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流れ星  作者: 竹内 なな
3/5

♠️ 彼

『ほっといてくれ』

視界の隅で何か言っている女性に、俺はそう言った。


もう どうでもいい・・・・やっと このまま野垂れ死ねそうなのに、余計な事をして欲しくなかった。


声は喉の奥で絡まり、形を成さないばかりかヒリヒリと焼け付くような痛みを悪化させる。


こんなに痛むのは、水が切れて丸3日以上経つからだった。

脱水が原因で死ぬ方が 徐々に餓死するより苦しまないで済むんじゃないか・・・・・コンビニで水を1本だけ買って、残りの所持金はレジ横に置いてあった募金箱に寄付した。数百円しかなかったけど、誰かの役に立ってくれる方が食料を買うより有意義だとあの時は思えた。


身元が割れそうな物は、もう財布しか残っていなかったからコンビニのゴミ箱に捨てて、死ぬ場所を探す為に買った水をチビチビ飲みながら歩き続けた。その間、ずっと食べ物を買っておけば良かったと後悔した。


大体、脱水症状で死のうとしてるのに水を買ってしまう辺りが根性なしだ。


自殺のメッカ、富士の樹海をなんとなく目指していたけど、途中で どこで死のうが大差ない事に気付いた。アホらしい・・・・邪魔が入らなければ問題ないじゃないか。

水を飲み切る前に 終の住処を見つけられた事に俺は安堵した。あれから3日・・・・


どうやら失敗したのか?ここまで苦しんで失敗なのか?


向こうに行けと 手で追い払うジェスチャーを試みるも、痺れて手も上がらない。諦めて目をつぶると彼女が遠ざかる気配がした。



(それでいい・・・・・)


もう誰とも関わりたくなかった。頭が朦朧とする。


後 何日、苦しんだら開放されるのだろう。食べたい・・・飲みたい・・・・・食べたい・・・・・飲みたい・ ・ ・ ・


意識と頭が朦朧とするのに欲求は荒波のように押し寄せてくる。

“緩慢な自殺” という選択肢を選んだつもりだったが、そんな甘いもんじゃなかった。

脱水が原因の餓死・・・・・それはどれだけ時間がかかるんだろう。後どれだけ死の恐怖と飢餓感を味あわないといけないのか?


あと少しだ───体が動かない。もう自力では助けを呼べなくなる。ここからが本当の地獄かもしれないけど、生きたいと渇望する本能より俺の精神力の方が勝ったんだと思いたかった。



開け放たれたドアから、雨で湿った土の匂いが入ってくる。


(開けたら閉めてくれよ)


急激な眠気に襲われて 意識が遠のいていく中、まだ幼かった頃の記憶なのか 夢の中なのか分からないものを見た。きっと この匂いのせいだ。



蛙が跳ねている・・・雨上がりの草むらで、俺は夢中になって蛙を捕まえていた。母さんがそろそろ帰って来る。少しでも大きな蛙を捕まえてびっくりさせてやろう。


どんなに遡っても父親の記憶はなかったが、女でひとつで俺を育ててくれた母さんの笑顔が何よりも大好きだった。どんな時だってよく笑い、太陽のように自分を照らしてくれた。


「立派な蛙さんだねぇ」


目を見張って にっこり笑う。ほら やっぱり・・・・・その言葉と笑顔が見たくて何時間も蛙を探し回ったんだ。


母ひとり子ひとりの母子家庭だったけど寂しいと思ったことはなかった。県営団地の草むらで遊んでいると、6時を知らせる音楽がかかる。暫くすると、きびきびとした足取りで買い物袋を下げた母さんが帰ってくる。俺を見つけると「ただいま」と手を振り笑顔を向けてくれた。


母さんの帰りをただ待つだけの子供から家事のひとつも手伝える中学生になり、高校ではバイトをして家計を助けられるようにもなった。

月に1度、給料日に1万円を 黙ってテーブルの上に置いておく。化粧品でも服でも好きな物を買って欲しいと思った。


最初の数ヶ月は「貰えないわ」と嬉しそうな困った顔で返そうとしたけど、頑として返金を拒否する俺に負けて、素直に受け取ってくれるようになった。

照れ隠しもあって、背を向けたままテレビなんかを見ている俺に、


「流ちゃん、いつも ありがとう」


と、お礼を言う。ぴらぴらと手を振って振り返りも返事もしない俺を、母さんはきっと微笑みつつ見ていたと思う。


世に言う マザコン なのかもしれない。ただ、マザコンの何が悪い?当たり前のことじゃないのか?


