第2話 最推しのためなら、私、婚約者辞めます!
「はーい、おはようございまちゅー。本日のご機嫌いかが~?」
甘い声が響いて、私は、はっと意識を取り戻す。
ここ、どこ?
炎はどうなった?
フィニスさまはどこ?
うろたえて身じろぐが、体がひどく重い。
目もよく見えないみたいだ。辺りがひどくぼやけている。
怪我をしたのかもしれない。
自分とフィニスは、戴冠のため『楽園』に旅する途中、凄まじい炎に焼かれたのだ。あの勢いは、ただごとではなかった。
自分はともかく、かばってくれたフィニスはどうなったんだろう。無事なんだろうか。
私は甘い声がしたほうに向かって、必死に語りかける。
ねえ、お願い。フィニスのことを教えて。
彼は今、どこにいるの?
「フィー、フィー」
……なんだ、今の。
ろくな声が出ていない。発音はあやふやだし、肺活量は足りないし。
あっけにとられる私の眼前に、巨大な顔が出現した。
笑顔がまぶしい真っ白な顔には、見覚えのある泣きぼくろがある。
「あらっ! 私のセレーナお姫さま、生まれて十の月を数えただけで、もうおしゃべりなさるの? なんて聡明なんでしょう!」
はあ?
どういうこと?
生まれて十の月って?
……いやいやいや、待って待って、どう考えてもおかしい。
私は一気に混乱の極に達したが、目の前の顔はどう見ても私の乳母のものだ。
流行病で、私が五歳になるころには死んでしまった、大好きな乳母。
彼女が生きていて、私が一歳にも満たない、ということは……?
……私、戻ったの?
一度死んで、そのまま天界へ行けず、もう一度赤ん坊のころの自分に戻ったの?
あまりに突飛な出来事に、私の頭は真っ白になった。
これは死ぬ間際の夢なんだろうか?
それとも、手違いが起こった?
死んだあとにくぐるべき門を間違えた?
わからない。なにもかも全然わからない。
わからない、けど。
もしも、本当に自分の人生をやり直せるなら。
推しのフィニスさまを、守ることも出来るのでは……?
その考えはぱあっと私の目の前を明るくした。
みるみる全身に力がみなぎり、私はふんっ、と気合いを入れて起き上がる。
「あらあ、力強い! え? ちょ、ちょっと、もう立ち上がられるんです? 昨日までお座りがやっとだったのに、あら、あらあら……」
半ば呆れる乳母の前で、私は赤ん坊用寝台の縁を握りしめ、やわやわの足腰に思いっきり力をこめた。
立てた。
うん。
なんだか知らないけれど、私は、生きてる。
生きてるなら、やれば、できる……!!
「素晴らしいですわ、セレーナさま! そんなにも勇ましいんじゃあ、果ては騎士さまかもしれませんわね」
ころころと笑う乳母の声を聞き、私はきっ、と彼女を見つめた。
「まっ。お気に障りました?」
「いいえ、逆。気に入ったの。その案いただくわ。今度は私、お姫さまなんかにならない。推しを助けられる、騎士になるのよ!!」
私は堂々と叫ぶ。
……実際には、あうあう、あー! とかだったけれど、気持ち的には確かに叫んだ。
私の心は燃えていた。推しと結婚できなかったのは悲しいけれど、結婚するために推していたわけじゃない。推しは推しであるだけで尊いものだ。
私が推しに願うのはただひとつ。
健康で、長生きしてください。
そのためなら、私は、婚約者の地位すら捨てられる。
――そんな私がフィニスさまの騎士になるのは、ここからざっと十四年後の話になる。