やまない雨(3)
話してる間、館長さんはパチパチと唄う暖炉の火を眺めていた。
そして話が終わると、ふわりと私に向き直った。
「そうですか、そんなことがあったんですね」
さっき出会ったばかりの人なのに、不思議とこの人には、心が気取らないでいられた。
相手を包み込むオーラが出ているというか、聞き上手というか、そんな魅力があるのだ、館長さんには。
パキン、と炎の中で木が弾ける音がした。
「ところで、あなたはその男子生徒とはお友達ではないのですか?」
質疑応答を始めるつもりはなかったけど、館長さんの優しい口調は、素直に受け入れられた。
「……時計の事があってからは、前より話すようになりました。その子の名前も、彼に教えてもらったんです。シュレーディンガー……」
私が言うと、床に伏せていた犬が首を持ち上げて傾げた。
きっかけは、腕時計だった。
以前は用事がないと話したりしない関係だったけど、私は祖母から、彼はお祖父さんから時計を贈られたという共通点を知ると、なぜだか一気にうちとけたのだ。
そして彼が外見だけでなく、性格も良いということを知った。
博識で、読書家。”シュレーディンガーの猫” だけじゃなく、色んな事を教えてくれて。
でもそういう距離の近さが、彼女達を刺激してしまったのかもしれない。
最近は、私は彼と二人で話すのを避けるようになっていた。
無意識のうちにため息が落ちる。
すると館長さんがそれを拾うように言った。
「でも、傘がなかったから、こうして私はあなたに出会えた。そうでしょう?」
「それは……」
「塞翁が馬」
「え?」
「故事成語です。今、何か嫌な事があっても、それがきっかけで別の方角から幸せが訪れるかもしれませんよ?それに、その男子生徒とだって、今はまだ友達未満でも、もしかしたら今後素敵な関係になるかもしれないじゃないですか」
「それはないと思います」
私はきっぱりと言った。
「ほう…、それは何故?」
「私、昔から映画みたいな恋に憧れてるんです。だから、いくら人気者でも、同じクラスになったのが出会いのきっかけだなんて、ちょっと普通過ぎるというか…。恋愛するなら、もっと印象に残るような出会い方がいいんです」
呆れられると嫌なので、あまり人に教えた事はなかったが、やはり館長さんにはするっと話せた。
「おや、これは手厳しい。でもロマンチックなお考えなんですね」
館長さんは呆れることなく、微笑んでくれた。
やっぱりこの人には、心を装備する必要ないのだ。
館長さんは微笑みを続けながら、おもむろに大きな窓の方を向きながら訊いてきた。
「でしたら、もしその男子生徒がこのあとあの窓の外を通りかかったら、それは映画みたいな出会いにはなりませんか?」
「窓?……そうですね、もし本当にそうなったら、そうかもしれませんけど…」
どこか変な日本語になってしまったのは、少しの動揺のせいだ。
こんなおしゃれな図書館で雨宿り、というのも映画の1シーンみたいだけど、そこに偶然彼が通りかかるなんて、ちょっと出来過ぎな気さえする。
でも、もし、それが現実になったら……
おかしな緊張感を覚えつつ、私は館長さんと一緒に窓を見つめた。
そんな奇跡的な事起こるはずないと、心の隅で予防線を張りながら。
ところが、すぐに人影が現れたのだ。
私は思わず立ち上がって、窓に近付く。
そんなはずない、まさか、そんなはず……
騒ぐ気持ちをなだめながらその人影を確かめるも、
それは、彼ではなかった。
でも、私の知ってる人……彼との事で、色々言ってくるクラスの女子だった。
彼女は一人で、どうやら傘が壊れてしまったらしく、強くなった雨に困っているようだった。
「あの方も雨にお困りのようですね」
呟いた館長さんに、私は不安が過った。
あの子もここに雨宿りに来たらどうしよう。嫌だな…
すると私の考えがバレたのか、館長さんが「大丈夫ですよ」と明るく言った。
「ここは、中にいる者が招かない限り、外の人間は入れない事になってるんです」
「そうなんですか?」
入館者を選別する図書館なんて聞いたことないけど、そんな規則があるなら安心できる。
私は再び彼女を見やった。
やがて彼女は立ち止まり、役に立たない傘を閉じると鞄から今度は折り畳み傘を取り出した。
それは、とても見覚えのある傘だった。
「あ…」
やっぱり犯人は彼女だったのか。
残念な思いが、今日の雨のように打ちつけてきた。
けれど彼女は、その傘を見つめたまま、開こうとはしないのだ。
ただ見つめて、数秒して、また鞄にしまった。
そして酷くなる雨足の中、彼女はずぶ濡れになって、駆けていったのだった。
「お知り合いでしたか?」
同じ制服ですよね?
尋ねてきた館長さんに、私は「よく見えなかったので…」と濁した。