姫崎あいりという人物
「それで、あなたは?」
「……ああ。田代夏樹だ、宜しく」
自宅の前で轢き逃げされた女の子が、まさにさっき話題に上がっていた隣のクラスの美少女だということを知り動揺していたが……なんとか平静を保ちながら、自己紹介をする事が出来た。
しかし姫崎さんは、何故か訝しげな表情をしていた。
「田代夏樹……?もしかして、高校の方ですか?」
「ああ、そうだが。知っているのか?」
「知っているも何も、有名人ですよ!」
意外だった。
つまり間接的ではあるが、俺達は既にお互いのことを認識していたということだ。
……待てよ?
俺は、姫崎さんの発言に少しおかしな点があることに気が付いた。
「……今、有名人って言ったか?」
「はい、そうですよ?うちのクラスの女子も、何人かは泣かされたと聞きました。どんなくそ野郎かと思いきや、こんなにもお優しい方だったなんて……噂は当てになりませんねっ。ふふっ」
「いやお前も同じやろがい!」
「……え?」
「あっ……」
……しまった。つい反射的にツッコミを入れてしまった。
「……いや、実は俺も姫崎さんのことは友人から聞いていてな。……その、大変おモテになるとかなんとか」
「ああ、そういうことでしたか。……確かに私が行っていることも、周りからはよく思われていないのかもしれません。でも、自分の気持ちを優先することは悪いことでしょうか!」
姫崎さんは、力強くそう答えた。
それ程、強い信念を持っているということだろう。
「奇遇だな、俺もそう思う」
そしてそれは、俺も同じ気持ちだ。
話を聞いた時から、姫崎さんとは置かれている状況が似ていると感じていたが、やはり通ずるものがあったか。
そんな姫崎さんは、理解して貰えたことがよほど嬉しかったのか、先程よりも表情がかなり明るくなっていた。
「ふふっ。私達、似た者同士なんですね」
「かもな」
程なくして、救急車が到着した。
「手当てしていただいたおかげで、もうどこも痛むところはありませんし、少し大袈裟な気もするんですけど……やっぱりちゃんとしないと駄目ですよね?」
「だな。万が一って事もあるだろうし、その時に困るのは俺だしな」
姫崎さんが話の分かる人だったということもあり、スムーズに事は進んだ。
そして俺は、轢き逃げ事件の立会人として同行する事になった。
……救急車の中って、こんな感じなのか。
今俺は、割と貴重な体験をしているような気がする。
「そうだ。姫崎さんのご両親にも連絡しないと」
急遽、思い立った。
こういう事件が起きた場合、真っ先に知らなければならないのは間違いなく家族だろう。
そう思い姫崎さんの方を向いたのだが、何故だか彼女は血相を変えて俯いていた。
「親……そうですよね。伝えなきゃいけませんよね」
「……?何か、まずい事情でもあるのか?」
「……いえ、ちょっと家出しちゃってるだけですので」
「うん、全然ちょっとじゃないな」
……まあ、よそはよそだ。
他人の家庭内の事情に、深入りするつもりはない。
しかし、それとこれとは話が別だ。
「番号、教えて貰っていいか?信用できないのなら、携帯貸すから自分で掛けてくれてもいいが……」
「……いえ、大丈夫です。番号は―――」
俺は伝えられた番号を正確に打ち込み、一度大きく深呼吸をして耳の側に持っていった。
◆◇◆◇
診断して貰った結果、姫崎さんにそれ程大きな怪我はなかった。
俺が軽く手当てした掠り傷、それから小指に打撲があったぐらいだ。
姫崎さんのご両親は連絡を入れたところ、すぐに駆けつけるとのことだった。
後は、警察に轢き逃げのことを説明して……取り敢えず、俺の出来ることはそれで終わりだろうか。
「田代さん、全部終わりました」
「おう、早いな」
そこまで時間の掛からないうちに、姫崎さんは診察室から出てきた。
「特に入院する必要もないみたいです。これも全て、田代さんのおかげですね!」
「大したことはしてないんだから、気にするな。むしろ、俺に出来ることがあれば何でもするから、言ってくれ」
先程から何度も感謝の言葉を伝えてくる様子から、彼女が性格の良さが覗える。
本当に当たり前のことをしただけだと思っているので、こう何度もお礼をされると少しくすぐったい。
