第七話 アンタレ湖への道
アリエルのインコはいつも寝ている設定にしたけど、実際インコがどれくらい睡眠を必要とするのかは知りません。アリエルのインコは、少し計算高くて、でもちょっとボケててかわいい。そんなキャラを目指しました。
あたしはホテルに帰ってセンター長にインコ電話をかけた。昨日は、ホテルに着いたら、食事もとらずに寝てしまい、結局電話できずに終わっていた。連れてきたインコに、アリストメリアのアクアポニクス・センターにかけたいんだけど、と言うと、珍しく起きていて、国際電話は高くつくよ、というそっけない返事。仕方ない、えさのグレードをアップしよう。
「ああ、アリエルか。どうだい。無事着いたかい」
二、三秒のタイムラグがあって、目の前のインコはセンター長そっくりの口調で話し始める。口調は同じだが、その声はかなり高くて、どうしてもそのギャップに笑ってしまう。でもここは真面目に報告しなくてはと気を引き締める。
「はい。無事なことは無事なんですけど」
「何か問題でも」
あたしは今日シェイラから聞いたことをそのまま話した。センター長は、時折、ほう、とか、へえ、とか相づちを打ちながら、話を最後まで聞き終わると残念そうに言った。
「そうか。ブランデルさんとこの前話したときは、すごく乗り気な感じだったんで、これはいいと思ったんだけどなあ」
「やる気があるのは彼を含め数人とみました」
「そうかあ。まあいいよ、それがいいか悪いかは、そちらの国の事情に任せて君は自分のできることをしなさい」
やっぱり、センター長もあたしと同じ意見のようだ。
「はい、それしかないと思ってます」
センター長はそれを聞いて安心したのか、一息ついてから言う。
「ところでローズドメリアには、アリストメリアにはない植物が多く自生しているのを知っているかい?」
そういえば、センター長は植物学者でもあったのを思い出した。普段、目にすることのできない植物がここにはあるので珍しがっているのだろう。
「え、そうなんですか。今私がいる地域にはヤシの木くらいしか目につきませんけど。あとは砂漠しかない感じです」
あたしは空港からここに来るまでの道すがら見た植物をひたすら思い返してみた。少しのサボテンとあとはヤシの木、思い出せるのは本当にそれくらいだ。
「君が今いるのは首都だからね、そうかもしれない。なぜそんなところに首都を置いたのか、それが僕にはなぞなんだけどね。もっと北にいけば肥沃な土地があるのに」
干拓推進派のことといい、この国は本当に分からないことだらけだ。あたしにはさっぱり理解しがたい。
センター長は、思い出したように続ける。
「そうそうローズドメリアの北部にはね、アンタレ湖っていう湖があるんだけど、今は流行っているガント病を治す植物が、その湖畔に生えているらしいよ。なんでもその植物の花びらを食べるといいんだそうだ」
あたしはそれを聞いて、それは思ってもみない朗報だと思った。
「そうなんですか。エレーヌの弟がガント病って最近知ったんです。採取して食べさせればその子の病気も治るんでしょうか」
センター長は驚いた様子だ。
「治るはずだけど。そうか、弟君が。それは知らなかったなあ。気の毒に。いや、でも聞いたところによるとアンタレ湖への道は相当険しいらしいよ。それに近くには活火山もある。危険だからよしたほうがいい」
「そうなんですか……」
エレーヌは未だにあまり好きにはなれなかったが、ノートの借りもある。あたしが摘んだ花でカイトの病気が治れば、エレーヌの心もきっと晴れるだろう。あたしは、センター長にはナイショで、アンタレ湖に行くための方法を模索しようと決めた。
ローズドメリア国のアクアポニクス・プロジェクトは、シェイラの思惑通りにトントン拍子で進んでいった。あんなに広大な敷地があるにもかかわらず、試験運用の名の元に多段式の小規模なシステムが採用され、十分な耐震補強を設計図に盛り込んだ上で、設備の建設は始まった。あたしは心のどこかで釈然としない思いがしつつも、可能な限り技術的な助言をした。
結局、センター長から一生懸命学んだことの半分もこのプロジェクトには役立たなかった。なんだかさみしい気もしたけれど、この国の住民の圧倒的多数がそれを望むのなら仕方ない。
この日は完成間近の設備を最終チェックするために、現地入りしていた。水槽の広さもポンプ代わりのホースの設置具合もこの様子なら問題なさそうだった。遠くに、業者と打ち合わせをするアダンの姿が見えた。しばらくすると打ち合わせが済んだのか、こちらに向かって歩いてくる。相変わらず、くるくるの金髪天パーが可愛い。