親が愛情を持って子供を育てるのが正しいなら、愛情をもらって育てられた子供が親を大切にしたいと思うことは自然だと俺は思う。


グレることもなく、高校3年間をバイトとバスケット

(あえて勉強と言わないのは、留年しない程度にしかしなかったからだ)に明け暮れて卒業した。


進学は元から考えていなかった。地元の企業にでも就職しようと思っていたのだ。選り好みしなけりゃ就職できるだろうと安易に考えていたのが甘かったのか・・・・・片っ端から書類選考と面接に落ち続け、結局フリーターになってしまった。


家から自転車で通えるからという理由で高校を選んだこと。『てんかん』の持病があること。発作を起こしてしまったせいで、後1年は車の免許が取れないこと。特待生になれるほどバスケの才能も実力もなかったこと。無駄な3年間だったんだろううか。


まともな就職すらできないなんて・・・・・想像もしていなかった。



拝啓

この度、当社の採用試験ならびに面接に多忙なところご来場いただきまして、ありがとうございます。つきましては、当社において厳選な審査を執り行いましたが、何分採用人数が少ないために、貴殿は第一選考から外れる結果となりました。

せっかくのご希望にお答えできず、誠に遺憾と存じますが、何卒ご理解のほどを賜りたいと存じます。




どんなに丁寧に書かれていたって、君は必要ないと ただそれだけのことだ。

不採用通知も十通を超えると、自暴自棄な気持ちさえおこらなくなり、全てを否定されているような鬱々たる思いが澱のように溜まっていくのだった。


正社員枠でただ就職をしたいと思ったことがよくなかったのかもしれない。母さんみたいに時給制の正社員を選べば良かった?だけど、時給800円足らずの正社員なんて今のバイトより安い。


文句も言わず十何年も、手取り12万位にしかならない仕事を続けるなんて・・・・・


「なんで転職しないの?もっとマシなとこあるだろ?」

そう 母さんに聞いた事がある。

「家から歩いて10分で夕方には帰れて 、お休みも頂きやすくて・・・・・給料は確かに沢山ってわけではないけど母さんは満足してるのよ。今更 転職する気はないわ」

笑顔でそう返された。

確かに授業参観や病気の時 仕事だからといって俺を独りにした事がなかったなと思い出す。俺と生活していく為の仕事であって、優先順位は常に俺だった。



それが・・・・・そんな生活が崩れだしたのは、俺の就職活動が行き詰まりだした去年の11月頃だったと思う。正確には分からない。自分の事で精一杯だったこともあるけど、母さんは『普通通りを装うこと』に命をかけていた。文字通り、命をかけて俺を欺こうとしていたんだと今なら分かる。


母さんは この頃から仕事を休んで横になっている事が多くなった。心配する俺に、


「ちょっと風邪をこじらせちゃったかなぁ。歳には敵わないわね・・・・布団なんて敷いてるから、横になりたくなっちゃうんだわ」


と大したことのないフリをして、布団をたたむと夕食の支度をしようとする。


「無理すんなよ」


再び横にさせて、こんなに痩せてたか?と顔色も悪い母さんの姿に一抹の不安が過ぎった・・・・・本当は不安で堪らなかった。でも心配すればするほど、母さんは無理をして元気なフリをする・・・・そう思って何もできなかった。



高校を卒業して4日目の朝、それは突然 なんの前触れもなくおきた。朝ごはんを食べ終わった俺の前に、通帳と印鑑を置いて、


「この家から、出て行って欲しいの」


と母さんは言った。何の冗談かと思う。俺は通帳を手に取ると、ペラペラとめくった。俺名義の通帳、コツコツと毎月5千円、多分 俺がバイトを始めてから1万増額されて積み立てられた総額130万もの金が明記されていた。


