「ありえない! あの赤毛の阿呆が私より賢いとでもいうのか!」


「毒が耳にまで回ってしまったのかしら? あの方が賢いなどと言ってはおりませんわ」


「だが、今、操りにくいと」


 女はゆっくりと首を振った。


「わたくしは真実の愛とやらをみつけましたの。それだけですわ」


「毒が回っているのは貴方だ! 貴方のような聡明な方が、そんなたわごとに――」


 令嬢は笑った。しあわせそうに笑った。


「たわごと。貴方にはそうとしか思えないでしょう。でも事実ですわ。裏も表もない、かけねなしのほんとうですもの」


 男は懸命に頭を巡らし、目の前のうつくしい女が心を狂わされた事情を悟った。


「そうかそういうことか! はるかかなたのキタイの国には、心を狂わせる薬があるという……貴女の婚約が決まる直前に、使節が来た……王家はそれを奴らから手に入れて貴方に」


「貴方ならともかく、あの方は、そんなものを使う必要はありませんでしたわ。だって、わたくしはすぐあの方に心惹かれましたもの」


「あいつが! あいつのどこに貴方が惹かれるところがある! 貴方はそう思わされているだけだ。しばらく療養して薬さえ抜けば昔の貴方に戻るはずだ」


「わたくしが心を狂わされることなしには、あの方に惹かれないと断言できるのですか?」


 全ての真実を悟った男は、堂々と言い放つ。


「あの男は、愚かで、頭のめぐりも悪く、自分の体すらもてあましている。その上、おひとよしで、人をだますことさえできない。上に立つのに全くふさわしくない」


「あら。あの方の魅力をよく判っているではありませんか。だからこそわたくしはあの方に惹かれるのですもの」


「やはり貴方は理性を失っている。それらは魅力ではない。全て短所だ」


「愚かさを自分でもよくご存じで、それゆえに、人の話を聞き、教えを請い、書物を調べ、その上で納得するまで自分で精一杯お考えになるのですわ」


 それは、聡すぎるがゆえに、ひとりで何でも出来てしまう黒の貴公子とは真反対の人間でした。


「お人好しだからこそ、その決断の結果をつねに気に掛けながらも、決断を下すことからは逃げないあの方。そして結果を引き受けることを震えながらも引き受けようとするあの方」


 女は愛おしげに続ける。


「こんなにも勇気をもって進んで行こうとするお方に惹かれない者がおりましょうか? どんな者の話も真摯に聞く姿に心揺り動かされない者がおりましょうか?」


 宝石姫の瞳にはくるめいたものがあったが、薬物でもたらされたものではないのは明らかだった。


「そして、聡明で怜悧で野心家の貴方こそが、彼を悩ます最大の存在でしたのよ」


 黒の貴公子はようやく悟った。あえぐように言葉を押し出す。


「最初から、狙いは、私だったというのかっ」

 

「貴方は用心深かった。人前には決して姿を見せない。王家が最後の手段で送り込んだ『王家の牙』の手練れ達も、ひとりとして帰ってこなかった」



 だから宝石姫は、自分の身を捨てたのです。


 男爵家の娘への不審を書き送り、男を動かし、王家の弱みをわざと握らせ。反逆への大義名分を与え。


 自らは誰からも疑いようもない、理不尽な追放劇の犠牲者になりおおせ、最も危険な男をおびき寄せたのです。


 全てを奪われ、文字通りみひとつで幽閉された麗しの令嬢を、誰が罠だと疑うでしょうか?


「あの女達……『王家の牙』につらなるものたちか……」


 手慣れた武器の扱い。人を殺すのにためらいのない動き。


「だがっ。だとしたら、貴方があいつと同心していると判らせることができたはずがない!」


『王家の牙』は、王と王子から出たという以外の命令は聞かないはずなのです。


 そして、王都からこの修道院へ事前に文や使者が送られた形跡はなにもありませんでした。


「貴方は、どこへ寄ることも許されず直接ここへ送られた! 私のつけておいた間諜が一部始終を見ていた! あいつから手紙を受け取り、ここへ運ぶことができたはずがない!」 


