第8話 卒業
俺は踵を返した。
「えええええええええ……!?」
「ほにゃーっ?」
イチカが大騒ぎして、モモヒナもポッカーンとしているようだが、俺は気にしない。
「せいぜいがんばれよ!」
そう言い捨てて、俺は駆けだす。
走りながら、チラッ、チラッ、と振り返って、様子を確かめた。
イチカも、モモヒナも、もう俺どころじゃない。イチカは小屋オーク、モモヒナは櫓オークの刀をよけたり、かわしたり、防いだりするので精一杯だ。
ありがたいことに、オークたちも俺を追ってこない。俺のことは、イチカとモモヒナを始末してからでいい、とでも思っているのか。そうじゃなくたって、向かいあっている敵に背を向けるのは危険だ。多少力の差があっても、後ろからの攻撃は防御しづらいはずだしな。
読みどおりだ。
ここまでくれば、もう大丈夫だろう。
俺はまんまとピンチを脱した。
「悪く思うなよ、イチカ。モモヒナ」
俺はそのへんの木に隠れた。
「あんな下っ端っぽいオークごときにやられるわけにはいかねーんだ。何しろ俺には、大英雄になるっつー目的があるからな」
膝に手をついて、息を整える。
よし。
俺はすらりと魔剣ソウルコレクターを抜いた。
ソウルコレクターの剣身は、一言でいうと赤銅色だが、沈みかけた太陽が空を染める色、と表現したほうが近いかもしれない。
その剣身には、文字とも紋様ともつかないものが彫りこまれていて、よく見るとそれらがほのかに赤く輝いている。
黒っぽい鍔と柄には、薄い皮か何かが巻きつけられているようだ。それで黒っぽいのか。剥がすつもりになれば剥がせそうだが、今、やるべきことじゃない。中はもっと立派なのかもな。
じっと眺めていると、引きよせられる。吸いこまれそうな気がしてくる。
「魔剣、か」
一目瞭然とまではいかない。でも、見れば見るほど、たしかにこれは魔剣だ。
サジとミネは、旧イシュマル王国領とやらでこの魔剣を手に入れたが、不死族の追っ手にやられて、結局、二人とも命を落とした。サジは最期、この剣に魂を捧げることになった。
負けるなよ、魔剣に、とサジは言い残した。
たとえば、魔剣自体に意思があったり、魔剣に悲劇を引き起こす力があったり、そんなことがあるとは思えない。俺は信じない。
ただ、強大な力を秘めているものがあれば、その力を欲したり、魅入られたりする者がどうしても現れる。
奪ったり、奪われたり。奪いあって、殺しあう。その連鎖が、魔剣の運命とも呼ぶべき「歴史」を織りなすのかもしれない。
サジが言った、魔剣に負けるな、というのは、その運命にのみこまれるな、ということだろう。
サジは、のみこまれて、死んだ。
俺は、そうはならない。
なってたまるかよ。
俺は歩く。
体勢を低くして、走りはしない。
できるだけ音を立てないようにして、まあ、早歩きくらいの速度だ。
行く手に木があれば、身を寄せる。
木から木へと渡り歩くようにして、静かに移動する。
ここだ。
俺は木に背を預ける。
呼吸、乱れなし。
脈拍、平常。
やるか。
俺は木の陰から出る。
やっぱり走らない。
それでいて、急ぐ。
気がつくと、視野が狭まっている。
それで俺は、自分が緊張していることを知る。
ちょっとだけ、動揺する。この俺が、緊張するなんてな。
心臓が、きゅっと縮まっているみたいな、感覚。
俺は、息を止めている。止めようとしたわけじゃないのに。いつの間に。
無理に息をすることも、考えた。
でも、やめておいた。
いけ。
このまま、いっちまえ。
俺は、無言で、ソウルコレクターを突きだす。
今まさに、イチカを斬り刻もうとしている、小屋オークの背中に向かって。
