第三話 カイト
ついにエレーヌ登場。この人は完璧すぎてとにかく書きづらい。作者泣かせの人物です。
翌日はスクールから社会科見学の生徒たちを受け入れる日だった。六歳から十歳までの子どもたち、五十人が見学に来る。
センター長から施設の案内を任されたあたしは、朝から準備でばたばたしている。シンシアと協力して五十人分の椅子を並べ、それからプロジェクタの役目をするペリカン3羽の配置を調整する。
壁に映す画像が大きいため、1羽につき三分の一の画面を担当し、つなぎ合わせて一つの大きな画像にするのだ。センターで飼育されているペリカンはうちの子とは違い、どの子もきっちりと仕事をしてくれる。
今日はいい天気だ。暗幕を引かないとうまく映像が見えないかもしれないと思い、窓際に歩いていくと、エントランスに子どもたちが、ちらほらと集まってきているのが見えた。なかには追いかけっこをして遊んでいる子どももいる。
「あれ?」
エントランスに見覚えのある人影が見えた。エレーヌだ。あたしは事態を呑みこめず、とりあえずそこに行ってみることにした。
「ちょっとなんであんたがここにいるのよ」
エレーヌを見るとつい口調がきつくなってしまう。プロジェクト・カルム浄化班の緑の制服を身にまとったエレーヌは、スレンダーな体型を誇示するかのように細身の制服をきっちりと着こなしている。今さら言うまでもないけど、目鼻立ちがすっきりとした美人だ。エレーヌはあっさりと言った。
「ちょっと野暮用があってね」
「野暮用って? あんたみたいなエリートにこんなとこ、縁ないでしょうに」
言ってしまってから、あたしはしまったと思う。これじゃ自分がここにいることが恥ずかしいみたいじゃないか。違う。あたしはここで働けることを誇りに思ってる。ああ、もう、エレーヌがいると全ての調子が狂う。思わず頭をかきむしると、エレーヌの後ろから小さな男の子がひょいと出てきて、エレーヌを見上げた。
「お姉ちゃん、送ってくれてありがと」
「うん。じゃ、怖いお姉さんもいるけど、楽しんで。よく見てくるんだぞぉ」
あたしは一言余計だと思いながらも、その男の子をまじまじと見つめた。
「え、弟?」
まだあどけなさの残る童顔の可愛い男の子だ。年を聞くと七歳だという。
「そ。弟のカイトを出勤ついでに送ってきたの。じゃあねー」
そう言うとエレーヌは助走をつけて、エントランスの石畳から数歩の助走で軽々と飛び立がり、そのままゆらゆらと雲の彼方に消えていった。まるで緑色のピラルクが空の海を泳いでいくようだ、とうっかり呟くと、いつの間にか隣にいたシンシアが頷いた。
「ほんとだよねえ。やっぱりエレーヌって身のこなしの全てが優美。華麗って言ったほうがいいかなあ。うっとりしちゃうなー」
「あ、あたしは別にエレーヌのこと褒めたわけじゃ」
シンシアの方を向いて慌てて弁解する。
「いいの。いいの。私には分かってる。なんだかんだ言いながら結局アリエルもエレーヌのファンだってこと」
それを聞いてあたしは慌てた。そんな馬鹿な。
「なに言ってんの! 違う。断じて違うから」
「そおかな?」
小首を傾げるシンシアは、無邪気で可愛い。エレーヌの一ファンになれたらどれだけ楽か。そこまで考えてあたしはぶんぶんと首を横に振る。ない、ない、そんなことありえない。
それにしても、エレーヌに年の離れた弟がいたなんて考えたこともなかった。そもそもエレーヌには家族という言葉が似合わない。エレーヌも家に帰ればあの子のお姉ちゃんなのだ。しかし、姉を演じるエレーヌの姿が一向に想像できないのもまた事実だった。
「我が国では、全ての物質が循環しています。つまりめぐりめぐってまた初めに戻るような仕組みになっているということですね。アリストメリア人は長い年月を経てやっとこの仕組みに辿り着いたのです。過去の研究者たちの功績に本当に感謝しなければなりません。そしてこの方法を最終的に選んだ人々の選択にも。話が逸れましたが、それはこちらの施設アクアポニクス・センターの仕組みも同じです。この施設では、まず魚と植物を共存共栄させているところが一番のポイントになります」
なんだか今日は絶好調、と思いながらあたしは説明を続ける。朝と変わらず空は快晴。気温も二十度ジャスト。なんて気持ちのいい日だろう。
