第十五話 音信不通
震災の話は正直、書いていいものか悩みました。けれど、話の展開の都合上、必要なものだったので、心をこめて書くことにしました。東日本大震災で被災された方々には、謹んで哀悼の意を表します。
自宅に帰ると母はもうシェルターから戻っていた。家のなかは、すごい有様だった。食器棚は斜めに倒れかかっているし、本棚の本はすべてめちゃくちゃに床に落ちている。ここセントラル・シティは海から遠く離れているので、津波の心配はないのが唯一の救いだった。
「ねえ、ママ」
食器のかけらを手で拾い集める母の背中にあたしは聞いた。
「ママはこんな大きな地震、今までに経験したことあるの」
母は手を止め、天井を見上げた。
「ええ。そう。あれはあなたが生まれる数カ月前ね。そのとき、私まだ神殿に仕えて三年目だったから」
ママはなんだかとても懐かしそうに目を細めた。あたしはそんなママのスイートメモリーをわざとぶち壊すように言った。
「そりゃまたずいぶん前だね」
「うるさいわね」
となると、もう二十年くらい前の話ということになる。ママは少し涙目になっていた。あたしはそんなママの様子に少し違和感を覚えた。こんな風にすぐ感傷的になる人だったけ。
「あのときも今回くらいすごかったわね。元通りに暮らせるようになるまでにだいぶ時間がかかったわよ」
「時間がかかったってどれくらい?」
「うーん、三年くらいかな」
あたしはそれを聞いて、うーんと唸った。今回もそれくらいの時間が必要ということか。外では雨が強くなってきていた。空には黒い雲がたち込めている。
「雨やまないね」
「うん。どうやら台風が近づいているらしいわ」
国営放送を常にチェックしている母は続けて言う。
「この地震で地盤が緩んだところにまた大雨なんて、ほんとどうなっちゃってるのかしら」
母のぼやきを聞きながら、あたしは大事なことを思い出した。
「そうだ。アダンに電話!」
慌てて、アダンのインコへ通信を試みるが繋がらない。あたしのインコも首を傾げている。こんなことは珍しい。
「そう言えば、最近ローズドメリアの内戦ってどうなってるの?」
とまたママに視線を戻す。国営放送マニアでいつもペリカンを酷使しているママに聞けば大抵のことは分かる。
「まあ、小康状態が続いているってところね。どちらの勢力も力はほぼ同じ。持久戦になって来ているみたいよ」
さすが、ニュースに詳しい母である。仕事が忙しいときにはありがたい。アダンのインコに繋がらないのもその辺から来てるのかも。あたしはさっそく電話を諦めて、メールを書き始めた。
アダンへ
今、国内が大変なことになっているのにごめんなさい。緊急でお願いがあります。あたしの幼馴染のエレーヌがガント病であることが今日分かりました。ついては、至急ユキノハナ草を手に入れたいのですが、知恵を貸してもらえませんか。あたしがまた飛んで取りに行ければいいのだけれど、そちらへは渡航禁止命令が出ているため船もドラゴンの定期便も出ておらず絶望的です。さすがにそちらまで海を越えて生身で飛ぶのは無理です。
エレーヌの病状はかなり進行していて、危ない状態です。どうか力を貸してください。
今日こっちでは大きな地震があり、家のなかはぐちゃぐちゃだけど、とりあえず私も母も元気です。心配しないでね。
送信をペリカンにお願いしたところで、外を見た。吹き付ける雨や風が段々と強くなってくる。地震で窓ガラスが割れてしまった箇所もあり、容赦なく風がリビングまで入ってくる。一階がこのありさまだから、二階の寝室で寝るのはもっと危険だろう。
「ママ、今晩ここで過ごすのは無理そうだよ。片づけはあとにして、シェルターに行こうよ」
「そうだねえ、そうしようか」
母は重い腰をよっこらしょをあげた。あたしは頭の片隅で、アクアポニクス・センターは大丈夫だろうかと思った。シンシアにセンター長、それにルーク、そのほかスタッフのみんな。ルークが地球が危険、と言ったのはこのことを意味していたのだ。あたしはおくればせながらそのことに気づいた。
台風は速度がやけにゆっくりで、三日三晩アリストメリア国全土に大雨と強風をもたらした。それも大地震が襲ったあとの土地に、である。台風が通り過ぎるまで自宅待機とキラから申し渡されていたので、この三日間をひたすらシェルターで過ごし、ようやく明かりとりの窓から晴れ間のみえたところで外に出てみると、周りの風景は一変していた。
住宅街はもうほとんど見る影もない。道路も一時川のようになったらしく、「上流」からいろいろなものが流れてきていた。屋根の一部らしき鉄板や馬車の残骸、大木の根っこまで。
これから生活はどうなるのか、漠然とした不安が広がるが、あたしがそれ以上に気になっていたのは、アダンから全く返信がないことだった。あの生真面目な性格のアダンが三日も返事をくれないなんておかしい。アダンの身になにかあったのか。旧勢力によって消されてしまったとか。悪い方に考え出すと止まらなくなる。
「アリエル」
弱々しい声がして振り向くと、シェルターの前にはシンシアがいた。絶望しきった表情、ぼろぼろの服。命からがら逃げてきたことが、その様子から分かる。嫌な予感がした。
「あたし、もうだめかも」
シンシアの目から大粒の涙がこぼれる。あたしは慌てて駆け寄ってシンシアの肩を抱いた。
