3 宝石姫と黒の貴公子
というわけで第三話です。
あのパーティから半月がたったころ。王都から遙か北。
つめたい風が吹きすさぶ石ころだらけの荒野に古い古い修道院が建っておりました。
周囲には、修道女達が荒れ地をひっかくように耕しているみすぼらしい畑があるばかりです。
さびしい風景を夕暮れが染めて、さらにさびしくしておりました。
そんな世界から忘れ去られたような土地に、荒野を埋め尽くさんばかりの軍勢が集まっておりました。
全員が黒い服に身を固めた精鋭です。
それを率いているのは、現ラングドック公爵。北の民を追い払った英雄です。
抜けるように白い肌に映える黒髪。強い意志のひかりをはなつ瞳。すらりとした手脚。
飾りのない黒の衣装すら、この男がまとえば華麗に見えるのです。
見た瞬間、この男こそ高貴な貴族の中でももっとも高貴と誰しもが思う男ぶりなのでした。
見た目だけではありません。
3年前、いくさばで父を失いながらも、軍を引き継ぎ、わずか三千で三万の北の民を打ち破ったのです。
黒の貴公子は軍勢に休憩を命じると馬を下り、副官に「片翼を迎えにいくのだ」と言い置くと、ひとり修道院へ向かったのでした。
黒の貴公子は、修道院の鐘楼の螺旋階段を100段ばかり上ったところにある小さな部屋へ通されました。
天井ばかりが高いみすぼらしい一室です。
「おひさしぶりでございます。侯爵様をこのような礼儀から外れた姿で迎えるのをお許しください」
そこにはひとりの女性が待っておりました。
女性は赤毛の王太子の元婚約者であった宝石姫。
あの騒ぎの直後、彼女は王家の命に従い、ひとりの共もつれず王都を追放され、その身を預けられているのでした。
王都からの追放者を裁きが下るまで預かるこの修道院では、この世の虚飾の一切を許さないしきたり。
それゆえ彼女は、ここへついた時、すべてを奪われてしまったのです。
幽鬼のような修道女達に裸にされて、きらびやかな衣装や飾りだけでなく下着まで、身につけていた全てを取り上げられてしまいました。
今、姫が身につけているのは、麦を詰める大きなふくろに首と腕を出す穴が開いただけのぶかぶかなみすぼらしい服だけです。
たおやかな腕は、荒れ地での慣れないきつい労働のせいか傷だらけ。
みすぼらしい服のすそから僅かに覗くちいさな裸足には、痛々しいあかぎれが出来ております。
長く美しい金髪もわらしべでいい加減に結われているだけで、ほこりっぽく乱れておりました。
男爵の娘に籠絡された赤毛の阿呆は、卑劣な振る舞いの数々への罰と称して彼女の地位も財産もすべて奪い去ってしまったのです。
あまりにみすぼらしいすがた。王都での美しい姿を知っている者なら誰もがおいたわしいと思うに違いありません。
黒の貴公子はやさしくほほえみ。
「いえ。礼儀というのは本来姿とは関係なきもの。その身からおのずとにじみ出すものですから、お気になさらず」
それはお世辞ではありませんでした。そんな姿となってなお、この国で最も立派な男と並んでも見劣りしないのです。
彼女が着ているおかげか、みすぼらしい服まで夕日で赤く染め上げられた豪奢なドレスに見えてしまうのです。
ふたりは、部屋の中央に置かれた無骨なテーブルで対面しました。
「どのようなご沙汰でも覚悟はできております」
王家の人間をのぞけば、この王国で最も高貴なひとりであった宝石姫は、今や正式な裁きを待つ罪人にすぎないのです。
「私は王家の使者としてここへ来たわけではありません」
「ならば、すでに平民ですらないわたくしに、侯爵であられる貴方様がどのようなご用件でございましょうか?」
「今日は侯爵としてではなく、昔から貴女を知っている知人として来たのです」
黒の貴公子は胸に下げた銀のロケットを示しました。
それははるか昔、令嬢がお揃いの一方を彼に送ったものだったのです。
ふたりは、幼なじみでもあったのです。
両家の者たちは皆思っておりました。令嬢の隣に立つなら、あの愚昧な赤毛より彼の方こそがふさわしいと。
当主である宝石姫の父が権力に目をくらまされなければ、実現した筈の未来でした。
「知人としてですか、では、わたくしもそのように」
宝石姫は、かすかに顔をほころばせ
「お見かけしていない間に、少しお太りになったのではないかしら?」
男は苦笑した。
「手紙にも書きましたが、北の辺境は時間の流れすらゆっくりなので、ついつい気が緩んでしまうのですよ」
「国境は大丈夫なのですか?」
「万一のため、軍の半分を残してきましたから。私が鍛えた精鋭はそう易々とはまけませんよ」
「これからどちらへ?」
「王都へ向かいます」
「国王陛下に招集されてでございますか?」
「……」
黒の貴公子は宝石姫の顔をじっと見ました。
「わたくしの顔になにか……ここにきてからは体を洗うのもままりませぬゆえお見苦しいかと」
身をすくめるようにして、しとやかに恥じらう姫へ
「いや、貴女は相変わらずお美しい。どんなにひどい扱いも、貴女の美しさを損なうことはできぬようだな」
「おたわむれを」
「それに、この扱いもすぐ終わる」
「殿下がわたくしをお許しになるというのですか?」
黒の貴公子はちいさく首を振る。
「いや。あの赤毛の愚昧、いえ、王太子がなそうとした貴女に対する告発は、すべて濡れ衣だったという証があるからです」
「ですが殿下は――」
「あの場にいたものは皆思ったはずです。誇り高い貴女が、あのようなことをする筈がないと」
「いえ、すべて本当の事でございます。殿下のお言葉ですから」
「あんな男でもたまたま王の息子に生まれれば殿下と呼ばれてしまう。馬鹿馬鹿しいことだ」
黒の貴公子はそう吐き捨てました。
「もう調べはついているのです。あの場で、貴女がいやがらせをしていたと証言するはずだった者たちの幾人かが口を割ったのですよ」
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。
あと5話なので、できれば最後までお付き合い頂けるとうれしいです。