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僕は君を忘れるから  作者: あやちょこ
3/5

宵の口

 神山の父親が退院して、神山は病院に行くことが無くなった。それでも理央とは連絡を取り続けている。仕事の合間に入って来るメッセージ。夜に交わす画面上での会話。相変わらず理央は無邪気で、なんにでも興味を示した。そう言うことを繰り返すうちに文字を打つのが面倒になり、音声で会話を交わすようになった。


 神山には常に背徳感と共に、潤の蒼白い顔が浮かんできたがそれでも理央が望む限り会話を交わしていた。


 正直、可愛いと思う。顔だって悪くないし、会話をするのも楽しい。それでも、理央の指には指輪がはまっているし、理央より4個も上の自分が道を外すわけにはいかないと、強く言い聞かせていた。


 夜、決まった時間にスマホが鳴る。神山はスマホにマイク付きのイヤホンを差す。それにも興味を示した理央も教えてあげた次の日には、同じようにしてみたと笑って話していた。


 「これ、楽ですね。手で持ってなくていいし、ゴロゴロしてても話せちゃいますから」


「そうだね。理央ちゃんの声はのんびりしてるから、そのまま寝ちゃいそうだよ」


ふふふっと理央の楽しそうな笑い声が耳に心地よく届く。


「神山さんが横で眠そうにしてる気がします」


神山は二人で並んで寝そべってる図を想像して、気を紛らわすように立ち上がる。


「あ、動いた? 今、動きましたよね? 」


「よく解るね。ちょっとベランダに出てみようと思って」


そう言いながらスマホをポケットに入れて歩いて行く。かちゃっと鍵を開けると窓を開けて、夜のひんやりとした空気を吸う。


「あー、もう随分欠けてきましたね。ついこの間満月だと思ったら」


電話の向こうで理央が夜空を見上げているのを神山はしっかりと想像出来た。


ベランダの欄干に寄りかかった神山が「そうだねぇ。ウサギもさぞ狭いだろうに」そう言うと、ふふっと理央が相槌の様に柔らかく笑った。


 「ああ、そう言えば明日テレビで見たい映画がやるんだ」


神山が映画のタイトルを言うと「面白いんですか?」と、それにも理央は興味を示す。


 それはシリーズもので海賊が活躍する映画だった。


「面白いらしいよ? 見たことないなら一緒に寝転がって見るか」


「見ます! えっとじゃあ、私ポップコーン買ってきます」


暗に互いに違う所でと言う意味を含んだつもりだったので念のため神山はこういった。


「じゃあ、僕も買ってくるよ。違う場所で見てても一緒に見てるみたいになるね」


「そうですよね! 本格的なポップコーン買ってきちゃおうかな」


理央もきちんと別々に見ることを言っていたのだと知って、神山は半分安心し、半分残念に思う。


「明日の9時だから。しっかり準備して待ってて」


神山の言葉に「神山さんこそ! 私、神山さんの帰宅時間見計らって『ポップコーン』ってメッセージ送りますよ」と念を入れて返す。


「そうしてくれると嬉しいよ。忘れそうだ、ポップコーン」


「神山さん、月見て!」


「見てるよ」


「ほら、なんだかバターがかかったポップコーンみたいでしょ? そう思ったら忘れないでしょ?」


神山は少し雲を被った月を見て苦笑する。バターの色には似ているけれど、ポップコーンには見えない。


「見てます?」


苦笑していた神山に理央が耳元で突っ込みを入れる。


「ああ、見た見た。なるべく上を向いて歩いてればコンビニ寄るの忘れなそう」


「忘れないでください」


「うん、大丈夫だよ」


「本当ですか?」


「理央ちゃん連絡くれるんだよね?」


「絶対入れます」


理央の力の入れようにまた神山が笑いをかみ殺す。そして、暫く話してから電話を切った。


 見上げた夜空に月が浮かんでいる。少し肌寒い。


 いつも感じる小さな罪悪感。彼は、何を思ってベッドに横たわるのだろう。僕は一体何をしているのだろう。


 月の横で輝く星が、理央のしていた指輪の輝きに似ていて、胸の奥が小さく痛む。


 翌日、帰宅時間を見計らって理央が宣言通り『ポップコーン』と言うだけの解りやすいメッセージを送って来た。スーツのネクタイを緩めながら神山はスマホのそれを見て小さく笑う。


 まだうっすらと残る夕暮れの名残に、白い月が浮かんでいた。昨夜、見上げた月よりもよっぽどポップコーンに似ている。


 理央のお陰で仕事から一気に解放され週末気分を味わうことが出来る。やっと週末、やっと夜。待ち遠しく感じてしまうのは仕事から解放されたからだけだろうか。


 白い月の周りにはまだ明るすぎて星が出ていない。出てはいないけれど、あるのだと視線を下ろす。すぐに夜になり、そして星たちは姿を現す。存在を主張するように今夜もきっと輝くに違いない。


