第76話 巻かない尻尾
持ち運びやすいように、途中で氏族長を縛りあげた。
海サハギン一人を担いで走るとなると楽じゃないはずなのに、ドン・ブラグンは涼しい顔だ。ドンの話では、戦友二人を背に負って駆けたこともあるから、これくらいは余裕らしくて、
「オーク、重い。サハギン、軽い」
と豪快に笑ってみせた。
追っ手の姿は見えない。でも、ときおり気配を感じる。
できるだけ急ぎたいところだが、急いては事を仕損じるってやつだ。俺は慎重にペースをコントロールした。
すり鉢谷まで最速最短のコースで直行するため、氏族長に案内させるという手もある。ただ、氏族長にもプライドがあるだろう。正直に案内するとはかぎらないし、俺たちを嵌めようとするかもしれない。
俺たちはまず三角山に登った。そこからすり鉢谷を目指そうとしたら、北東の方向から声が聞こえてきた。
「……サラギ様……!」
見ると、そっちに人影があった。木々を縫うようにして斜面を駆け登ってくる。一人じゃない。二人だ。
「ミリリュ! ジャンカルロ……!」
俺が叫ぶと、ミリリュは弾けるように笑った。それはいいんだが、なんであいつら、あんなに必死になって走ってやがるんだ。なんでもクソもへったくれもない。
ミリリュとジャンカルロは追われているのだ。
翡翠濡れ草を採取して、すり鉢谷を出たあたりで、氏族長が差しむけた連中と鉢合わせした。おそらく、そんなところだろう。
目を凝らせば、ミリリュとジャンカルロの後方にちらちらと海サハギンたちが見える。数は……よくわからないが、二人や三人じゃない、五人か六人か。もっといるか。
「ふっ!」
と、氏族長がドンの肩の上で笑った。
「はははっ! 終わりだ!」
「キ、キサラギ……!」
ハイネマリーが、今、俺たちが登ってきた方向を指さした。
俺はそっちに目をやった。追っ手だ。追っ手の海サハギンたちが、とうとう姿を現した。いる。こっちは五人や六人どころか、何十人もいる。
「挟み撃ち、か」
ドンはまったくうろたえていない。むしろ、闘志をみなぎらせている。
頼もしいかぎりだし、俺だってこれくらいのピンチはピンチのうちに入らないと思ってはいる、が……俺は銃を握りしめて、奥歯をギリッと噛みしめた。
氏族長はたぶん、覚悟を決めている。自分もろとも俺たちを殺せと命じるだろう。やつらはそんな命令には従わない。そう思いたいが、どうだかな。正直、わからない。やつらがかかってきたら、銃で威嚇しても無駄だ。捨て身で押しよせてくる。そうしたら、こっちも本気で応戦するしかない。
「……やむをえねーか」
やるなら、先手を打つ。接近される前に銃撃で突き崩さないと、こっちのほうが頭数が少ないぶん不利になる。
「ハイネマリー」
俺は銃を構えた。
「やるぞ」
「……了解したッ」
ハイネマリーも銃を持ちあげた。
ミリリュとジャンカルロは、もうすぐ俺たちのところに到着する。それが合図だ。
「あわわわわわ……」
ギンジーがガタガタ震えている。そういえばこいつ、なんで銛を持ってやがるんだ。自分の銛は捕まったときに没収されたはずなのに。やけに立派な銛だ。氏族長の銛か。拾って持ってきたらしい。意外とちゃっかりしてやがるな。
俺は冷静だ。落ちつきはらって、海サハギンをぶっ殺す。これで俺は海サハギンの敵になる。母親サハギンや、けっこうかわいかった娘サハギンの顔が脳裏をよぎった。まあ、こういう運命だったってことだ。悪く思うなとは言わねえ。悪く思え。俺は平気だ。
ミリリュがきた。
俺は一人の海サハギンに狙いを定めて、引き金を引き絞ろうとした。
ムオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……!
