やまない雨(2)
建物の中に入ると、男性が恭しく腕を広げてみせた。
「ようこそ、“時の図書館”へ」
「…時の図書館?」
「はい。時に関すること専門の図書館です。私は館長をさせていただいております」
「館長さん…」
私は、ここの公園内に図書館なんてあったかなと不思議に思いながら、建物内を見回した。
外観にも劣らない雰囲気ある内装はホテルや高級レストランのようで、アンティークと思しき家具がセンスよく配置されている。
正面には ”時の図書館” らしく、白黒の砂時計の絵が飾られていて、おしゃれだ。
ロビーの左側には数段下る階段があり「段差にお気をつけください」と男性…館長はそう言いながら案内してくれた。
階段を下りた先には広い部屋があって、高い天井まで壁一面に本が並んでいた。2階分くらいの高さになるのだろうか。ロビーは一般的な高さの天井だったから、余計に空間の広さを感じるのかもしれない。
壁側の両サイドには階段があり、その上に本棚に沿って細い通路が設けられていて、上部の本はそこから取るのだろう。
本棚の手前、部屋の真ん中には、大きくて円型の暖炉が柔らかな炎をパチパチ揺らしていた。
暖炉を囲むようにソファや椅子が並んでいて、各々が寛げるようになっている。
本棚を向いて左右には大きな格子窓。
そこに映る雨の仄暗い景色と暖炉の明るさのコントラストが、何とも言えなく絶妙だ。
右奥に置かれた長椅子には読書に集中してる女性がいて、私は、館長さんと二人きりでないことにちょっとホッとした。
「さ、火にあたってください。雨で冷えたでしょう?」
親切に言ってくれる館長さんに、私はお礼よりも先に部屋の感想を述べた。
「すごいですね。外国映画みたいに素敵な…」
けれど、素敵なお部屋ですね、のセリフは、長椅子の向こうからこちらに向かってくる何かの気配に掻き消されてしまった。
私は瞬時に身構える。
そしてそれが黒い犬だと気付いた直後、館長さんの厳しい声が図書館内に響いたのだった。
「シュレーディンガー!シット!」
駆けていた柴犬っぽい黒い犬はピタッと止まると、言われた通りその場でお座りをした。
「…シュレーディンガー?」
「こいつの名前です。私の相棒が大変失礼いたしました」
頭を下げた館長さんは、大人しくお座りをしている犬を撫でた。
ハッハッハッと舌を出してる表情は、笑っているようにも見えて愛嬌がある。でも賢そうな犬だ。
「いえ…。…でも、シュレーディンガーって……猫じゃないんですか?」
私が問うと、「おや、ご存じでしたか」と目を細めた館長さん。
「…前に、同級生が話してたので」
”シュレーディンガーの猫”という理論だか思考があるらしい。
難しくて、私は聞いても一度では理解できなかったけど。
「今時の高校生は難しい会話をなさるんですね」
館長さんは感心したように言いながら、私を暖炉前の椅子に促した。
すると「館長、どうしたの?」と女性が声をかけてきた。
長椅子で本を読んでいた女性だ。20代半ばくらいの、綺麗な人だった。
「傘をお持ちでなかったんです」
「この雨の中?それは大変。じゃあ、これ使って?」
女性は鞄からタオルを出して私の頭にかけてくれた。
ばさりと、頭から垂れたタオルで視界を隠されてしまい、驚いた私はビクッとして、その反動でまた寒気が背中を通っていった。
相当体が冷えてるようだ。
「ありがとうございます…」
お礼を伝えようと顔を上げたものの、女性はもうスタスタと長椅子に戻っていた。
「あ…」
私がタオルを握ったまま困惑してると、
「彼女は常連なので、後で私からお返ししておきますよ。今は読書の邪魔になってしまいますから」
館長さんがそう申し出てくれたので、遠慮なく、頭を拭き終えたタオルを預けることにした。
「……お手数おかけします」
タオルを受け取った館長さんは、ふいに不思議そうな顔をした。
「ひとつ、伺っても?」
「え?あ、はい、どうぞ……」
「今の言葉遣いなどを考えても、あなたはとてもしっかりしてらっしゃるとお見受けしますが、今日は傘をお持ちでなかったのですか?」
もっともな質問だった。
今日の降水確率で傘を持ってない方がおかしいだろうから。
私はつい、腕時計を恨めしく見ていた。
「どうかされましたか?」
またもや不思議そうに尋ねてくる館長さん。
誰にも話してないけれど、誰かに聞いてもらえば、何かが変わるのかな。
館長さんの手にあるタオルを見ながら、私はそんなことをぼんやりと思った。
雨もやまないし、時間潰しくらいにはなるだろうか。
そんな思いも交わり、私は、腕時計のせいで起こっている学校での出来事を、館長さんに打ち明けることにしたのだった。