◆ 彼女
車から降りてみたものの、今ひとつ確信が持てずに
雨が降り出しそうな曇り空に目をやった。うかうかしていたら仕事に遅刻してしまう。
雨が降り出したら、長野まで帰るのにプラス20分はみておかなきゃならない。中央高速を雨のなか走るのは苦手だった。
仕事用のピンヒールで 一歩一歩 慎重に目指す廃車に近づいて行く。
足元は 小石と雑草でとても歩きづらかった。ポツンポツンと雨が降り出して、一瞬 出直そうかと思ったけど、またここまで辿りつける自信がなかった。
「この車であってる?」
思わずポン太に話しかけて、最近 話しかけちゃうことが増えたなぁ・・・と思う。
いい歳して クマのぬいぐるみに話しかけるのもどうかと思うのだけど、7歳の時からずっと友達なんだから仕方ない。
喋らない方が不思議なくらい。
本当は生きているんじゃないかと思うほど、私にとってポン太は大切なものだった。
細かいキズが入って白っぽくなったプラスチックの瞳は、いつも私の見方だよと見つめ返してくれる。
口が付いてないから喋れないのだ。
車のキーにぶら下がっているポン太をポケットに入れながら、ポン太は喋れない方が魅力的だと、そんな事を思った。
もし口が付いていていつも笑っているような表情だったら残念な感じがする。
キティラーと呼ばれるキティーちゃん大好き人間よろしく、口が付いていないから表情が固定されず、悲しい時も嬉しいときも気持ちを共有できるような気がするのだろう。
雨脚が これ以上 強くならない事を祈りつつ、転ばないように気を付けながら やっと車まで辿り着いた。
こんなに近づいても確信が持てない。
赤い車だったかなぁ・・・後部座席を窓越しに覗き込むなり
「・・・・・!?」
思わず悲鳴を上げそうになった。
スマホを探そうと思っていたことすら忘れて、じりじり後ずさる。
人間がいる。それも男に見える・・・かなり窮屈そうに足を折りたたみピクリとも動かない。
立ち去るのが無難だと思ったけど、当初の目的を思い出した。怖いもの見たさも手伝い、こっそり確認を試みる。
ドアを開けて後部座席の足元を確認したいとこだけどそうもいかない。
ジーンズに白いパーカー まだ若そう・・・
スマホの捜索よりも男の観察になってしまう。
男にしては長い髪が顔にかかって、肝心の顔がよくみえない・・・いや そう言うことじゃなくて
(死んでる?)
そのくらい彼の顔には血の気がなく、唇はカサつき黒ずんで見えた。
こんな人気のない場所に 若い男がダンボールに入れられた子猫のように捨てられている。
捨てられた子猫なら対処しようもあるけど・・・どうしたものか・・・。てか、死体?
混乱したまま、目を若者から離せないでいると 彼の体が震えるように動いて 力なく目が開いた。
うわぁー・・・生きてた。私の心拍数は少し下がり、その代わりに 心の中の危険信号が激しく点滅する。
うん きっと寝てるだけだ・・・立ち去ろう。
きっと私が1泊しようとした車は別にあるのだ。
彼の目は1度 開いたものの、何を見るでもなく閉じられてしまった。
そろそろインターを目指さなきゃいけない時間になる。この場を立ち去る決心を固めたときだった。私の目は、彼の腕の下にある物に釘付けになった。
(私のスマホだ・・・・・)
画面が砕け散ったスマホが座席と腕に挟まれて、少しだけ見えている。彼を退かさないと取り出せないじゃん!!
諦めと陰鬱たる想いが交錯する。
直感と言うか なんというか・・・彼は ここで死のうとしてるんじゃないかと思ったのだ。
正直、関わりたくない・・・・死にたい人間は死ねばいい。彼の頭が狂っていれば このままここで死ぬだろう。だからと言って、腐乱死体にまみれたスマホが警察に発見されて面倒に巻き込まれるのはゴメンだ。
時間がない!スマホ救出が最優先!
