第五話 ローズドメリア
再び、ママ登場。お仕事、ご苦労さまです。
エレーヌは、あたしのためを思って善意でノートをくれたということはよく分かっていたけど、やっぱり自力でもう少しやってみたいと思った。こうなればもう意地だ。ノートはしばらく自分の部屋に置いたまま放置しておいた。
最近では休み時間をちょこちょこ利用して、センターで育てている野菜のくずを拾ってきては、しなびた葉っぱをピンとさせる訓練をしている。大抵、一枚目はうまくいくのだが、二枚目、三枚目となるにつれて成功率がどんどん下がっていく。
「そこで何してるの?」
栽培棟のすみっこのベンチにいるところを通りかかったシンシアに見つかってしまい、あたしはぎくりとした。ここなら絶対誰にも気づかれないと思ったのにな。
「いやあ、あの、ちょっと」
浄化の能力を持つ者はこのアリストメリア国内でもたった十人しかいないのだ。その練習をしていると聞いたら、シンシアはどんな反応をするだろうか。
シンシアは無邪気に近づいてきて、一枚の葉っぱをまじまじと見た。一枚目の成功した葉っぱだ。葉っぱ全体がピンとして生き生きとしている。ほかの葉っぱとの違いは明らかだった。
「え、これもしかして浄化の能力?」
「まあね」
「すごーい、アリエルにこんな力があったなんて」
「いや、でもまだ不安定で、力も弱いし、全然だめなんだ。他のひとには言わないでよ。おおごとにされたら大変」
「うん」
シンシアはそれでも興味津々と言った様子で、復活した葉っぱを掌にのせ楽しそうに眺めている。
あたしは、毎日この訓練を繰り返した。五枚目くらいまでは集中力を途切れさせず、葉っぱをよみがえらせることに成功するまでになった。でも問題は、いくら頑張ってもそこから上にはいけそうもないことだった。六枚目にはまったく効果がなくなってしまう。
「うーん、どうやってもだめかあ」
最初の挑戦から数カ月が経過したとき、あたしはついに、仕方なくあの夜にエレーヌがくれたノートを開いた。ここまでやってダメならもう仕方ない。エレーヌにはあんまりお世話になりたくないけど。
そっとノートを開くと、まず最初の一ページにはこうあった。
能力開発のための基本(困ったら基本に帰れ)
1、自分を愛し、信頼すること
2、能力を愛し、信頼すること
3、目的をもつこと=能力で愛する地球を守りたい(私の場合)
あたしは思わずぎりぎりと歯ぎしりしていた。今以上の能力から上にいけないのは、心もちがいけないというのだろうか。それをエレーヌに直接、指摘されたようでなんだか悔しい。
――確かにあたしの能力開発の動機は不純だ。まずこの浄化の能力を引き出すことでママやエレーヌを見返したい。そして平凡な一般市民であることから抜け出して、みんなから注目されたい。少なくとも自分で自分を馬鹿にしないですむようになりたい。
そこまで考えたところで、なーんだと思う。結局は回りがどうこうじゃない、自分の問題なのだ。けれど、浄化の能力所持者たちはそんなふうに考えて能力を開発したり、行使したりしているだろうか。
いや、きっとそれは違う。エレーヌを見ていれば分かる。エレーヌにあるのは、もっと地球をよくしたいという思いだけのはず。その精神の土台は、自己愛、自分への圧倒的な信頼だ。自分を愛することなしに能力を使いこなすことはできないのだ。自己愛があってこそ、地球のために働こうと思えるはず。それは今のあたしにはそれがない。あたしは自分の器の小ささ加減を思い知らされた気がした。
――あたしの場合、まず自分を信用できてない。こんな中途半端な能力しかない自分を好きになんてなれない。どうしたらあたし、もっと自分を信じられるようになるんだろう。
その夜は悶々として、いろんな思いが頭をよぎり、なかなか寝付けなかった。
翌朝、事務室入り口の掲示物を見て、あたしはこれだ、と思った。早速事務室の一番奥で、国営放送を観ているセンター長に声をかける。
「センター長、ローズドメリア国でアクアポニクスのプロジェクトが始まって、技術者を募集しているって掲示に出てましたけど」
「ああ、昨日貼ったあれね」
「それ、私に行かせてもらえないでしょうか。力不足なのは分かってます。でも自分に自信をつけるためにどうしても今行ってみたいんです」
「うーん」