「アリエル、久しぶり。元気だった?」
「ああ、うん。元気。アダンは」
「もちろん、この通り元気さ。この施設がもっと大規模な、納得のいくものだったらもっとよかったんだけどね」
アダンとこうして話すのは本当に久しぶりだった。最後に会ったのはプロジェクトミーティングで設計図の最終案が決定したときだっただろうか。
「ところでさ、アリエルが探してた植物のことなんだけど、分かったことがあるんだ」
そうだった。センター長に直接聞くわけにもいかないから、自分でもいろいろと調べたけど埒があかなくて、ミーティングのあとアダンに相談したことがあった。ほんの世間話のつもりが、かなり真剣に調べてくれたらしい。
アダンが調べたところによると、その植物の名前はユキノハナ草。センター長のいう通り、アンタレ湖湖畔にしか自生していない。つい最近、若手の植物学者により発見された新種だ。ある登山家がその植物学者に珍しい植物を見たと言って渡したのがきっかけらしい。ユキノハナ草の花弁がガント病に効くというのは本当で、ローズドメリア国内でもガント病が治癒した事例がある。
「と、ここまではよかったんだけど、そのアンタレ湖っていうのがとんでもない場所にあってさ」
そういえば、センター長もそんなようなことを言っていたような。
「とんでもない?」
「そう。なんと湖はアンティ山脈のベルヴォル山頂上付近にあるんだ」
「つまり、カルデラ湖ってこと?」
「そうそう、それ。ベルヴォル山っていえばこの国の最高峰だよ。素人じゃ立ち入ることさえ危険な山さ」
あ、そうだ。ここからも見えるな。あれだよ、あれ。とアダンが指差した先には、遠くにどんぶりをひっくり返したような巨大な山々が連なっていた。山頂付近は少し白くなっているところを見るとまだところどころ雪が残っているようだ。
「ここは砂漠なのに、遠く離れたあの山には雪が残ってるなんて」
「ああ。不思議だよね、この国の気候はほんとに極端だよ」
山頂の鋭角にとがった峰からして、明らかに人を寄せ付けない厳しい山であることは明らかだった。でも一方で、あたしの脳裏には泣き顔のエレーヌが浮かんだ。ユキノハナ草で、カイトの病が治ったら今度こそあたしが目の敵にできる本当の意味での、憎らしいエレーヌになってくれることだろう。
「大変だとは思うけど、あたし、どうしてもアンタレ湖に行きたい! ルートは? 今まで行った人はいないの?」
アダンは驚いた顔をしてあたしを見た。そして心底つらそうに言う。
「……本当に? 正気? この薬草でガント病が治った人がいるんだから、いることはいると思うけど、すごくトレーニングを積んだプロの登山家クラスの人だと思うよ」
アダンの絞り出すような苦しそうな声を聞いてあたしは思った。確かに、正攻法では無理かもしれない。あたしにはプロの登山家に匹敵するような体力はない。ただそれでもあたしには奥の手がある。でも、それを今アダンに教えるわけにはいかなかった。
「そっかあ。分かった。いろいろ調べてくれて本当にありがとう」
すぐに引き下がったあたしに、アダンは不思議そうな顔をしていたけど、設備完成後にまた会おうと約束して別れた。
あたしは仕事を終えると、ホテルに戻り、真っ先にエレーヌのノートを開いた。ここには浄化の能力だけではなく、さまざまな能力の開発プロセスが書いてある。あたしがアダンの説明を聞いていて思ったのは、エレーヌが今日常的に使っている空を飛ぶ能力だった。この能力は浄化の能力を鍛える過程で自然に身につくものらしい。
よくよく考えてみれば、あたしは空を飛ぶ能力をすっとばしていきなり浄化のほうに挑んでいたわけで、その態度は傲慢もいいところだったのだ。でもあたしにはこの能力を使いこなす自信が、浄化の能力以上になかった。
それには過去のトラウマがダイレクトに影響している。過去の失敗を嫌でも思い起こさせるから、なるべくなら遠ざけておきたい代物なのだった。でもこうなった以上はやるしかなかった。あたしはこの最も苦手な能力を使って、ベルヴォル山登頂に挑むことにした。
挑むからには、前もって飛ぶ練習が必要だ。分かってはいるものの、これがなかなか難しい。オフを利用して、あたしは砂漠のど真ん中の砂丘まで歩いてきていた。ホテルから砂丘は意外にも徒歩十五分くらいで着く。
さらさらと滑る砂丘を一歩一歩踏みしめて、丘のてっぺんまで来た。だいぶ見晴らしがよくなった。市街地のビル群もよく見える。それに、ここなら人気もないし、万一落ちても下はさらさらした砂なので、ダメージも少ないだろう。
「よし」
あたしは、覚悟を決めて目を閉じた。一心にイメージする。私の背中には羽がある。私の背中には大きな羽がある。私の背中にはふわふわした羽がある。
