信託と刻印
レヴィアは少し溜めた後、覚悟を決めたように話し始めた。
「どうやら、突然この街に選ばれし者なる男が現れたとおっしゃられたの……」
「はあ?突然現れただと!?」
驚きのあまり大きな声を上げてしまう。教会をおとずれていた人達はその声に反応し、こちらのようすを伺っていた。
「突然大声をあげないでよ……。私だってこんなのが神託だなんて信じられないわ……。だっていつもならもっと直接的なものが多かったんだもん」
「でも、実際神様からそう聞いたんだろ? なら間違いねぇだろ 」
ルシフにとってもそれは不思議なことだ。いつもならもっと直接的に聖者が生まれたというような神託があるはずだった。いつも、レヴィアから聞かされている。
「でも、神様の声がいつもと違ったのよね……。それに神様以外にも誰かの声が聞こえたし……」
「誰かの声……?」
明らかになにかがおかしい、ルシフはそう思い一つの仮説を立てた。
「その神託ってどこで聞いたんだ……?」
そんなことをルシフが聞いたのは初めてのことだった。レヴィアはわけがわからなそうに小声で答えた。
「ちょうどこの街に来た時、馬車で眠りってしまった時だったかしら……。なんだか、神託が聞こえてくる時にあるような変な気分になったの。いわばトランス状態ってやつかしら?その時どこかから声が聞こえたの……。この街には『選ばれし男』がいるってね。」
その答えにルシフは自分の仮説が的中したと確信した。
「もしかしてそれって……、街の住人の声とかじゃないよな?」
「そんなわけ無いじゃない。だって私は神託を聞いた時のような気分だったんだから……」
「まさか酒とか飲んでないよな……?」
「聖女がお酒なんて飲むわけないでしょ? 貢ぎ物のなかにあった葡萄ジュースならのんだけどね」
おそらく葡萄酒だったのだろう、ルシフは心底ガッカリした。この街で刻印持ちは自分だけだ。もし、刻印が変化したというのなら自分の可能性が非常に高いと思ったからだ。彼女が悪いというわけではないが、なんとなく恨めしい気分になる。
だが、ここまで目を輝かせて神託だと信じるレヴィアに、恨みを返すように真実を話すことは出来ない。
話を終えると彼女はすぐに教会をでて行った。酒場で情報を集めるらしい。おそらく、大した情報は見つからないだろうと哀れに思うルシフであった。
彼もいつまでも一人でそこに立っているわけにもいかず、懺悔室へと戻る。おそらく、今日は誰も来ないかもしれないだろうが、それでも神父の大切な仕事の一つだ。サボるわけにはいかない。
「それにしても、ようやく夢が叶うかもっておもうとやっぱり諦めきれないものだな……」
ルシフは誰にも聞こえないようにそう呟いた。
彼は道半ばで夢を諦め、王都への出稼ぎを切り上げたがそれでも夢を完全に忘れることは出来ない。それは彼自身痛いほど感じていた。
だが、彼の夢であった王国騎士団に入るということは、獣の刻印を持つ彼にとっては非常に難しことである。
いまの王国騎士団の団員は僅か20名で、その中には獣の刻印を持つ者は一人たりとも存在していない。なにより、最後に獣の刻印を持つ者が王国騎士団に所属したのは300年近くも前の話だという。それだけでも彼にとっては希望は少ないのに、刻印を持たないものでも最後に団員になった人物は10年も前のことだ。
確かに、獣の刻印を持つものは王国騎士団にはいないが、王国魔術団の方には多くいる。絶対に希望がないと思えるからこそ、現実がルシフを絶望の底へと突き落とした。
それ故に彼はレヴィアの言葉に期待してしまった。
しかし、彼はまだ気がついていない。
『努力をやめた者に結果などついてこない』ということ。
それだけ、まだ自分に可能性が秘められているということにも気がつかないまま、誰かが自分を成功に導いてくれると勘違いしている。それこそが、彼が4年間なにもしてこなかったつけなのだった。
ルシフが今まで何の努力もして来なかったのかといえば、決してそのようなことはない。
---ルシフは、昔を思い出していた。