センター長は腕ぐみをして考え込んだ。
「正直君には少し早い気がするんだが。理由をきかせてくれないか」
「私、もっと自分に自信をつけたいんです。そして自分を信頼できるようになりたい。そうすれば」
あたしはここで言葉につまった。言葉にできるほど確信のもてる考えではなかった。
「そうすれば?」
センター長はあたしの目をじっと見ていた。その顔は穏かにほほ笑んでおり、アリエルを信じているよ、と言ってくれているかのようだった。それを見てあたしは、ええい、言っちゃえ、と思った。こうなれば、あとは野となれ山となれだ。
「もっと自分の能力の幅を広げることもできると思うんです。今の自分には何より、自信が足りない気がして」
それを聞いて、センター長はそうか、と呟いた。しばらく沈黙があり、センター長は窓の外を見て考え込んでいた。そして振り返って言う。
「君の能力の幅が広がるとはすなわち、浄化の能力をもっと伸ばしたいってことだね。それがもしできたら、君という優秀な人材を、私は手放さないといけないことになる。私にとっては一文の得もない話だ」
センター長は皺の刻まれた顔を一層しわくちゃにした。厳しい顔だ。あたしはそうなのかなあ、と思う。たとえ浄化の能力が開発できたとしたって、ここに残ればいいんじゃないか。そんなに深刻に考えなくても。
「でもまあ、気づいたときが実行のときなのかもしれないな。私が君の重しになってはいけない。アリエル、成功を祈っているよ」
センター長の顔は、慈愛に満ちていた。この表情、そう簡単にできるもんじゃない。やっぱりセンター長の人格は尊敬に値する。あたしは心からセンター長に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「だが行く前にちょっと特訓だ。いざ行ったら使いもんにならなかったと言われたら、こちらとしても癪だからね」
そう言ってセンター長は、はっはっはと豪快に笑った。確かにいろいろ教えてもらってから行かないといろいろ難儀することは目に見えている。給水ホースもうまく直せなかったのだし。あたしは下を向いてぽりぽりと頭をかいた。
翌日からセンター長によるこの施設全体のテクニカルな講義と実践が始まったのだが、これがとにかく大変だった。
プロジェクトは三週間後に始まる。それまでにあたしを一人前の技術者にしなくてはとセンター長は大いに張り切ったのだった。
頭の回転も体力もセンター長には全く敵わないと、今回のことであたしはほとほと思い知った。
この施設は平面的にずらっと水槽を並べているが、世の中には、太陽が当たるように水槽をずらしながら積み上げていく多段式もあること。pHは魚の種類に応じて適切に保つこと。6から7に保つのが一般的。植物を観察して栄養剤の種類や量を調整すること。栄養剤は目的に応じて数十種類を使いこなすこと。栽培する作物の量と魚のバランス。どちらかが多すぎても少なすぎてもだめ。ポンプとして機能する給水ホースの設置方法。定期メンテナンス。
いっぺんに情報が入ってきすぎて、この調子であと三日続いたらもう完全に倒れる、と覚悟したところで、二時間にわたる口頭試問があり、ようやくセンター長からオーケーが出た。
「よし、これくらい習得しておけば向こうで何があっても大丈夫だろう。よく頑張ったね」
あ、でもこれも念のため渡しておくよ。困ったら読んで。センター長が、軽々とはいと渡すものだから、分厚いけど軽いものなんだろうと気軽に受け取ったあたしはあまりの重さに前のめりに倒れそうになる。
「うわ、これ重い。これも持っていけと?」
「もちろんだ。忘れないで持ってって」
にっこりと笑うセンター長にあたしは思わずつられて笑い返しながら、ひきつった声で返事をした。
「は、はーい」
旅の道中、この重たい荷物とずっと一緒か、と考えてずしーんと気持ちまで重くなる。
実はこの出張には、もう一つやっかいな問題があった。
ママのことだ。センター長があたしのローズドメリア行きに賛成してくれたその日、あたしは仕事から帰ってきたママと向き合った。
ママは神殿で、巫女権事務の仕事をしている。ママの勤める神殿は、セントラルセイクリッドと言って、この国で一番大きく、信仰の厚い神殿だ。毎日全国から沢山の人々がこの神殿に祭られている大地の神、ミストレイアスさまとの繋がりを直に感じるため、参拝に訪れる。