「なっ……!?」
俺としたことが、とっさに耳をふさいでしゃがみこみそうになった。でも、俺だけじゃない。ギンジーは、
「ギョヒィッ!?」
と悲鳴をあげてなぜかジャンピング土下座を決めたし、ハイネマリーはすくみあがっている。ドンでさえ、
「ウルガ……ッ!?」
とか、おそらくオークの言葉で何か言って、腰を折った。
「きゃあっ……!」
ミリリュは俺に抱きついてきて、ジャンカルロは立ちすくんだ。口をあんぐり開けて、西の彼方、海のほうを見ている。
海サハギンたちも全員、足を止めていた。
どうする?
俺は迷った。今ならたやすく突破できる。ただ、それどころじゃない、と俺の勘がやかましくがなりたてていた。何かとんでもないことが起こったか、少なくとも起こりつつある。ここから逃げるとか逃げないとか、そんなことを言っている場合じゃない。「対処」するべきだと、俺の第六感が告げていた。何を差し置いても、「それ」をどうにかするべきだ。それこそが俺のやるべきことだ。でも、何が起こってやがるんだ……?
「おい」
俺は氏族長に声をかけた。
「さっきのは何だ。わかるか」
「……わ、わからん」
氏族長は首を動かして、あちこちに視線を巡らせた。
「あんな声は、聞いたことが……」
「声?」
俺は唇を舐めた。声。
そうだ。たしかにあれは物音って感じじゃなかった。きっと声だ。何か動物の鳴き声か。だとしたら、そうとうでけーぞ。
「ハッ……」
と、ジャンカルロが短く笑った。
「モサだ」
「……モサ?」
俺が訊くと、ジャンカルロは首を振って、
「いや……まさかな。ここは島だ。やつが陸に上がってくるわけが……」
ムオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……!
まただ。さっきより大きかった。肌がびりびり震える感覚にさえ襲われたくらいだ。
「間違いなく、海のほうだったな」
俺は西のほうを凝視したが、高くなっているところと木のせいで海岸線は見えない。口の中がやたらと乾いている。動悸がすごい。
「モサとは」
氏族長がジャンカルロを睨みつけた。
「モサとは何だ! 何のことだ!」
「船を沈める化物さ」
ジャンカルロの顔色がよくない。血の気が失せている。
「見た目はクソみたいにでけえ鰐って感じでな。何を隠そう、俺の親父の船はモサに沈めらちまったんだ。そのとき、俺も親父の船に乗ってた。昔の話だが……」
「ダイノギュラのことか」
氏族長は魚の目を見開いて、狼狽しきっている。
「それはダイノギュラだ。なんたることだ。ダイノギュラはもっと南にいるはずなのだ。もともと我々海サハギンは、ダイノギュラが支配している南の海から逃れて北上してきた。これは、南に下ってこの島に居を定めた我らに対する報いなのか……」
「そのダイノギュラってのは知らんがね」
ジャンカルロは苦笑しようとしたのかもしれないが、顔が引きつっている。
「モサは海の化物だぜ。陸に上がってさえいりゃあ、難を逃れられるんじゃねえのか」
「違う。そうではない。違う」
氏族長はこの世の終わりみたいな顔をしている。サハギンじゃない俺にもそんなふうに見えた。
「ダイノギュラはたしかに海で暮らしている。このような近海にはめったに姿を現さない。しかし、産卵は陸上で行うのだ。かつて、我ら海サハギンの島がいくつもダイノギュラによって蹂躙された。ダイノギュラは海サハギンを食い荒らし、栄養をたくわえて、卵を産むのだ。ああ……この島は終わりだ……我々は、ダイノギュラに食われてしまう……」
「馬鹿野郎!」
俺は氏族長を叱りつけて、ドンに顎をしゃくってみせた。
「そいつを下ろせ」
「ム? ヌゥ……」
ドンは戸惑いながらも氏族長を肩から下ろした。
氏族長はきょとんとしている。
「……な、何のつもりだ」
「何のつもりだ? おまえこそどういうつもりなんだ。この島は終わりだと? みんな食われちまうだと? ふざけるな。さっさとあきらめるんじゃねえ。いいか、おまえは」
ムオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……!