私は勢いに任せて 後部座席のドアを開け放った。閉めきった車内に新鮮な空気と雨に濡れた大地の匂いが入っていく。
再び目を開けた彼の視線が開け放ったドアに向けられ私を捉えた。
「ここで死なれると迷惑なんだけど」
なんか他にも言いようがありそうなもんだけど、生憎 私は優しくない。
彼の唇が微かに開き、言葉を紡ぎ出そうとするけれど、ひどく掠れて聞き取れなかった。
500mlの水の空容器が 座席の下に1本 転がっている。
飲みきったのはいつなんだろう・・・・確か 水なしでは人は4日も持たないはずだ。
色々と考えてみる。ここでスマホだけ抜き取り放置する→彼が衰弱死したとする→警察が事件性がないか調べる→指紋をとる→警察に指紋を全指とられたことがある→面倒なことになる。
何故に指紋を取らされたかと言うと、昔 パート先に空き巣が入って事務所を荒らされたことがあった。 その時に犯人の指紋を検出する為に従業員全員の指紋を提出することになったのだ。断ることもできたのかもしれないけど、そんな雰囲気ではなかったし、捜査協力を拒否する理由もなかった。
だから、犯罪歴は当たり前だけどない。
警察が個人情報として私の指紋を処分してるかどうかなんて判りようもなく、どっちにしても彼のとる行動次第で私も巻き込まれそうだと答えが出た。
それに、半ば諦めの境地にすらあった。
「死んでました」と警察から聞いたとして、助けておけば良かったとか自責の念に駆られたくないない。
それに、私が発見する運命だったのだ。
つまりは お節介野郎か命の恩人か その辺りのポジションに神様が選んだ・・・・・的な?
神様なんて信じてないけどね。
私は踵を返すと、自分の車まで 飲みかけの缶コーヒーを取りに戻った。
本当はポカリスエットとか白湯とか そんな物がいいのだろうけど、あの様子では文句なんて言わないだろう。
ポツポツと降っていた雨は本降りにはならずやんでいた。しかしながら草むらを往復した足元はビショビショだし、頭からいい具合に湿っている。
「これから仕事なのに参ったなぁ」
独りごちながら缶コーヒーを手に取ると元凶の所へ引き返す。
なぜだか昔 拾った子犬の事を思い出していた。
まだ目も開かない子犬は数日ともたず私の手の中で死んでしまった。
出来る限りの事をしたつもりだったけど、親の協力を仰げなかった私は非力だった。徐々に消えていった命と温もり・・・・
廃車に戻ると さっきと何も変わらない状態の彼が出迎えた。だけど 私がかなり接近しても目を開けない
体を揺さぶってみる。それでも反応がなかった。
「ちょっと?! 勘弁してよ・・・!」
咄嗟に、コーヒーを口に含むと彼の顔に手を添えて口移しという強硬手段をとっていた。
かなりパニックを起こしていたのかもしれない。
仕事がどうのと言ってる場合じゃない!これでだめなら救急車を呼ぶしかない。
「ゔっ・・・・」
小さな呻き声の後、彼の目がしっかりと見開かれた。みるみる目に生気が戻っていく。
「救急車・・・・・必要ない?」
私の問いかけに、彼は頷いてから身を起こそうと体をずらそうとした。この狭い後部座席では私が邪魔だ。
それに距離が近いのなんの(汗)
半分死んでるような時はわからなかったけど、彼はかなりのイケメンだった。多分、原宿辺りを歩いてみればスカウトの1つや2つかかるかもしれない。
なんで自殺なんて・・・・・もったいない。
私は距離を作ろうと焦ってしまい、後部座席に手をついた状態から体のバランスをおもいっきり崩してしまった。
どうもイケメンとか苦手だ・・・・慌ててしまう。
バランスを崩したせいで、ドア枠に手をかけそびれ、そのまま見事に後部座席の足元に体がはまり込む。
辛すぎる・・・・・少女漫画的 展開ならイケメン君の方に倒れこまなきゃいけないだろ!
どう見ても かなり年下のイケメン君と口移ししてしまった事が まるで悪事を働いてしまった様に感じる。素直に謝ろう・・・・情けない格好でそんな事を思った。