 今日も良く晴れていたし、明日も先ほどまで綺麗な夕焼けだったから晴れるはず。


 今だけ。星がないのは今だけ。


 感傷に浸っている自分に首を振って約束通りコンビニに寄って帰る。勿論、手にはポップコーンの入った袋を下げて帰る。


 君が僕を待って居る。僕らは一緒には居られないけど、それでも一時、楽しい時間を過ごそう。君が望むなら、そうしようと神山はサラリーマンの群れに混ざって歩いて行く。




 食事を軽く済ませ、風呂に入ってから、9時ちょっと前にテレビの前に胡坐をかいて座った。そして、メッセージを送る。


「そろそろかけるよ?」


送った途端に「はい!」と返事が送られてくる。その速さにふっと笑ってから目を細めて画面を見つめる。片方の耳にだけイヤホンを差す。そして、毎日押している理央の画面をタッチして呼び出す。


 「良かった! 間に合わないかと思ってました」


第一声は「こんばんは」でもなくて、いつも言う「お仕事ご苦労様です」でもなかった。声がいつもよりちょっと高い。


「僕は結構きちんとしてるんだよ」


「解ってます!」


 そう、僕らは実際、実質20キロ近い距離がある。神山はきちんとその距離を保っている。父親が退院してから病院には行ってないし、理央とは会っていない。


 でも、耳元で「一緒に映画見るなんてちょっと不思議です」と、理央の弾んだ声がする。


「同じようにポップコーン片手にね」


「そうです、そうです」


「コンビニでちょっとおいしそうなお菓子を見つけて……」


「あ、浮気したんですか?」


「いや、してないよ。大丈夫」


 大丈夫、浮気はしてない。テーブルの上に置かれた小袋のポップコーンを取り上げて、ばりっと音を立ててそれを開ける。


 「なんか、コンビニでポップコーン買うなんて初めてだったかも」


袋をテーブルに戻すと、オープニングが始まったテレビ画面を見る。


「そう言われると、買うことないかもしれません……この人は酔っ払い? 」


画面に移された海賊がよたよたと歩いて来るので、理央が耳元で聞いて来る。


「んー、そう言う歩き方なんだよ」


「そうなんですか」


 そんな風に二人はのんびりと違う場所で同じ映画を鑑賞する。たまに、理央が質問して神山が返事をする。時々、ポップコーンを噛む音がして、飲み物を飲む音もマイクが拾う。すぐそばに居るような、でも触れられない距離で二人は夜を過ごして行った。



******


 息を切らせて走ってやって来る理央を朔は待ち構えていて、捕まえる。


 夜の病院は、昼間の喧騒が嘘のように建物がひっそりと静まり返っている。大病院らしく、その静けさを救急車の赤いランプが破って行くのが見えた。


 「潤の容態、安定したから。他の患者さんは寝てるんだからここでちょっと落ち着けって」


朔の言葉は、はぁはぁと前を見据えたままの理央に、ちゃんと届いているのか朔には懐疑的だった。

朔に肩を掴まれゆく手を阻まれて進めず、しかし、気持ちはもっと前に、ずっと前に飛んで行ってしまっている様だった。


 「あ、朔くん」後から走って追いかけて来た理央の母親が、朔を見て声をかける。


「こんばんは、危機は脱しましたから。今、潤のご両親が見てます。良かったら先に行っててください。理央を落ち着かせたら向かいます」


理央の母は娘を見てそっと腕に触れながら「先に行ってるわよ」と言って静寂につつまれた、病院の緊急出入り口に消えて行った。理央ははぁはぁと乱れた呼吸をしたまま、母親が消えた入口を見ている。


 「とりあえず、何か飲もう」


朔は理央の手首を掴んでぐいぐいと外にある自動販売機に向かう。


「潤に、潤に会わなくちゃ……」


理央は朔に掴まれた腕を振り払おうと、手を振る。


「いいから、落ち着けって。今日はもう大丈夫だって言ってたから」


朔は自分のスマホを自動販売機にかざすと、電子マネーでジュースを二本買う。一本を掴んで理央に渡してから、もう一本を掴んで自分で持つ。相変わらず手首を掴んでいて離すつもりはないらしい。近くに置いてある赤いベンチに理央を引っ張って連れて行くと、一緒にどさっと座った。そして朔は、酷くゆっくりと理央の手首から自分の手を引いて、その代わり理央の持っているジュースを取り上げる。ぼんやりした理央のペットボトルのキャップを開けるともう一度同じ場所に戻してやった。


 「飲めって。落ち着けよ、もう大丈夫なんだから」


理央はスローモーションのように自分が手にしているジュースを見下ろした。


 「私……テレビで映画を。神山さんと一緒に……」


朔は自分のペットボトルを開けて「付き合い出した?」いつも通りの声音で問う。理央ははっと顔を上げて「ううん、電話しながら見てただけ。一緒に居たわけじゃない」と付け足す。