「鳥のように飛べる!」
そう呟くと三歩後ろに下がって、そこから思い切り走ってジャンプした。ジャンプした途端、過去のトラウマが一気に脳裏を駆け巡った。もう、どうして今ここで。本当にあたしってダメだなあ。
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あれは、十歳の飛び級試験での出来事。あたしはエレーヌに続いて崖から、飛び立とうとしていた。崖の下では審査員と担任の先生が見ている。
一気に助走をつけて飛んだ。その瞬間あたしの視界は一気に開けた。ところどころに雲が浮び、青空がせまってくる。雲と視線が同じになり、鳥たちが同じ高さで風に乗っているのが遠くに見えた。
よし、順調、と思った矢先、ビューと不気味な音が遠くから聞こえた。嫌な予感がしたのと、突風が体に吹き付けたのはほぼ同じタイミングだった。あたしはとっさにバランスを失い、急降下を始めた。
「怖い!」
こんな強烈な恐怖心に襲われたのは初めてだった。あたしにこの能力を教えてくれた担任の先生はいつも口をすっぱくして言っていた。
「怖いと思ったら、その恐怖心と正面から戦わなくてはダメ。そこで怖さを克服できなければ落ちるわよ」
でも、あたしは先生が何を言っているのかよく理解できなかった。飛ぶことは当時のあたしにとって呼吸することに等しかった。先生が危ないというのも聞かず、よく空中で何回転もして遊んだ。空の上でエレーヌと追いかけっこだってできた。
息することが怖くないのと一緒で、飛ぶことに恐怖を覚えたことなどなかった。
でも試験当日の強風は怖かった。初めての試験に緊張していたことも影響したのかもしれない。失敗できないという思いが全ての感覚を狂わせた。結果、あたしはまっさかさまに森の茂みへと落下した。
「アリエル! ダメ! 怖くない!」
という先生の声が、落下の数秒前、遠くに聞こえた。
木の枝にシャツがひっかかって、奇跡的に無傷ですんだけど、心には大きな傷が残った。何日も一言も発しないで過ごした。楽観的なママもあのときばかりはこたえたに違いない。ママはあたしの能力について一切語らなくなった。それほどあたしの落ち込みぶりがひどかったんだと思う。
なぜふさぎこむほどの傷になったのか。それは自分の傲慢さのせいだ。先生は試験のあと、自分の指導不足だったと何度も謝ってくれたけど、あたしには全然そんな風に思えなかった。全部、思いあがっていた自分への厳罰だと思った。
けれど、そんな事態を、つまり傲慢さが失敗の原因だということを自分以外の人に説明することすら嫌だった。穴があったら入りたいくらい、思いあがっていた自分が強烈に恥ずかしかった。
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あのときは、自分の能力に酔ってたかもしれないけど、今はエレーヌの笑顔のために飛ぶ! ただ一心にそう思って、体を投げ出すと、体はふわっと浮き上がり、そして砂丘の表面ぎりぎりを滑空し始めた。
地面と体の距離はきっと一メートルもない。あたしは思い切って顔を上に上げ、上体を起こした。徐々に体が上昇し始める。この感覚がなんだか懐かしかった。あの事件以来、飛ぶことは自分に禁じていた。
あれから何年経っただろう。十歳のときだから、七年かあ。えらく長かったな。そんなことを考えているうちに、ずいぶん高いところまで来ていた。遠くにアンティ山脈が見える。
――このまま湖まで行ってみようか。
雲の上まで来て、強風に逆らって飛んでいるというのに、あたしは全く疲れを感じなかった。このままどこまでも飛んで行けるのではという気すらしてしまう。でも、この国のプロジェクトがある。任されたからにはアクアポニクス・センターが開設され、正式な稼働が始まるまで待とうと思った。もし怪我などして仕事に影響がでたら大変だ。
元いた場所に戻ってくると、そこには人影があった。目印に大きめのサボテンの葉っぱを砂地に刺してきたので、間違いない。やばっと身をひるがえそうとすると、こちらに手を振ってくる。金髪に天然パーマにあの背格好は、アダンだった。
すとんと着地してあたしは、その場に立ち尽くした。見られた。どうしよう。あれほどママに、ローズドメリア人に能力を見られてはダメとくぎを刺されたのに。
「この前、あんまり簡単に、アリエルが諦めるものだから、不安になってここ数日尾行してたんだ。ごめんね」
「……」
アダンはどうでる。敵だろうか味方だろうか? 友好的な態度に出て、あたしを油断だせる気だろうか。あたしはうつむいて何も言えずにいた。