鱗状の金属を貼りあわせた小屋オークの鎧は、布みたいにソウルコレクターの切っ先を通した。
その先にある、小屋オークの身体に突き刺さる。
流れこんでくる。
何かが。
ソウルコレクターの中に。
俺は、見た。
ソウルコレクターの剣身に彫られている文字だか紋様だかが、ぶわっと、赤々と、ほんの一瞬だが、不気味な輝きを増した。
「ハ……ゥッ……ッ…………」
小屋オークは動かなくなって、同時に全身を弛緩させた。
俺がソウルコレクターを引くと、小屋オークは崩れ落ちてしまった。
「……キサラギ……?」
イチカは目を見開いて、呆然としているみたいだ。
「何、変な顔してやがるんだ」
俺は小さくため息をついた。
なんとか、間に合ったか。
「きれいな顔が台無しだぞ」
「き、きれいじゃないもんっ! ぜ、ぜんぜんっ、きれいなんかじゃっ!」
「わかってるっつーの」
「だろうけどっ!」
「なんでキレ気味なんだよ」
「キレてないしっ! てゆうか、あんた、逃げたんじゃなかったの!?」
「バーカ」
俺は走りだす。
まだ終わってねえ。
「この大英雄様が、子分を見捨てて逃げると思うかよ。作戦に決まってんだろ」
「こ、子分って!」
「いいから、ついてこい。この手は基本的に一回きりしかきかねーんだ。モモヒナを援護してやれ」
「するけど! 言われなくたって!」
「だったら、早くやれ!」
「むかつく!」
イチカはそのむかつきをぶつけるように、モモヒナとやりあっている櫓オークに突きかかった。
「むかつく! むかつく! むかつく……!」
「シェアダハッ!?」
この唐突な猛攻には櫓オークもやや驚いたようだ。
「うぉーっ、にゃにゃにゃにゃーっ」
機に乗じて、モモヒナも攻勢に転じたので、櫓オークはたじたとなった。
「……ウダァッ!? ダイダガッシャッ!」
「よーし、いいぞ、おまえら」
俺はほくそ笑む。
すべて俺の計画どおりだ。
形勢がイチカとモモヒナに有利だとはいっても、それがずっとつづくわけじゃない。イチカとモモヒナには、決定打を放つ力がないからだ。どんなに攻めても、櫓オークを倒しきることはできない。だから、やがては疲労困憊して、逆転される。
そこで、俺の出番ってわけだ。
勢いに押されて、それからたぶん、二対一の状況にまだ適応しきれていない櫓オークの背後をとるのは、そんなに難しい仕事じゃない。
……と思ったんだけどな。
「ルァガダッ! ドァンダッシャァッ!」
櫓オークが右へ、左へと跳ぶ。跳んで、刀を、盾を振る。
逆上して、闇雲に、寄るな、近寄るな、と大暴れしているかのようだ。
めちゃくちゃなことをやっているように見えるが、こうなるとなかなか接近できない。
そのうち、櫓オークは落ちつきをとりもどしてきた。絶えず木を背にして、囲まれないようにしている。
ついでに、イチカとモモヒナの動きの質と量が極端に落ちた。
「……ふきゃー。ちかれたぴー」
「……っ……っ…………っ……っ……っ…………」
へたばっているモモヒナも愛嬌があるし、疲れ果てたイチカは哀れっぽくて悪くない。
とか言ってる場合でもないか。
「しょうがねーな」
俺は櫓オークにソウルコレクターの切っ先を向けた。
「おい、オーク。おまえはよくやった。敵ながらあっぱれだ。褒めてやる」
「……キサラギ?」
イチカがいぶかしそうに俺を見た。
その顔は憔悴しきっていて、汗まみれで、気の毒に思ってもよさそうなものなのに、こいつ、もっとつらい目に遭わせたらどうなるんだろうな、と想像してしまう。何なんだろうな。嗜虐心をそそるっつーか。
あと、そこはかとなく、エロい。
「もういいだろ」
俺は肩をすくめてみせる。