「うっせえ! ちょっと黙ってろ!」
俺は顔をしかめて西の方角に悪態をつき、氏族長の首飾りをつかんで引きよせた。
「おまえは氏族長だろうが! 年寄りも、女も、ガキも、おまえが守ってやらねーでどうする! 絶望なんかしてる暇があったら、集落に戻っておまえの民を避難させろ!」
「……そ、そうしたくても、私は囚われの身で……」
「解放してやる。ギンジー、縄を解いてやれ」
「は、はははいっ! えっ!? はいぃぃぃ……!? い、いいんですかぁっ!?」
「いいに決まってんだろうが。やれ。おい!」
俺はそこらへんにいる海サハギンたちに呼びかけた。
「おまえらもわかってんだろうが、ダイノギュラとかってのが出たらしい! 氏族長は解放する! 集落に帰って、まず女子供を逃がせ! いいな!」
海サハギンたちはおどおどしたりまごまごしたりしている。
ギンジーが大慌てで氏族長の緊縛をほどいた。
「あ、あの、ど、どうぞっ!」
「……すまない」
氏族長は頭を振った。
「いや、私が謝るのは……」
「いいから早く行け!」
俺は銃を振って、氏族長を急がせた。西の海岸のほうからムオオオオオンムオオオオオオンやばい鳴き声が聞こえてくるし、氏族長も腹をくくったらしい。
「皆の者……! 村に戻るぞ! この人間たちは捨ておけ! ダイノギュラが現れた以上、今はそれどころではない! 一人でも多く救わねばならん……!」
そう叫びながら、三角山を駆けおりてゆく。海サハギンたちも氏族長に従うみたいだ。
「クッ……」
と、ジャンカルロが腹を抱えて笑った。
「ククク……ッ。なんて野郎だ、キサラギ、てめえってやつは。ここしかねえってとこで、よりにもよってあの化物が出てきやがるとはな。悪運が強えにも程がある」
俺は、ふん、と鼻を鳴らして、俺にオッパイを押しつけまくっているミリリュの腰のあたりに目をやった。
「その中か」
「あっ。は、はい、そうです……!」
ミリリュは腰に吊してある瓶を持ちあげてみせた。
「これが翡翠濡れ草……なのではないかと。おそらく……い、いえ、翡翠濡れ草です!」
瓶の中には青く光るコケみたいな、シダみたいなものが詰まっている。アウギュストの弟子だか小姓だかのダンテがくれたメモには、翡翠濡れ草のだいたいの形も描かれていた。それとそっくりだから、まず間違いないだろう。
ハイネマリーが、ふぅーッ、と額の汗をぬぐう仕種をした。
「これであとは、ヴェーレに戻るだけ……かッ」
「いやあ、一時はどうなることかと思いましたけど」
ギンジーが魚の満面に笑みをたたえた。
「よかったです、本当によかった! 正直、冗談抜きでもう魚の骨になっちゃうんじゃないかと! なんていうか、生きてるってすばらしい! 生きてるだけで最高っ! こんな気持ちを味わうことができただけでも、故郷を出てきた甲斐がありました! 皆さん、ありがとうございます……!」
ドンは静かに俺を見つめている。俺がうなずくと、うなずき返してくれた。
あえて、行くぞ、とは言わなかった。俺が歩きだすと、ドンがついてきた。つられるようにミリリュと、それからハイネマリーも。ギンジーは慌てふためいて、
「ギョギョギョ……ッ!?」
と自分の左脚に右脚を引っかけてすっ転んだ。
「あ……?」
ジャンカルロだけは動かなかった。
「待て、キサラギ。船の隠し場所に向かうなら、そっちより……」
「まだだ」
俺は足を止めて、振り向いた。
「船にはまだ戻らねえ」
「何?」
「その前に、やることができたんでな」
「……てめえ、まさか」
「まさか、だと?」
俺は首をかたむけて、唇の片端をつりあげた。
「間の抜けた台詞、吐いてんじゃねーぞ。俺は大英雄キサラギ様だ。こんなときにやることは一つ。もちろん、尻尾を巻いて逃げることじゃねえ。モサだかダイノギュラだかをぶっ潰す。俺がやらねーで誰がやるんだ」
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