「でも驚いたよ。まさか君が能力者だなんて思わなかった。下から見てたけど、すごいね。これなら、確かにアンタレ湖にいけるかもしれない」
あたしは警戒度マックスで、アダンを睨みつけた。
「あなたの目的は何?」
「そんな冷たい言い方しないでよ。傷つくなあ。確かに黙って尾行したのは悪かったよ。だけど僕は、純粋にアリエルに協力したいんだ。ねえ、お願い。僕にも協力させて。きっと力になるよ」
あたしはうーん、と考え込んだ。人に迷惑をかけるのは好きじゃない。最初から最後まで一人で責任を持ってやりたい。そのほうが失敗したとき誰のせいにもしないですむ。
でも、協力者がいた方が助かることは確かだった。今日はたまたま長い時間飛べたが、どこまで持久力がもつかは、あたしにも未知の領域だった。
「うーん。まあ、いっか。じゃあ、よろしく」
物事をあんまり深く考えないのが、あたしの長所であり短所だと思う。あたしが手を差し出すと、アダンはうれしそうに手を差し出して握手する。あたしは、この能力と計画を誰にも話さないことを念押しした。アダンは、うんうん、と嬉しそうに頷く。あたしはアダンが、ただの飼い主に従順な犬のように思えてきて、ほんとに大丈夫かなあ、と思いつつも、その様子が少しおかしくて笑った。
そんなあたしに、アダンは真剣な表情に戻って言う。
「副大統領のブランデルさんが、アリエル、君を呼んでる。おそらく、このプロジェクトについての話だろう」
ブランデルさんは、干拓推進派ではなく、アクアポニクス支持者だ。あたしがはっとするとアダンは真面目な表情で頷いた。
「そう。この事業が思ったよりも小規模な設備になることを懸念しているみたいなんだ。シェイラから逐次報告を受けているそうなんだけど、ブランデルさんもシェイラが干拓推進派であることにうすうす気づき始めているみたいで、隣国出身の君から中立的な意見が聞きたいんじゃないかと思うよ」
「え、それって……」
ああ、国内のいざこざに遂に巻き込まれてしまった。このプロジェクトについては、出来る限り波風を立てないで、無難に関わりたいと思っていたのに。
「そうさ。ブランデルさんは、多分アリエルにダイレクトに聞いてくるよ。シェイラの言う、小規模から始めて、徐々に規模を拡大していくやり方が本当に有効で、効率的なのかと。技術者として意見が聞きたい、と。さあ、アリエルはどう答える?」
「どうって言われても、あたしは単なる技術者だし、シェイラの言う通り動くだけで」
ああ、困った。ブランデルさん側、シェイラ側、どっちについてもつらい状況になることは目に見えている。下手に答えれば、あたしを推薦してくれたセンター長の名前にも傷がつく。あたしは困ってアダンを見た。
「こんなとき、もしあたしの立場なら、アダンはどう答える?」
今までの発言から察するにアダンもブランデルさんと同じくアクアポニクス推進派だ。アダンはあたしという人物がどう出るがここで品定めして、その結果を逐次ブランデルさんに伝えるかもしれない。
「僕だったら、これが最善です、と答えるかな。だって、その方が楽だもん」
これは一種のひっかけだ。下手なことは言えない。あたしは気を引き締めて言った。
「あたしは、嘘をつけない性分みたい。すぐ顔に出ちゃうし。だから、ブランデルさんにはありのままを言うわ」
アダンは少し意外そうな顔をした。
「そう。分かった」
それから、二人で空を見上げた。今日は風もなくところどころに浮かぶ雲と真っ青な空が広がっている。さっきまで自分があそこにいたんだと思うと、なんだか不思議な気分だ。さっき見おろした雲が、今はこんなにも高く遠いところにある。
「ねえ、空を飛べるってさ、どんな気持ちなの」
アダンがさっきの無邪気な顔に戻って聞いてくる。
「とっても気持ちいいよって言いたいとこだけど、今のあたしにはとてもそんな風に言えない。必死。ただ必死。それだけ」
あたしがそう答えると、アダンは、大声でおなかを抱えて笑いだした。
「あはは、ははは。アリエルって本当に面白いね。そっか、必死で飛んでるんだ」
「悪い?」
「ううん。全然。でもさ、アリエル。アリエルはもっと人生を楽しめばいいと思う。今ここに生きてること。空を飛べること。それってほんと、素敵なことだと思わない?」
そう言って振り返ったアダンの顔は、いきいきとして輝いてみえた。あたしはアダンを協力者にしたことは案外いい選択だったのかもと思えてきた。疑ってごめんなさい。でも、あたしを最初に試してきたのはアダンなんだから、お互いさまかもね。
まだまだ続きま~す!