「オーク。言葉は通じそうにねーけどな。バカじゃなさそうだし、なんとなくわかんだろ。見逃してやるから、おとなしくどっか行っちまえ」
「本気なの?」
と尋ねるイチカに、俺はうなずいてやる。
「ああ、本気だ。三対一っつーのも卑怯っちゃあ卑怯だしな。大英雄とその子分には似合わねえ」
「にあわねーなー」
モモヒナは何がおもしろいのか、うくくっ、と笑った。
「……でも」
と、まだ何か言おうとするイチカを制して、俺は櫓オークに告げる。
「行けよ、オーク。生きて帰って、大英雄キサラギの名をオーク界に広めろ。ん? オーク界? あんのか、そんなもん。まあいい。とにかく、行ってよし。ほら、行けっつーの。イチカ、モモヒナ、おまえらは下がれ。道、あけてやれ」
モモヒナは、
「にゅーんっ」
と、わりあい元気に……って、もう回復してきたのかよ。体力あんな、こいつ。
イチカも、しぶしぶといった感じで、櫓オークから離れた。
櫓オークは、俺を見つめている。
その目つきからして、俺が言っていることはたぶん、理解しているだろう。ただ、真意を測りかねて、疑っている。そんなところか。
俺はソウルコレクターを下ろして、平然と櫓オークの視線を受け止めてやる。
やがて、櫓オークも刀を下ろした。
俺を見すえたまま、ゆっくりと歩いてくる。
俺は、櫓オークの人間とは違う瞳に、人間と大差ない感情や思考の揺らめきを見ている。
きっと、俺がオークの言葉を覚えるか、オークが人間の言葉を覚えるかすれば、意思の疎通は充分できる。
相手は野獣じゃない。蛮族じゃない。人間とは違うだろうが、同じ人間だっていろいろ違う。
俺はおそらく、櫓オークのことを、ある程度まではわかる。櫓オークもたぶん、俺のことをそれなりにわかる。
その気になれば、俺たちはわかりあえる。
だから、俺は感じてしまう。
祈りながらも、そうだよな、と俺は思う。
俺もおまえだったら、そうするかもしれねーしな。
櫓オークが俺のすぐ脇を通り抜ける。
「ガナシュト」
と、すれ違いざまに、櫓オークが言った。
たぶん、別れの挨拶だろう。
さよなら、と言われたら、たいていのやつは振り返ってしまう。
俺も、そうした。
櫓オークは、こっちを向いて、刀を振りかぶっていた。
……だよな。
わかってたよ。おまえがそうするだろうって。
だから、俺も用意していた。用意せざるをえなかった。
おまえは俺を信用していなくて、俺もおまえを信用しきれていなくて、他の選択もなくはなかったが、結局、お互いこうするしかなかった。
俺は櫓オークに突っこんだ。
ソウルコレクターが櫓オークの腹にぶっ刺さって、魂を、吸う。
一瞬のうちに、吸いこむ。
櫓オークが俺に倒れかかってくる。
すでに、絶命している。
俺は何秒間かだけ櫓オークの重みを感じて、それから、向こうに突き倒した。
「あばよ、オーク」
俺はもう一言、二言、付け加えようとしたが、俺としたことが、ちょうどいい言葉が浮かんでこなかった。
俺は、空を仰いで、目をつぶる。
オークを、殺した。
義勇兵は、オークを殺して一人前。初めてオークを殺すことを指して、俗に、童貞卒業、と言ったりもするらしい。女だったらどうなんだと思わなくもないが、俺は見事、卒業したってわけだ。しかも、初陣じゃないが、初日の二戦目で。はっきり言って、偉業だ。
そのわりに、喜びはない。
満足感もない。
「ようは、それくらい、俺が大物だってことだろ」
俺は呟いて、目を開ける。
前に向きなおると、イチカが、モモヒナが、俺を見ている。
俺は、笑ってみせる。
「勝ったぞ。俺のおかげだ。めいっぱい感謝して、俺を崇めろ。この大英雄様を」
なんとか土曜、日曜も更新するつもりです。