「何があったの」
「地震でパパが死んじゃった。大きな本棚の下敷きになって。あ、あたし、助けようとしたけど、どうにもならなかった。それから大雨で家が流されて。ママがいないの。探したけどどこにもいないの」
あたしはシンシアをぎゅっと抱きしめた。その体は、ぎゅっとしたら壊れてしまいそうなほど、細かった。
「もうどうしたらいいか分からない」
「分かった、分かったよ。シンシア。もう何も話さなくていいから、シェルターで一緒に過ごそう。そうだ、なかにママがいるから。ね、三人で過ごそう。一人じゃないから安心して」
とにかく、傷ついたシンシアをこのままにしておけない。あたしは、シンシアの肩を抱いて、シェルターのなかに入った。この三日間をシンシアはどんなに心細い思いで過ごしたことだろう。シンシアの心の痛みを思うとあたしまで胸が痛んだ。
そうだ。これが現実だ。沢山の命が奪われ、沢山の人が涙を流す。これが大災害。自然を前にしたら、人間が今まで築いてきたものなど一瞬で消し飛ぶ。これから、どうなってしまうのだろう。あたしは、一層不安になった。
一方で、シンシアに会ったことで、アクアポニクス・センターが無性に気になった。こんな大災害に遭って、まったく無事というわけにはいかないだろう。あたしは、シンシアをひとまずママに任せ、アクアポニクス・センターの様子を見に行くことにした。
通い慣れたアクアポニクス・センターの様子は一変していた。ガラス張りの建物は、あちこちにひびが入り、一部は倒壊している。中に入ると状況はもっと深刻だった。水槽はめちゃめちゃに壊れ、通路に野菜が散乱している。野菜が根を張る土壌代わりのハイドボールを入れた細長い樋もところどころ亀裂が生じ、中身が下の水槽にこぼれおちている。
「これはひどい」
どこから手をつけていいのか分からないような状況だ。あたしは、胸が苦しくて息ができなくなりそうになりながらも、奥へと進んだ。センター長らしき人影がずっと行った先にちらりと見えた気がしたからだ。あたしはもはやがれきの山と化した通路でとがったものを踏み抜いて怪我をしないように注意して進んだ。
センター長の背中が見えたので、あたしはそっと声をかけた。
「センター長」
「アリエル、来てくれたのかい」
振り返ったセンター長は思いのほか元気そうだった。
「はい。でも、何と言っていいか」
「うん。まあ、この状況だからね。でも、僕は絶望はしていないよ。必ずここを元のように復活させてみせる」
そう言って、センター長は歯を出してにっこりと笑う。その様子にあたしも思わず笑ってしまう。よかった。センター長は、大丈夫そうだ。
「あたしにできることがあれば、手伝いたいです」
「そうだな。じゃあ、早速で悪いんだが、弱った魚の手当てをしてもらえるかい? 魚だけは無事だった水槽に移してあるから。君の大事なピラルクもそこにいるよ。第三ルームだ」
「は、はい!」
あたしは、魚たちの元へ走った。ルークはどうしているだろう。無事だろうか。第三ルームに入ると、真ん中に大きな円形の水槽が置いてあった。ここだけはどうにか水の循環を維持できているらしい。水質もまあまあよさそうだった。さまざまな姿形の魚が乱れ泳ぐなかにルークはいた。その体から放たれるオーラの色からして体調はまずまずといったところか。
あたしは安心して、ほかの弱った魚の手当てに回った。一匹ずつオーラの色を見ては、手をかざし、青白い炎を当てていく。今にもおなかを上にして息絶えそうな魚たちが次々と生気を取り戻して、活発に泳ぎ始める。少し前まで、自分にこんなことができるとは思いもしないことだった。
「アリエル、成長したね。君をプロジェクト・カルムに送り出すのは、正直言って躊躇いがあったんだよ。でも、こうして君の活躍が見れるのはうれしい限りだ」
気づいたら、センター長が後ろにいた。
「いえ、そんな大したことじゃないです。魚たちが元気になってうれしい。またゼロからの出発だけど、きっと大丈夫。そんな気がします」
センター長も大きく頷いている。そうだ。きっと大丈夫。少し時間はかかるかもしれないけど、全てが失われたわけじゃない。あたしは、少しでもセンター長の役に立てたことがうれしかった。これで少しセンター長に恩返しができたことになるだろうか。
「ところで、君のその浄化の能力、どこから来ているか考えたことはあるかい?」
いきなりセンター長にこう切り出されて、あたしの思考は完全に停止した。
「え」
どういう意味だろう。能力って生まれつきのものって言ったのはセンター長じゃなかったっけ。
「まあ、気長に考えてみるといいよ。僕の口からはこれ以上言えない」
センター長はにっこりと笑って、じゃあ、僕はもう少しここで作業があるから、アリエルは気をつけてお帰り、と言うと静かに去っていった。あたしは水槽の前で、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
あたしの浄化の能力のルーツ? ってことはきっとご先祖さまの話だろうから、ママに聞けば何か分かるのかも。そう考えてあたしはすぐに却下した。ママはこの手の話が嫌いだ。適当にあしらわれて終わりだろう。
もう少しで終わります。