顔は生徒たちに向けながら、あたしは目だけでシンシアを探した。会場をぐるりと一周してみるが見当たらない。あれ、おかしいな。あたしは一抹の不安を覚えながら、説明を続けた。
昼休みになっても、シンシアの姿が見えないので、アリエルは片手で頭を掻きながらコードレスに電話した。この施設は広大な広さを持つため、職員一人一人にコードレスホンが支給されていた。長い呼び出し音のあとシンシアは出た。
「もしもし」
聞き取れるぎりぎりのかぼそい、小さな声だ。
「もしもし、じゃないよ。今どこにいるの? 午後はシンシアが子どもたちに施設案内する予定だったでしょ。もう昼休みも終わるよ。どーすんの」
「ごめん。今、私、トイレ。おなか痛くて」
その一言で全ての事情がつかめた。シンシアはあらゆるものと同調してしまう。それも能力といえばそれまでなのだが、問題はその能力が本人でもコントール不能なことで、いろんな魚や植物たちの声を拾いすぎた挙句、消化不良を起こして体調を壊すのだ。文字通り消化不良で下痢の日もあれば、それが頭痛や肩こりとなって出ることもある。どんな症状が出るかは本人にも分からず、不安な日々を過ごすはめになる。
「分かった。午後はあたしがなんとかするから、センター長に話して今日は帰りなよ、ね」
「う、うん。トイレから出られたらそうする。まだ当分だめそうだけど。ごめんね、アリエル」
いいよ、いいよ、気にしないでと言って、あたしはコードレスを切った。はたしてシンシアはどんな声を今回は聞いてしまったのだろう。もしかしたら今後の栽培に活かせるかもと思う一方で、シンシアに案内してもらう予定で、ほかの仕事を入れていたのでその調整をどうするか頭をフル回転させる。午後のミーティングは今日はとりあえず欠席、収穫作業はほかの職員に依頼、と決めてあたしは生徒たちのもとへダッシュした。
目の前には、広大な緑が広がっている。植物由来の透明な樹脂で作られた頑丈なフィルムで設備全体を覆い、雨風や気温といった外界からの影響を最小限に抑えてある。循環する水流の上には青々としたサニーレタスやキャベツが一面にその緑色を元気よく主張している。子どもたちはその広大さに歓声をあげた。
「ここでは、見ての通り野菜を何種類か栽培しています。アクアポニクスで育てると栄養面の充実から土壌による栽培より成長が早くなるので、年に四回収穫できます。ここで栽培する植物だけで、セントラル・シティの住民みんなの食糧が生産できています。余った分は隣町にも供給してますけど」
生徒たちはあたしの説明を聞きながら、ふんふんと頷きメモをとる。きっとこのあとには、めんどうなレポート提出が控えているのだろう。子どもは子どもで大変だ。
ふいに誰かが元気よく手を上げるのが見えた。エレーヌの弟、カイトだ。
「先生、質問です。先生の能力は何ですか。そしてその能力はこの施設でどのように活かされているのですか」
先生と呼ばれるのは照れてしまうが、的確な質問にあたしは苦笑いするしかなかった。この時代、全ての子どもたちはなにがしかの能力をもって生まれてくる。そして十五歳で義務教育を修了すると、その能力を活かせる職業に就くのだ。カイトもそこが気になったに違いない。まだ小さいがそろそろ自分の能力に気づき始める年頃だ。
「はい。いい質問ですね。私の能力は、動植物のオーラを見るものです。この施設の魚や植物のオーラを見て、それぞれの個体の状態を判断しています。たとえば、そこのサニーレタス、見た目は元気そうですが、オーラの色は少しくすんでいます。そこから判断して、じゃあ明日からもっとこの部分の日当たりをよくしよう、とかそういうことを考えるわけです」
エレーヌの弟を含め、最前列にいた何人かが興味深そうに頷いた。
「みなさんのなかで、この能力のある人がいますか」
あたしは自分の自尊心が傷つくのを承知で聞いてみた。やはり十数名の手が上がる。この程度の能力は、現代においてそれほど珍しいものではないのだ。
「はい。ありがとう。この能力を持つ人は、いろんな就職口がありますよ。自然保護区で動物に関わることもできるし、オーラ診断をするカウンセラーなんかもいいですね。みんな自分で考えて、自分の適職を探してくださいね」
あたしは努めて明るく声を張りながら、心のなかでそっと溜息をついた。所詮、あたしには月並みな能力しかない。
まだまだ続きま~す!