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第1話 私、最推し騎士団長と結婚します!

 心臓が早鐘のように打っている。

 いまにも胸がはち切れて即死しそう。

 その原因は、私の目の前にいる。


「どうかなさいましたか、わたしの小さな真珠薔薇」


 涼やかな囁きが耳を打ち、私は震えた。


 いい。

 いい。

 最高にいい――!!


 ここは旅先の小さな館。

 私にあたえられた部屋は刺繍入りの壁紙こそきれいだけれど、絨毯は分厚くて野暮ったい。

 何より狭い。居間と寝室をあわせても、実家の屋根裏にも敵わない。

 でも、そこがいい。

 だって部屋が狭ければ狭いほど、推し様と私の距離が縮まるんだから!


「あなたを見ていたのです、フィニスさま。私の守護者、狼の牙」


 はち切れんばかりの萌え心を必死に抑えて、私は囁く。

 窓辺にたたずんでいた推し様は、静かにこちらを見て笑みを浮かべた。


「いくら見ても、あなたに魂を奪われた男が見えるだけです。これから一生、飽きるほどに見られるでしょうに」


 はーーーーーっ、最高か?

 真顔で言うわ、最高か?

 低くなめらかな美声、品良く熱愛を主張してくるセリフ選び!

 一点の曇りなし! 完璧、最高、父親が隠している蒸留酒よりカーッとくる!


 私は興奮のあまりめまいを覚え、扇の陰に顔を隠した。

 正直、平静を保つのが辛すぎる。

 今までも推し様と会う機会は何度もあった。ただし、たった数歩しか離れていない状態でふたりっきりなんていうのは初めてだ。不自由な旅先だからこその奇跡だ。

 本当なら、こんなちゃちな寝椅子の上で寝そべっていたくなんかない。

 今すぐ床に転がり落ち、冴えない絨毯をばんばん叩いて「見て、全世界、むしろ天界の神々も見て、私の推しが最高なの!!」と叫びたい! 


 でも、できない。絶対に。

 それは、私が公爵令嬢だから。

 そして、彼の婚約者だから。

 彼はこの大陸でもっとも権威ある『帝国』の、新たな皇帝に選ばれた男。プルト伯、フィニス・ライサンダー。

 私はその妻になる女、アストロフェ王家の血を引く公爵令嬢、セレーナ・フランカルディなのだ。

 分別ある貴族の子女は、殿方の前でけっして隙を見せない。婚前ならばなおのこと、陶器人形みたいにしていなくては。


「あなたの魂を、私のこの細腕で支えることができるでしょうか。フィニスさまの魂は天を駆ける狼の魂なのではないかと、帝都の姫君はみな噂しております。そう思わずにはおられない、素晴らしい武勲を立てておられますもの」


 私はどうにか上っ面を取り繕って言い、しおらしく目を伏せた。

 こういう清楚な姫らしいしぐさも、詩的な受け答えも、ドレスの選び方、化粧の仕方も、全部、全部フィニスのために覚えた。彼のためだけに。


『これがあなたの婚約者よ』


 といって、初めて彼の肖像画を見せられたのは六年前。

 まだ十歳だった私の頭に、いきなり六門教会の鐘ががらーん、ごろーん、と鳴り響いた。


 はい、好き。

 好きです。完全に好きなやつです。

 なんだこの美形。なんだってことはないだろうけど、いや、ほんと何?

 これ、人間? 同時代に生きてるやつ?


 まず顔がいい。

 それは万人が認めるところでしょう。

 でも、ほら、ね? 無骨な軍人って聞いてたのに、あんまりにも品がいいじゃない? 肌は青ざめた月みたいに白いし、肩まである髪はつやっつやの黒で、私のくるくるふわふわする軟弱な銀髪とは全然違う。

 鼻はきりっと薄くて高くて、あと、目が!!

 目が、金眼ですけど!?

 帝国の貴族と『楽園』の魔法使いにはたまーに出るって噂だけど、初めて見たよ、金眼の美形。絵でこれだけきれいなの、実物やばくない? やばいよね。黒髪長髪に金眼、やばいよね! 語彙力! 語彙力がみるみる死んでいく、すごい、まるで魔法ね!?


 ……いったん落ち着こう。深呼吸して改めて絵を見よう。


 ……うわー……なんだ、このダダ漏れの色気は……?

 なんで婚約用の肖像画だってのにそんな切ない目でこっち見てるんだよ、惚れるだろ。千年前からお前が好きだよ。そういうことにしとこうよ。っていうか、ひょっとしてこの感情は、あれでは……?

