なろう小説を書くことはカラオケで歌うことに似ているのではないだろうか
なろう小説を書くことは、カラオケで歌うことに似ているのではないかとふと思った。
この2つに共通することは、どちらにもプロが居て、そのプロが発信する作品を一般の人間である我々が、読む・聞くことで楽しむという形態が成り立っている。
その中で一般人は作品を受けとって楽しむという側から自分達も作品を作る側に回りたいと思うことは至極当然の流れだと思う。
ただ単に歌うのが好き、文章を書くのが好き、ということもあるかもしれない。
しかし、作る側に回ることで、創作の楽しみや多くの人に作品を聞いて貰い、見て貰い、称賛を受けたいという感情もあると思う。
その考えは、おかしいと思う方もいるかもしれない。
なぜなら、小説を書くということに活動と同等に価する音楽活動は作詞・作曲ではないかとも考えられるからだ。
それは確かにそうだろと思う。
なろうで小説を書くことは、自分で作り出した作品であろう。
カラオケではプロが作った曲を歌うだけだ。
だから、カラオケとなろう小説を同列に考えることはその面で言えば、確かに違って来ると思う。
ただ視点を低い敷居で活動できるといった点に落として考えて頂きたい。
まず曲を作るということは楽器を弾くことが出来なければいけない、それ以前に楽譜を読むことが出来なければいけない。
つまり、その活動をする前段階としてそれなりな、知識と技術を仕入れなければいけない。
なろうで小説を書くことには、準備の段階でそこまでの労力は必要としない。
文章の構成力や語彙力といったものはいい作品を書こうと思えば当然必要だし、練習も必要だろう。
しかし、質を考えなければ、文章を書くといった活動に必要な能力は、義務教育の中や日常生活で身に付けている。
つまりはスマホ1つあれば準備は事足りる。
この敷居の低さは音楽で言えば歌を歌うこと。
つまり、他の人に称賛して貰うためには、音楽ならカラオケ、文章なら、なろう小説といった図式に当て嵌めることができるのではないか。
文章はブログでもいいかもしれないが。
ギャーーーーーーーーー!
ここまで、対して構想も練らず、つらつらと思い付きでこの文章を書いてきたが、重大なことに気が付いてしまった。
なろう小説に対しては歌関連の動画投稿
カラオケに対しては某つぶやくSNSのくらいの方が釣り合うやんけ。
破綻した……