第84話 それかよ
俺は海サハギンの集落に運ばれて、手当てを受けた。
こっちを家族と認めた海サハギンたちはとにかく親切だった。入れかわり立ち替わり、いろんな海サハギンがやってきて、俺に飲み薬だの滋養強壮のための飲み物だのを飲ませたり、海藻だとか薬草だとかを煎じて作ったらしいどろっどろした黒い粘液みたいなものを身体中に塗りたくったりした。ミリリュやハイネマリーは心配そうというか不審そうで、大丈夫なのかそれ、とでも言いたげな顔をしていたが、俺は好きなようにさせた。薬が効くかどうかなんてさしたる問題じゃない。これだけ世話を焼かれていれば、悪くなることはないだろう。まあ、よくなるんじゃねーの。そう思えれば、自然治癒力的なものだっていい具合に働くはずだ。
さすがに、腕は生えてこねーだろうけどな。
俺の左腕は、肘から下、三~四センチのところまで残っている。その先はない。モサに食われた。
医者的な存在だという海サハギンが言うには、傷口の処置をちゃんとしないと大変なことになるらしいから、俺はその処置とやらを頼んだ。処置の内容を聞いて、ミリリュとハイネマリー、ギンジーは腰を抜かしたが、かまわず俺はさっさとやってくれとうながした。
まあ、なんつーか、端的に言うと、傷口をよく洗ってから焼いた。
とはいえ、麻薬みたいな薬を服用してからやったから、なんてことはない……と言いたいところだが、それなりに痛かった。二度と経験したくないと思う程度には痛かった。俺としたことが、早く終われ早く終われ早く終われ早く終わってくれと頭の中で唱えつづけた。気を失ってしまいそうで、いっそ気絶しちまったほうが楽なんじゃねーのかと思わなくもなかったが、失神できなくて残念だった。それくらい痛かった。
処置が終わると、俺は朦朧とする意識をなんとか繋ぎ止めて、ジャンカルロに頼み事をした。
「……ミリリュを連れて、先にヴェーレに戻ってくれ」
「ここの連中が黙って行かせてくれるなら、頼まれてやってもいいがな」
「……大丈夫だ。家族……だからな」
「馬鹿正直に信じるのか」
「……信じるってのは……そんなに大それたことか……?」
「……何?」
「たいしたことじゃ……ねーだろ。誰かを……何かを信じるなんて……飯を食うみてーなもんじゃねーか。相手が……家族だとか、友だちなら……なおさらだ」
「そうやって、おれのことも信じるってのか」
「……信じてなかったら……頼んだりするかよ」
ジャンカルロはしばらく黙りこくっていた。それから、
「ハッ……」
と短く笑って、
「後悔するんじゃねえぞ」
「……ああ……しねえ」
俺がそう答えると、ジャンカルロはさっそくミリリュを連れて出発した。
そのうち俺は発熱して、自分が眠っているのか起きているのかもよくわからなくなった。
ハイネマリーは俺のそばから離れようとしない。
ギンジーは海サハギンたちとわりあい仲よくやっているようだ。
ドンは俺の近くにいることもあれば、姿が見えないこともある。俺と目があうと、ドンはニヤッとする。俺も笑い返す。
何人もの氏族長が会いにきて、おまえは我々の家族だと声をかけられた。いきなりめちゃくちゃ家族が増えちまったな、と何回も同じことを言ったような記憶がある。
シャフィラがプリニキを抱いて見舞いにきた。シャフィラが俺に翡翠濡れ草の在処を明かしたことを、父親に教えてしまってすまない、と謝られたが、そんなのどうだっていいことだ。でも、シャフィラとしては言っておかないと気がすまなかったんだろうな。プリニキがおそるおそる俺の顔をさわって、まじないだか何だかをしてくれた。おかげで、すぐに治っちまいそうだ。
食欲はまるっきりなかったが、食えと言われて出されたものは無理やり食った。つーかまあ、ハイネマリーに食わせてもらったんだが。
熱は三日でだいぶ引いた。痛みもマシになってきた。
俺は起きあがって、のろのろと歩いた。歩けなくなったら食って、ぶっ倒れるようにして寝た。目が覚めるとまた歩いて、食って、寝た。それを三日間つづけると、ちょっとくらいなら走れるようになった。身体が動くようになったから、海サハギンのガキどもと遊んだ。ハイネマリー、ギンジー、ドンも加わった。ジャンカルロが一人で戻ってきた。
