だから鼠原 宙太は傍観する。
先日、僕の所属している部活『人間構築研究部』通称 にんけんに新しい部員が入った。狗神先生に連れられてきたところを考えるとそいつも何か問題を抱えているということなんだろうが僕には、関係のないことだ。
授業を終えて部室に向かう道すがらそんなことを考えていた。ドア越しにふたりの話し声が聞こえてきた。ドアを開けると会話がやみ、ふたりの視線とぶつかる。この瞬間がどうも苦手だ。
「うっす」
「「こんにちは」」
来てそうそうだが、カバンを開けて読み進めていた文庫本を取り出した。視界の片隅に温かいコーヒーの入ったカップが置かれた。
「ありがとう」
牛嶋は、無言で頷く。
淹れられたコーヒーに口を付けると程よい酸味が口の中に広がる。横には紙皿に乗ったクッキーがある。毎回ではないもののこういったお菓子がある。あとで知ったのだが、これらは、すべて根古沢が作ったものらしかった。聞けば意外に家庭科全般得意だという。
根古沢に勧められるまま手にし、咀嚼する。サクサクしていておいしい。
「いつも悪いな」
「修行の一環で作っているので気にしないでください」
修行なんて変な言い方するもんだと思っていたら牛嶋も同じことを思ったらしい。
「修行ってなんのですか?」
「花嫁修業です」
手を組みながら言った。
「花嫁修業?」
「ないしょですが」
人差し指を口元に立てていたずらっぽく笑った。
将来、専業主婦でも目指しているのだろうか他人の将来に興味なんぞないので本の続きを読むことにした。
しばらくすると、ドアがノックされ牛嶋のどうぞと言ったあと女生徒が入ってきた。制服のリボンの色からするとひとつ上の先輩のようだ。
「たぬき親父に聞いて来てみたんだけど、ここってにんけんの部室でいいの?」
たぬき親父とはまたずいぶんないい方だと思ったが誰のことだろうと考えていると先輩が綿貫先生のことだと教えてくれた。
「あたしは、猪鹿月 牡丹。牡丹先輩って呼んで。よろしくねー」
お互いに自己紹介を済ませて牡丹先輩がここに来た理由を教えてくれた。
牡丹先輩の話をまとめるとどうやらこういうことみたいだ。
先輩の友人と付き合っている男が、先輩に言い寄っているそうだ。友だちの彼氏と付き合うことはできないと言っているそうなのだが聞き入れてくれないらしい。
「お付き合いをすればいいのではないのでしょうか?聞いている限りあまり悪感情はないように思われるのですが」
そうなのだ、悪い気はしていないみたいだった。
「でも、いくら好きだと言われても友だちの彼氏と付き合うのはあの子もいい気はしないでしょう?」
「ですから、牡丹先輩は困っているのでしょう?断ったとしてもそのお友だちの彼氏さんが気に入らないと思われかねない」
「そう!美弥ちゃんわかってるぅ」
それならどうすることもできないのではないだろう。牡丹先輩の望みは、その友だちを傷つけることなく円満に解決したいこと。
「でも、誰ひとり傷つけずに生きていくのは、土台無理な話です。だれかれかまわず傷つけるのは、どうかと思いますがこの場合しょうがないのではないですか?」
「宙太くんのいうことはもっともなんだけどさー」
牡丹先輩は、机に突っ伏しわかんないかなーと呟いた。
うん。わからない。そもそも付き合うってなんだ?ずっとぼっちだったからわからない。
「あの」
根古沢がおずおずと小さく手を挙げた。
「その方とお友だちから始めるじゃ駄目なんでしょうか?」
「へ?」
牡丹先輩は、きょとんとした顔で根古沢を見やった。おそらく僕と牛嶋も同じ顔をしていただろう。
「ですから、その方とはまだ親しい関係ではないんですよね?」
「まあ、そうだけど」
「今は、まだお付き合いすることはできないかも知れないけれど、明日には、1年後、3年後には、どうなるか分かりません」
「……そうね。誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれないわね。ありがとう」
そう言って、牡丹先輩は出ていった。
「あれでよかったのかしらね。別に根古沢さんの提案がどうこうというわけではないの」
「あれが、妥当なんじゃないか。なあ。根古沢」
「ただ私は、希望を持ちたいと思っただけです」
牡丹先輩の問題も解決し、帰り支度を済ませた僕たちは、鍵を返しに行くといった根古沢と別れ下校した。
希望。この先どう転ぶかなんて誰にもわからない。牡丹先輩が、その男を選んだとしても次の日には別れていたなんてこともあり得なくはないのだ。女心と秋の空なんてことわざもあるくらいだし。それにちょうど秋だしね。そんなことを考え苦笑した。
* * *
2年の猪鹿月が相談したことを綿貫先生から聞いて知っていた。俺が心配する必要がないくらい解決したようだ。鍵を返しに来た美弥にさりげなく尋ねてみた。
「初めての依頼どうだった?」
「知っていたのですか?」
「内容まではさすがに知らないけどな」
「無事に解決し、牡丹先輩も喜んでいました」
「よかったな」
「はい。賢輔くんそれ、逆さまですよ」
「だから、学校では先生と……」
俺の手元を指差した。
美弥にそう言われて手元に視線を落としてみると逆さまに開いた出席簿があった。どうやら慌てて戻ったことは、ばれてしまったようだ。