「ママ、話があるんだけど」
「疲れてるからあとにして」
ママはそう言うと、ごろんとソファに寝転がる。ママは、ミストレイアスの誕生祭や復活祭など神事があった日には、ぐったり疲れて帰ってくる。
「今日は、祈祷の申し込みが多くてさ、もうだめ。ああ、疲れたー。冷蔵庫にあるものでなんか作って食べて」
あたしはそんなママの言い分を全く無視して言った。センター長とのマンツーマンの訓練が始まって二週間、そろそろママにも切り出さないとまずい。ママは目を閉じ、深い呼吸を始めている。
「再来月からあたし、出張でローズドメリアに行く。向こうでアクアポニクスの設備を立ち上げる応援に行くことになった」
「ああ、そうなの。行ってらっしゃい」
お、意外にもスムーズにいったな、と思って台所へ足を向けたそのとき、後ろでがばっとママが起き上がる気配がした。
「って、えぇー、ローズドメリア? ダメダメ。そんな危険なとこ。ママは反対。だれかほかの人に行ってもらいなさいな」
「そんなの無理。もう決まったの」
いやいや、実際はあたしがセンター長に無理言ってお願いしたこと。今さら辞退なんてできない。
「えー。そんなのダメよ。危ないもの。ローズドメリアにはね、能力者がほとんどいないの。だから、あたしたちみたいなのを見ると珍しがって捕まえて、見世物にしてそれを商売にするのよ。特にオーラの診断能力は人気が高いって聞いたわ。頼むからやめて。明日、あたしからセンター長に電話しとくから」
ママは言うだけ言うとまたバタンと寝ころがって寝てしまった。うーん、厄介なことになった。センター長とママは同級生で今も親交があるのだ。
翌日、ハードなトレーニングを終え、帰宅すると、ママはもう帰っていた。インコ電話をしている。もう話は終盤のほうらしい。
「こちらこそ、いつもお世話になってほんとにすみませーん。はい、はーい。それじゃどうも」
そう言ってインコ電話を終わりにするママ。話し方のトーンから言って、電話の相手はおそらくセンター長だ。どんな会話か交わされたのか考えるだけでも恐ろしい。あたしは、ママに気づかれないよう階段をそろーり、そろーりと上がっていった。
「アリエル、ご飯よー。昨日はごめんね、寝ちゃって。だから今日はご馳走。ふふふ」
え、なんか機嫌よさげ。この様子なら、大丈夫かな。
台所のテーブルであたしはママの正面に座った。食卓には、豆乳シチュー、高キビのハンバーグ、レタスサラダの上にプチトマト、とあたしの大好物が並んでいる。これってどう解釈すればいいんだろ。
「センター長から聞いたわよ。あなた、ひそかに浄化の能力の開発に励んでいるんですって。ママにはそんなこと一言も言わなかったじゃないの」
うっ、まずい。
センター長はまた余計なことを。ママには知られたくなかった。だって、あの落第の事件以来、ママはずっとあたしの落ち込みぶりを見てきて、能力のことについてはずっと触れないようにあたしに気をつかってきた節がある。できればずっとこのまま、ママとはこの類の会話をしないですませたかったのに。
「ローズドメリア行きもそのための一環っていうなら、ママも賛成。頑張って行ってらっしゃい。でも昨日言ったことは本当。現地の人には自分の能力を見せないこと。いいわね」
「はいはい」
ああ、この展開が一番やだったんだよなあ、と内心思う。だって、余計なプレッシャーが増すだけだから。これじゃ、もうローズドメリアに行きました。仕事は失敗して、帰ってきました。浄化の能力もまったく開花しませんでしたーってわけにはいかなくなる。
あたしは、はあ、と大きくため息をついて、黙って目の前のご馳走を平らげることに専念した。いつもながらママの作るハンバーグはおいしい。
「アリエルがもしプロジェクト・カルムに入れたら、あたし仕事辞めようかしら。ふふふ」
確かにプロジェクト・カルムに入隊が決まったら、将来は安泰だろう。給料も住む場所も生涯にわたって全て保証される。でも、だからそれはどうなるか分からないんだって。あたしはそう言いたいのをこらえる。だって、ここで弱気な発言をしたら、ママに、じゃあやめたらって出張を反対されそうだ。完全黙秘、これしか今あたしのとるべき道はないのだった。
まだまだ続きま~す。