「手紙はちゃんと届けましたわ。だって、あの宴の直前に、わたくしの体に、あの方が自らが書いたんですもの。もちろん王家の印章もちゃんとつけられてましたのよ」


 女はあやしげな笑みを浮かべました。それは令嬢ではなくて、女の顔でした。


「あの方、わたくしの肌身をはじめて見たときと同じくらい緊張してましたわ。いつもこわれものみたいに大切に扱ってくださいますのよ」


 それは、宝石姫が赤毛の王太子と一線を越えた関係だということのあからさまな告白でした。


 目の前のうつくしいからだは、黒の貴公子が軽蔑していた男と何度も何度も愛しあったからだだったのです。


「だがっ、あいつが愚かであることは変わらない! あなたに気の利いたことひとつ言えるはずがない! つまらない男だ!」


「愚かであることのどこがいけないのです?」


 あわれむような声。


「貴方はご存じないかもしれないですが、人はみな多かれ少なかれ愚かなのですもの。自らを有能と見なしているかたでさえも」


「私が愚かだと言うのか!」


「ですから、それの何が悪いのですか? 肝心なのは、自分どこか愚かであることをよく知っていることなのですわ」


 黒の貴公子は、考えても考えても自分のどこが愚かかわかりませんでした。


 確かに、目の前の宝石姫の手のひらで踊らされ、命を失う縁には立ちました。でも、それすら逃れることが出来たのです。


「察する力が弱いと判っていればこそ、言葉として口に出さねば伝わらぬことがあることも判るではありませんか」


「言葉に出さずとも伝わるすぐれた男だけを集めればよいだけの話だ。そのほうが物事は早く進む」


 黒の貴公子の治める土地では全てがそうなっておりました。万事が効率的なのです。


「あの方は、自分の気かなさがよく判っているがゆえに、人に対する気配りをかかせませんでしたのよ」


「無駄なことだ。気が利いた秘書でもおいて、その男に任せればいいだけのことだ。聡明な貴女に判らないはずがない。それは単なる愚かさの呼び代えにすぎないと!」


 ああ。と男は内心うめき、ようやく納得しました。


 目の前のうつくしい女は、薬で狂わされてはいないが、真実の愛とやらで眼がくらまされているのだと。


「確かにこの国の多くの人間は愚かだ。愚かだからこそ、すぐれた者達によって導かれるべきなのだ!」


「ふふ。やはり貴方にわたくしは必要がないようですわね」


「私はそんなことを言っていない!」


 女は笑った。


「あの方の回りに集まってくるのは、あの男爵令嬢や地位目当てのものを除けば、あの方のそこにこそ惹かれた者たちばかり」


「ただの愚か者の集まりではないか!」


「でも、貴方のように世界がすべて手のひらの上にあると思っているような方は、人の話など聞きますまい。もちろんわたくしの話も」


「今まさに聞いているではありませんか!」


 女は、なにも判っていらっしゃらない、とでもいうふうにちいさく首を振りました。


「あの方は、わたくしの話も全て真剣に聞いてくださいました。最初から最後まで。誰かに話したことのないくだらないことまで」


「くだらないと判っていることなど話す必要はない!」


「あの方はなにひとつ否定しませんでした。なにか正しいことをこちらに教えようともしませんでした。それがどんなに心地よいことだったか」


「あの男には、何も確たるものがないだけのことだ」


「お互い、隠さずに、恥ずかしがらずに、ためらわずに何でも話せるというのは、なんとすばらしいことでしょう」


 足元の床板の隙間から、細い煙がいくすじもあがりだしました。


 男は、はっとして女を見た。


「なぜわたくしが貴方を引き留めたか、ようやく気づいたようですわね。毒は効かなかったようですが、火ならどうでしょう?」


 ひとり逃れた修道女は、黒の貴公子を修道院ごと燃やすために降りていったのでしょう。


 目の前の女の用意周到さからして、下には大量の可燃物が集められているはずです。火はたちまち全てを飲み込むにちがいありません。


 いえ既に、燃え広がっているにちがいありません。だからこそこの部屋まで煙があがって来たのです。


 柱や梁に火が回って崩れれば、この鐘楼も火の海へくずおれてしまうでしょう。 


 だが、男は落ち着いていました。目の前の女が落ち着き払っているからです。


 あの赤毛と会うために、女は誰よりも生き残りたいはずなのです。なにか脱出する方法を用意しているはずなのです。


「……貴女の思いは判った」


 男はいったん言葉を切り、続けた。


「王都は私がすでに掌握した。そして、王家の者はみな死んだ……あの赤毛だけは生かしてありますがね」


誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。


あと2話です。最後までつきあっていただけるとうれしいです。



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