「なんでだよ。俺が邪魔なのか?結局、フリーターなんてみっともないか?」


そんなことじゃない・・・・世間体がどうのと言う親じゃないのは分かっていた。なのに止めらない。


「それとも、好きな男でもいるのかよ。恋煩いで激ヤセとかみっともねぇよ。ふざけんなよ!」


思ってもないことが口をつく。


「ふざけてなんかないわ。もう うんざりなのよ」


テーブルの椅子を引くと億劫そうに座り、母さんは顔を手で覆った。


「最近、体調が良くないのは分かってるでしょ。お医者さんは疲れだろうって言うけど、あなたの世話までとても出来ないわ。たとえ あなたの言う通りだとしても非難される筋合いなんてない。これだけあれば住むところだってなんとかなるでしょ。自立しなさいと言ってるのよ」


「はっ、誰が世話焼いてくれって頼んだよ。俺がいたら邪魔だって言えばいいだろ!」


「とにかく、お願いね・・・・・」


人は あまりにも動揺するとフリーズするのだろうか。通帳を握りしめたまま動く事も言い返す事もできなかった。やっとの思いで通帳をテーブルに叩きつけるように置くと自分の部屋の襖を閉めた。


「なんでだよ・・・・・」


膝を抱えてうずくまる。これ以上、母さんに暴言を吐きたくなかった。何か大切なことを見落としている。考えろ、何か理由があるはずだ。

自分の記憶に問いかけても確証のある答えに至らず、本当に好きな男がいるのかもしれないと思った。


今まで、俺の為に生きてきたようなものだ。それならそれで・・・・・仕方ないじゃないか───とりあえず出ていこう。なんにせよ、出ていけと言っているのだ。


鉛の様に重い体に鞭打つように立ち上がると、スポーツバックに2日分の下着とジーンズ ・ トレーナーをひと組入れる。それだけでバックは余裕がない状態になり、他に何も入りそうもなかった。

部屋をぐるりと見渡す。

有名なバスケットを題材にした漫画。

大切にしていたバスケットボール。

服装には あまり頓着なかったけど、まとめれば衣装ケース2つ分はありそうだ。

全ての物は この部屋にあるから大切なのかもしれない。これだけで十分だ・・・・。


スマホと充電器、2万入った財布を更に押し込むと、部屋と台所を仕切る襖を開けた。


まだ 母さんは椅子に座ったまま、顔を手で覆っている。


「出てくよ」


引き止めてくれるんじゃないかと思った。4月1日はまだ先だけど、「エイプリルフールだよ」と笑顔でおどけてくれるんじゃないかと有り得ない期待をしてしまう。

だけど、母さんは通帳を持っている立ち上がると、無理にでも渡そうと俺の手を取ろうとした。

思わず振り払ってしまい、その弾みで母さんが床に倒れこんだ。一瞬、抱え起こして謝ろと思ったけど、


「そんな金いらねーって言ってるだろ!2度と戻らねーから安心しろよ!」


と吐き捨てていた。一生後悔すると思いながら・・・・・

もう 母さんの姿を見ることが出来ずに玄関から飛び出した。




あれから3ケ月、母さんは もう この世にいない。末期ガンだったなんて気が付かなかったんだ。あんな風に、最期を独りにする気なんてなかった。


もう、俺が死んでも困る人なんていない。

帰る家も、待つ人もいない。






頬に冷たい何かが触れて、不意に現実に引き戻された。強烈な喉の乾きが、精神を支配するかのように襲いかかる。何度この地獄を味わったら死ねるのだろうと思ったとき、口の中に何かが広がった。求めて求めて止まなかったもの。


もっと欲しいと、強烈な欲求が全身を駆け巡り意識が一瞬で覚醒する。


目を開けると彼女がいた。つり目がちの綺麗なアーモンドアイが俺を見つめている。そこからは彼女の意思の強さが伺えた。


この目を知っていると思う。雰囲気も歳も全く違うけど、その瞳は母さんに似ていた。


『生きたい』と願う本能の 凄まじい叫びにも似た痛みが身体を貫いてゆく。


「救急車は必要ない?」


少し怒ったように彼女は問いかけた。俺は頷くと身体を起こそうと身をよじって、彼女の姿が消えた事に気付く。後部座席の足元に、見事に彼女は挟まっていた。ドジな所まで母さんに似ているな・・・久しぶりに笑いたくなった。



俺はこの時、彼女に恋をしたのだと思う。その時は一緒に生きて行きたいと切望するようになるなんて夢にも思っていなかったけど、心を鷲掴みにされたことだけは確かだった。








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