 朔は理央のスマホに何度かけてもつながらなかった理由を知って、責めもせずにただ頷く。


「ご、ごめんなさい」


責めていないのに、理央はまるで怒られた子供の様に小さくなって、顔を歪める。


「謝ることじゃないと思うけど、連絡は着くようにしておくべきだな。俺も今度、繋がらなかったら家に直接かけるよ」


うなだれて小さくなる理央は「ごめんなさい」と、もう一度消え入りそうな声で繰り返す。


 ペットボトルを口につけようとした朔が眉を寄せて、口をきゅっと閉じる。


「謝るなって。連絡さえつけばいいよ。俺はお前が神山さんって人と付き合ってもいいと思ってるし。たぶん、みんなそう思ってる」


「付き合ってない」


理央の声は本当に小さくて、風の音にすら負けてしまいそうだった。


「解ってるって」


「……ごめんなさい」


 今度こそ、風が理央の言葉を攫って最後はかき消されて行った。




*****



 神山は理央と映画を毎週見ていた。シリーズは四部作で、三作目まで見終わっている。


 神山は最近、理央からの連絡がめっきり減ったことが気になっていた。電話もしたがらないので、三作目を見た後は会話をしていない。だから、四作目を一緒に見るのかどうか、神山は迷っていた。


 誘うべきなのか?それとも、このままそっとしておくべきなのか。潤の具合が急変したのではないだろうか。もしかすると、亡くなった可能性もある。そうなると、電話や映画どころではないはずだ。


 あんなに毎日連絡を取り合っていたので、鳴らなくなった着信音や、聞けなくなったのんびりした声が、神山は正直恋しかった。そう振り返ると、気持ち的には一歩踏み出していたのだと、認めざる得なかった。同情とかそう言うことではなくて、ただ単純に明るくて可愛い理央に惚れていたのだ。潤と言う存在を意識してもなお惹かれて行ったんだと思う。


 ぼんやり見つめていた先でスマホが小さな着信音を上げる。神山が手を出して、画面を確認すると理央からメッセージが届いていた。


「明日は一緒に映画見ますよね?」


神山は文字を三度ほど読み返してから「僕はそのつもりだったよ」と、返事をする。


「じゃあ、ポップコーンを用意しなくちゃいけませんね」


いつも通りの理央らしい返事が来る。


「そうだね。明日買って帰って来るよ」


「はい。では、明日楽しみにしてます」


 ちょっと前までだったらもう少し長いやり取りをしていたはずなのに短い。神山は暫く画面を見つめてから、それをひっくり返して目を閉じる。


 明日でシリーズが見終わる。なんだか、寂しく感じてしまう。


次の晩、神山は、想像よりずっといつも通りの理央に、驚いていた。一緒に軽口をたたきながら映画を楽しんでいる。ポップコーンを食べる音も聞こえたし、笑うシーンではきっちり笑って居た。それなら、それでよかった。映画の内容が入って来ないまま神山はそう思っていた。


 映画は12時ごろ終わり、いつもなら「お疲れ様」といって通話をやめるのだが、今夜はそうならなかった。


理央が「もう少しこのままでいいですか?」と、おどおどと神山にお願いする。


「ああ、構わないけど。理央ちゃん、眠くないの? 」


神山は理央は12時頃眠りにつくことを、今までのやり取りで知っていた。


「今日は全然眠くないです」


毅然と言い切る理央に首を傾げて「そか? じゃあ、眠くなるまで話してる?」と、言った神山の言葉に、理央が頷いている気がした。



 それからは一週間ほとんど話せていなかったので、食べたものから、天気の話や本当に他愛もないことばかりを話して行く。途中、神山が横になるとそれにならって理央も横になった。


「寝転がって話すと本当に横に神山さんが居るみたいです。目を閉じると、すぐ横に」


神山も目を閉じる。


「そうだね」


暫く沈黙が流れてそして理央が耳元で囁く。


「電話、切りたくないです」


「うん」


「ずっと、話して居たい」


「うん」


「でも、眠くなってきちゃって」


「寝たらいいよ」


「眠りたくないです」


神山は睫毛を上げて天井を見上げる。


「なぜ?」


「寝たら終わっちゃいますから」


理央の声が震えている気がした。姿が見える訳ではないから定かではないが、神山にはそんな気がした。


「理央ちゃんが眠りに落ちるまで切らないでおこう」



「……眠りたくない」


更に声が震えて、神山は確信する。泣いている。そうか、眠ったら終わってしまうのか。神山は全てを悟る。


「抱っこ……して欲しいです」


ああ、そうだね。


神山は再び目を閉じて腕を目の上に乗せた。


「うん」


してあげたい。


「寝たくない」


「うん」


神山には叶えてあげることが出来ない。理央は遥か遠くに居て、抱きしめてあげることは叶わなかった。
































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