島を離れることを告げると、海サハギンたちに思いとどまれと説得された。俺もすっかりこの島と島に住む連中が気に入っていて、生の海産物を主体とした酸っぱかったりしょっぱかったりする食い物も意外と口にあうし、居心地は抜群にいい。名残惜しくはあったが、俺は行かなきゃならない。
海サハギンは俺のために送別の宴を催してくれた。十七氏族が集まっての宴だからそれはもう盛大で、豪勢な飯とあふれんばかりの飲み物はもちろん、歌あり踊りあり、愉快痛快すぎて、絶対にまたいつか帰ってくるしかない。宴の間、俺は何百人の海サハギンと抱擁を交わしただろう。数えきれない。とてつもない大家族だ。
そして、俺たちはジャンカルロの船コルネリア号でヴェーレへと向かった。
まあ、たいした距離じゃない。あっという間だ。
コルネリア号は夕方前には入港して、アウギュストの塔にたどりついたときもまだ陽は落ちていなかった。
ミリリュが塔の外にいて、俺を見つけるとオッパイを揺らしまくって駆けよってきた。
「キサラギ様……! お帰りなさいませ……! キサラギ様……!」
「おう」
「ああ……! キサラギ様……!」
ミリリュが抱きついてきて、俺は突き放そうとしたが……まあ、ちょっとくらいは我慢してやるか。
「ぬぬぬ……ッ」
なんだか知らねーが、ハイネマリーが歯噛みしてしている。
「いやあ、よかった!」
ギンジーは……何、泣いてやがるんだ。馬鹿め。
「よかったです。ほんとに。無事に帰ってこられてよかった! なんかもう信じられないです。いろいろありすぎて。ぜんぶ夢なんじゃないかと……」
「ハッ……」
ジャンカルロは短く笑って、
「腕一本なくなっちまったのも、夢だといいんだろうがな」
ミリリュが身を硬くして、ハイネマリーがジャンカルロを睨みつけ、ギンジーはうつむいた。
ドンだけは泰然自若としている。
いや、ドンだけじゃない。
もちろん、俺もだ。
「まあ、まだ慣れてねーからな」
俺は左腕を振ってみせた。そんなふうにすると、もうない、あるはずのない左手が、ぶるん、ぶるん、と振られているような感覚がある。幻肢ってやつだろうな。たまに、焼けつくように「左手」が痛む。幻肢痛だ。
それから、夢。おかしいな、俺、左腕なくなったんじゃなかったか? あるじゃねーか。ふーん……みたいな夢をよく見る。夢の中ではあたりまえみたいに左腕があって、そのことに何の疑問も抱いていない場合もあるし、目が覚めて、あれ、ねーよ、と思ったりもする。
そんなものなんだろうな、と俺は受け止めている。あったものがなくなったんだ。気持ちの整理はついている。そのつもりでいるが、脳とかそのへんがまだ「そこにある」状態から「ない」状態に適応していないのだろう。そう簡単じゃないってことだ。
「正直、変な感じだ。不便っちゃあ不便だしな。銃も撃てねーし。おまえらがいなきゃ、さすがの俺も少し困るかもしれねえ」
「そ、そうです……!」
ミリリュが勢いこんでうなずいた。
「わたくしが、キサラギ様の左手になります……! そうすれば……っ!」
「ええい、待つのだッ!」
ハイネマリーはミリリュを押しのけた。
「キサラギの左手には、このハイネマリーがなるッ!」
「いいえ、わたくしが……!」
「ハイネマリーがなるのだッ! なるといったらなるッ!」
「だめです! こればかりは譲れません……!」
「そ、それじゃあ!」
ギンジーが自分を指さして、
「ここは一つ間をとって、いえ、どういう間かはわからないんですけど、ミリリュさんかハイネマリーさん、どちらかは僕の第三の手に……」
「なりません!」
「なるかッ!」
「で、ですよねえ。ごめんなさい、ちょっと言ってみただけです、すみません……」
「ヌウ……」
ドンは太い腕を組んで首をひねっている。
「ダイサンの、手……トワ?」
たしかに、そこは俺もちょっと疑問に思わないでもない。
ジャンカルロは舌打ちをして、
「痩せ我慢しやがって……」
とかなんとか毒ずいているが、言わせておけばいい。俺は痛くも痒くもない。少なくとも、ジャンカルロが肝心なときにケツをまくらない男だってことを、俺は知っている。口先の毒なんぞに惑わされてこの男を見誤るほど、俺は愚かじゃない。