 宮廷のサロンで流行ってる、あれ。

 神話上、歴史上、物語上の好きな人物に感じる、『萌え』というやつ。

『好き』よりもさらに重篤なあれを、獲得してしまったのでは――!?


 ……あのときの直感は正しかった。

 以降六年間、私は婚約者に萌えっぱなしなのである。


「天狼ですか。なるほど、わたしが夜空を駆ける星座ならば、地上の刃で死ぬことはないでしょう。軍人としてはそうありたいところですが……困ったな」


 目の前に居る彼は、二十五歳。

 最初に見た肖像画よりさらに凜々しくなり、さらに憂いが増している。

 そんな彼がまつげを伏せて顔を傾けると、当時よりも長くなった黒髪がばらりと顔にかかる。その髪の毛になりたい。漆黒の軍服の金モールになるんでもいい。さらに強欲になっていいなら、黒革手袋のきちっと揃った縫い目に生まれ変わりたい!

 つやつや乗馬ブーツにキスできるなら、虫けらになったっていい……!!


「私、あなたを困らせてしまいましたの? なんて罪深いことを……」


 宮廷語で千語くらいの萌え叫びをかみ殺し、私は寝椅子から体を起こした。

 窓辺にたたずんだままのフィニスは、私を見つめて微笑む。


「わたしが星座になってしまったら、あなたと共に生きられません」


「満点ッ……!!」


「……満点?」


 フィニスが不思議そうな顔になった。

 危ない。完璧に本音が漏れた。

 私は超高速で巻き返しを図る。


「ま、満天の星、そう、あなたが天狼座になるのなら、私もまた、満天の星をまとって夜空に登りましょう。あなたのためなら、新たな星座を作りましょう。私は永遠に、あなたのそばにいたいのです」


 喋りながらも、清楚なドレスの中は汗でだらだらだ。

 フィニスはしばし黙りこんだが、すぐにこのうえなく優しく微笑んだ。


「あなたのような姫君に、そのような熱烈なセリフを言わせてしまったことを許してください。わたしは、間違いなくしあわせだ。一刻も早く『楽園』で戴冠し、あなたを妻に迎えたい」


「私も同じ気持ちです。……もうすぐですわ。『楽園』まではあと三日の旅程です」


「それまで自分の心を抑えておけるかどうか。かつてない厳しい戦いになるでしょう」


 フィニスも旅先でゆるんでいるのか、結構きわどいことを言う。

 それでも下品にならないところが最高です、私の推し様。

 あなたは本当に美しい。そして、優しい。

 今までの六年間、あなたが私の理想から外れたことは一度もなかった。あなたほど推し甲斐のある推しは、この世のどこにもいやしない。


 あなたは星。

 あなたは宝石。

 あなたは奇跡。


 本当に、このひとと婚約できてよかった。

 今後、皇后となった私にどんな苦難が降りかかってくるかはわからない。

 でも、彼と一緒なら。

 彼に降りかかる火の粉を払うためなら、あらゆるものを乗り越えていける。


「フィニスさま。私――」


 私は口を開いた。

 お姫さまの定型文ではなくて、本当の気持ちを、少しでも伝えたかった。


 そのときだった。

 ぼんっ、と、何かが破裂するような音が遠くで響いた。

 フィニスがはっとして扉のほうを見る。

 不安になって、私は問う。


「なんの音ですの?」


「あなたはそこにいてください。わたしが確かめます」


 フィニスの声は刃のように鋭くなり、金の瞳はぎらりと光った。

 狼。

 巨大な黒狼を思わせる彼の態度に、私は固まる。

 フィニスは音もなく扉に歩みより、ノブに触れながら扉の向こうの様子をうかがう。


「……ひとの気配は、」


 彼がそこまで言ったところで、扉が大きく彼の方へたわんだ。

 何、と思った直後、フィニスがきびすを返す。

 彼は私のほうへ駆けた。


「セレーナ!!」


 血を吐くような叫びと共に、軍服の両腕が伸びてくる。

 あっという間に、私はフィニスに抱かれた。

 推しに、ついに、抱かれてしまった。

 感慨に浸る間もなく、たわんだ扉が吹っ飛び、粉々になる。

 扉の木片が一気に迫ってくるのが、妙にゆっくり見えた。

 そしてその向こうから、猛烈な炎の固まりが押し入ってくる。

 迫ってくる。私たちに。

 

 ――熱い。

 ――フィニスさま。

  

 そのふたつの単語が頭の中にぽかんと浮かび、私の意識は消し飛んだ。


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