「あ……」
「どうした?」
突然、姫崎さんが声を発した。
何かを見つけたようで後方の方に視線を向けていたので、俺も振り返ってみると―――
慌ただしくこちらに駆け寄ってくる、一人の女性の姿が。
「……お母さん」
……なるほど。ようやく身内の登場というわけか。
取り敢えず説明は後にして、今は二人の時間を作ってあげた方が良いだろう。
そんな思いで、俺はその場から離れようとした。
しかし―――
「……姫崎さん?」
「…………」
直前に、服の裾を掴んできた。
どうしたものかと尋ねてみても、鳶色の瞳でこちらをじっと見つめるばかり。
何かを伝えたそうにしているような……そんな解釈も出来た。
程なくして、姫崎さんの母と思われる人物が近くまでやってくる。
「あいり!いきなり家を出て行ったと思ったら、こんな迷惑まで掛けて……どういうことなの!」
来たと思ったら次の瞬間には怒声を響かせる姫崎母。
轢き逃げにあったんだから、少しは心配すれば良いのに……そんなことを思ってしまった。
実際は俺がそう思い込んでいるだけで、心の中ではちゃんと心配していたのかもしれないが……姫崎さんや姫崎母の様子を見るに、そういう感じではないような気がしていた。
「……いきなり、じゃないよね。そっちがいきなり許嫁だなんて言って、知りもしない男の方と結婚させようとしてきたのが原因でしょ!」
「……それが姫崎家、皆の為になることなのよ」
「私の気持ちは考えられてないよ!」
姫崎母が、呆れたように溜息をつく。
……わーお。
今の一瞬で、かなりどろどろになるまで煮込んだ人間ドラマが完成してしまった。
というか今、許嫁って言った?言ったよね?
もしかして姫崎さんって、結構良いところのお嬢様だったりするのだろうか……。
……もう、違和感しかないよな。
何がって、この場に俺がいることがだよ。
圧倒的場違い。
今にも逃げ出したいけど、姫崎さんにがっちりと服を掴まれていて身動きの取れないでいる俺の気持ちを考えて貰いたい。
「……ところでさっきから気になっていたのだけれど、貴方は?」
……まじか。ここで俺に来るのか。
俺は、なるべく失礼のないように、今一度姿勢を正した。
「……田代夏樹です。あいりさんとは同級生で―――」
「私の恋人だよ」
「そうそう、あいりさんのこいび……to……?」
……今、なんて言った?この子。
恋人?恋人って言ったよなぁ今!
咄嗟に彼女の方に視線を送った。
流石にそれはまずい、と。
確かに何でもするとは言ったが、今日……それもついさっきあったばかりの人間の家庭事情に首を突っ込むような勇気は、生憎だが持ち合わせていない。
しかし姫崎さんは聞く気がないらしく、なんなら話を合わせろと言わんばかりの圧を飛ばしてきていた。
「……田代君、と言ったわね」
「は、はい!確かにそう言いましたね!」
「あいりの言っていることは、本当?」
「……いや、流石に手違いがあると言いますかなんと言いますか―――」
「本当に決まってるでしょ。嘘ついてどうするのよ。……それに彼がどう思ってようが、私自身は彼を選んだわ」
んな無茶苦茶な!
俺はあまりにも筋の通っていない姫崎さんの理屈に、動揺を隠せなかった。
しかし彼女の暴走が止まることはなく、むしろ後押しだと言わんばかりに前に出て―――
「私、姫崎あいりは、田代夏樹くんと同棲しています!」
周りにも聞かせるようなはっきりとした声で、そう宣言して見せた。
「……」
姫崎母が、無言で俺をじっと睨み付けてきている。
流石は親子といったところだろうか。圧の掛け方はなんとなく似ている気がする。
要するに、どっちも怖いって事だよ!
「……田代君、連絡をよこしてくれたのは貴方ね?まずは、お礼を言わせてちょうだい。……ただ」
「……ただ?」
「あいりと恋人関係を結ぶと言うことは、それ相応の覚悟が必要になると思うわよ?」
……俺は、自宅の前で轢き逃げされた女の子を助けただけなんだけどな。
どうしてこうなったかを考える前に、この状況を打破する手段を先に考えた方が良さそうだ。
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