「ま……」
俺は左腕を持ちあげて、肩をすくめてみせた。
「おまえらがいりゃあ、こんなもんなくたってなんとかなるだろ。できなくなったことは、おまえらにやってもらう。俺は容赦なくおまえらを使うからな。覚悟しとけ」
「はい……っ!」
いち早くそう返事をしたミリリュと競うように、ハイネマリーが、
「任せるのだッ!」
と身を乗りだしてきた。
「キサラギ! おぬしは大船に乗ったつもりでいろッ! このハイネマリーがいるからには、何ッッッッッッの心配もいらないのだからな……ッ!」
「ぼ、僕も!」
ギンジーは鼻息も荒く拳を握りしめて、
「たいしたことはできませんけど! 僕は僕なりに精一杯あれするので、どうかあれです、大船とまでは言えませんけど、泥舟くらいに乗ったつもりで一つ! 泥舟だったら沈んじゃうんですけどね……!?」
「キサラギ」
ドンは俺の肩にでかくて分厚い手を置いた。
「何、あっても、オレ、オマエの友……ダ」
「ああ」
俺はドンに笑ってみせた。微妙に引っかかるものを感じたが、そのときの俺にはそれが何かわからなかった。
ジャンカルロは顔をしかめて、
「……使われてたまるかよ」
と吐き捨てたが、もうとっくに俺に使われてるじゃねーか。
何の義理もねーのに、ジャンカルロは俺たちを涙の島まで連れていってくれた。なかなかとんでもない危険にさらされても逃げださなかった。軽く怪我をしちまった俺に代わって、手に入れた翡翠濡れ草をミリリュと一緒に届けてくれた。
不意に塔の扉が開いて、正方形の角帽を被り丸眼鏡をかけている小生意気そうな子供が姿を現した。
「騒がしいと思ったら、あなたたちですか。近所迷惑です。中にお入りください」
小姓だか弟子だかのダンテは相変わらず愛想がない。
俺は、
「おう」
と短く返事をして塔の中に足を踏み入れた。
棚だらけで仕切りのない円形の部屋には、得体の知れない雑多なものがひしめいている。壁に沿った螺旋階段から、誰かがヒョイッと顔を出した。
「あーっ……!」
なんか、こいつはあれだな。
小動物みたいだよな。
「きさらぎっちょん! きさらぎっちょんだーっ! わはーっ! きさらぎっちょんだよーっ!」
モモヒナは螺旋階段を下りるんじゃなくて螺旋階段から飛び降りた。そして、俺に飛びかかってきた。
「きさらぎっちょん、ばーんっ!」
で、胸から体当たりしてきたのは、おそらくこっちも胸で撥ね返せっつーことだろう。俺はそうしてやった。
「おらっ」
「うにゃっ! いひゃひゃっ! もっかい、ばーんっ!」
「ほらよ」
「うっきゃーっ! もっかい、もっかい!」
「もういいだろ」
「そっかー。もういっかー。だねー。んー……」
モモヒナは俺の左腕に視線を落として、一瞬、痛そうな表情を浮かべてから、上目遣いで俺の目をのぞきこんできた。
「いたい……?」
「なんともねーよ」
「そっかー」
「おまえのほうが痛そうな顔してんじゃねーか」
「だってぇー……」
「この俺が平気だって言ってんだぞ」
俺はモモヒナのふにゅっとしたほっぺたを軽くつねった。
「大丈夫だ」
「むー……きさらぎっちょんは、強い子だぁー」
「大英雄様だからな」
「だねー。あっ」
と、モモヒナが螺旋階段の上のほうに目を向けた。
俺もそっちを見た。
まだ完調ってわけにはいかねーみたいだな。そりゃそうか。俺じゃねーんだし。
イチカは壁に寄りかかったまま螺旋階段を二、三段下りたところでしゃがみこんだ。息を乱して、俺を凝視している。
痩せて、肉が落ちただけじゃない。なんだか皮膚が薄くなったみたいな、そんな印象も受ける。
「……キサラギ」
とイチカは俺の名を呼んだ。
消え入りそうな声だった。
どういうわけか、俺としたことが、言葉が出てこなかった。こういうとき、なんて言えばいいんだろうな。何だっていいんだが。
結局、俺は、
「ただいま」
とだけ言った。
それなのにイチカは、おかえり、とは返さずに肩を、声を震わせて、
「……馬鹿」
と呟いた。
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