彼は生半可な覚悟で王都へと向かったわけではない。ただ、故郷では今までに他の獣の刻印を持つ者にあったことはない。だからこそ、その意味がわからなかっただけだ。
王都に出ると、獣の刻印がもつ意味を強く痛感させられた。
獣の刻印を持つということ、それは無条件に差別される。区別ではない。完全な差別だ。
その刻印を持つ、そのためだけに入ることが出来ない店もあるぐらい酷かった。だが、それも獣の刻印をもち悪事を働く者達、つまり、悪魔に家族を奪われた者もいる。だからこそ、こんな差別があるのも仕方のないことかもしれない。
騎士になるためには、騎士と魔術師を育てる王都立防衛学校に行く必要がある。だが、その学校の学費はとても庶民に払えるような者ではない。そのために、奨学生制度があるくらいだ。
もちろん、獣の刻印を持つ者が奨学生として選ばれることなどあり得ない。たとえそれが、どれほど優秀な人物だったとしてもだ。だからこそ、ルシフは働きながら学校に通った。
しかし、ルシフが学校に入った年には、聖なる刻印を持つ将来有望な男がいた。彼こそが、現在王国騎士団の団長である、空の王者ジゼルだった。
ジゼルは聖なる刻印を持つというだけで、奨学生に選ばれ、教師や他の生徒からも厚い信頼を受けていた。
それは、ルシフ含め獣の刻印を持つ者にとっては、妬みの対象にしかならない。獣の刻印を持つ者、聖なる刻印を持つ者、双方はその時点で能力面で見ても大して差はない。それにも関わらず、聖なる刻印を持つ者が優先される。
それはあまりにも酷なことだが、それこそが刻印の持つ意味なのだろう。
半年ほど過ぎた頃、耐えきれない者は、学校をやめていった。だが、ルシフは絶対に諦めなかった。
この頃になると、ルシフは刻印を持つ者の苦難についてよく分かっていた。
刻印を持つ為に、苦しみを受ける。それはジゼルにとっても例外ではない。ルシフはそのことを知っていた。
ルシフとジゼルは同じ悩みをもつ似た者同士なのだ。それで、仲良くならないわけがない。だからこそ、ルシフはジゼルの苦しみをずっと見てきた。
皆に天才と思われているジゼルこそ、この学校で1番の凡才なのだ。ただ、誰よりも努力を重ね天才であろうとした。
沢山の者達から与えられるプレッシャーの重圧に耐えられるように弛まず努力をし続けた。
ルシフは彼から何度も聞かされた。彼は戦いが嫌いなのだ。それでも、聖人として生まれてしまったからには戦う為に努力をしなければならなかった。
そんな彼を見ていたからこそ、ルシフは努力をやめなかった。それを見たジゼルも負けないように努力をし続けた。
学校を卒業するまでには2人で1.2を争い、最終的にはジゼルが首席で卒業、ルシフは僅差で負けてしまった。
努力はすればするほど認められる。そう思うのは彼らが若かったからであった。
結局、彼らの世代で王国騎士団入りを認められたのは、ただ1人。
ジゼルだけだった。
もちろんルシフも王国騎士団を希望していたし、実力面でも問題は無いはずだった。ただ、獣の刻印を持つ者というそれだけの理由で認められなかった。
だけど、それからもルシフは努力を続けた。
努力し続ければいつか認めてもらえると信じていた。
だが、その夢は儚くも消え去った。そうして、失意の中で故郷へと帰ることにした。
それこそが、彼が4年もサボった理由だ。---
「って、俺は何昔のことなんか思い出してんだ!? もう、諦めたばすだろ!?」
そう力の限り吐き捨て、懺悔室の壁を殴りつけた。
ルシフは結局、諦めることなど出来なかったのだ。妥協で神父を生涯の仕事とすることなど、母や父に対しての冒涜にもほかならない。
「諦め切れないなら、どうして努力することをやめたんだ!? いつから、俺はそんな情けない奴に成り下がっちまったんだよ!?」
そう自分自身に問いかけ続けた。問いかけながらもう1つの誓いを立てた。
「俺はもう諦めねぇ!! 絶対に騎士団に入ってやる……。 それがお前との約束だもんな!!」
ルシフは友と立てた誓いを胸に、努力することを思い出した。たとえそれが、認められることのない努力だとしても次は決して諦めないだろう。