第68話 それぞれの理由
アウギュスト・クラストローレ。
年齢不詳。二十代には見えないが、三十代か四十代か。若々しくも、意外と年がいっていそうにも見える。顔が長くて、髪はそれ以上に長い。あとは、丸眼鏡。見た目の特徴はそのくらいだが、どこからどう見ても奇人変人のたぐいだ。言動もおかしい。まず人の話を聞かない。自分の思うままにしゃべって、思いつくままに行動する。この男の頭の中には絶えずいろいろなものが渦巻いていて、何かが表面に出てくると、それについて話したり考えたり書いたりしないと気がすまないようだ。我慢するということがない。自分の興味のおもむくままに生きて、アウギュスト・クラストローレはアウギュスト・クラストローレのままいつか死ぬのだろう。
職業は本人曰く、薬師じゃなくて、薬物研究家らしい。
なんでも、アウギュストが四歳のとき、母親が毒のある魚を食って死んだ。その経過をつぶさに観察しているうちに、アウギュストは毒物に目覚めたらしい。それからありとあらゆる「毒を持つもの」を集めはじめ、その毒で様々な生き物を殺傷しまくっているうちに、八歳にして「毒は薬にもなる」ことに気づいた。アウギュストは毒と薬は表裏一体だと知って、その境目の探求に没頭。もともとは父親が財産家で、その金を使って研究していたのだが、やがて父親に頼まれて調合していた毒や薬が多大な利益を生んでいること、つまりべつに父親の援助などいらないことを知って、絶縁。父親はいつぞや息子に署名させた契約書を盾に「契約」の履行……早い話、父親のために、金を生むために働けと迫ったが、アウギュストにそのつもりはさらさらなかった。
で、どうしたか?
××した。
まあ、はっきり言うと、毒殺した。
なかなか恐ろしいことを、アウギュストはあっさり語ったので、やつにとっては何の痛痒も感じない、ただ邪魔なやつがいたので排除したというだけの出来事なのだろう。
当然、アウギュストの所業はヴェーレ中に知れ渡ったが、父親が強引な商人兼わりとあくどい金貸しだったこと、また、アウギュストがまだ十三歳だったこと、それから、ヴェーレには一応、雷神法廷とかいう裁判所があるのだが、訴えがなければ動かない。アウギュストが父親の部下に父親の財産や権益を渡したこともあって、訴える者が誰もいなかったから、咎めだてされることはなかった。毒殺少年として名を馳せ、恐れられることにはなったみたいだが。
とはいえそれもまあウン十年前のことなので、今さら当時の「事件」を引きあいに出す者は多くない。
現在のアウギュストは、あくまで薬師として有名だ。
どんな奇病、難病でも、特効薬を見つけだすか、少なくとも症状を緩和させる薬を知っている。
おかしな男なので、できれば関わりあいになりたくない。何しろ、自分の親でも平気で毒殺するような男なので、関わらないほうがいい。
だが、他にすがる藁がなければ、背に腹はかえられない。どうしてもやばくなったら、アウギュストに頼れ。ヴェーレにある程度、住んでいるやつなら、誰でも知っているのだという。オークのドン・ブラグンはまだヴェーレにきて日が浅いし、命の危険にさらされたこともなかった。だからアウギュストの話を聞いたことがなかったのだ。
「ふむ……」
アウギュストは気の向くまま自分語りをしたり、突然、中断して別のことをしたり、薬物談義をしたりしたあげくに、ようやくイチカを診察してくれた。
イチカを机の上に寝かせて、体温計で熱を測り、脈をとって、瞼をめくる、口の中を調べる。聴診器で心音を聞く。服を脱がせて、裸にされても恥じ入る気力さえないイチカの発疹の状態をあらためる。身体のあちこちを指で押さえたり、ぎゅっと握ったりもした。
一通り終わると、アウギュストはつまらなそうにうなずいて、
「なるほど。これは緋熱病ですね。西のいくつかの川の流域でたまに見られる病気です。ただ、ここまで重症化するのは非常にめずらしい。その意味では、興味深いと言えなくもありませんけどね」
「ひねつびょう……」
モモヒナがこわごわと訊いた。
「って、どんなのかなー……?」
「見てのとおりですよ」
アウギュストは、フッ、と鼻で笑って、
「風邪みたいなものですが、特徴的なのは高熱と発疹です。関節の痛みを訴えることも多いですね。ときに合併症を起こして、劇症化する。発疹が全身に広がった場合は死亡例もあります。というか、そこまでいくと死にますね」
「死ッ……」
ハイネマリーが目を瞠って絶句した。
ドン・ブラグンはきつく腕組みをして、
「ヌウ……」
と唸っている。ちなみにドンのやつはイチカの診察が始まると目を閉じて、今も律儀につぶったままだ。
「何か」
ミリリュがでかいオッパイを押しだすようにしてアウギュストに詰めよった。
「何かないのですか! その緋熱病という病に効く薬は……!」
アウギュストはちらっとミリリュのオッパイを見たが、やけに大きな肉塊としか思っていないような顔つきだ。
「薬はありますよ。もちろん。ないわけがない。私を誰だと思っているんだ。緋熱病には特効薬があります。というか、私が作ったんですけどね」
「それでは……!」
「くれ、と?」
「タダでとは言わねえ」
俺はイチカに目をやった。
イチカは机の上で横になっている。服は着ていない。身体の上にかけているだけだ。自分で服を着る元気もないほどぐったりしている。
俺はイチカの頭の形を確かめるみたいにさわって、指で髪を梳いた。そうするとイチカは、俺のほうをぼんやりと見て、かすかに首を振った。
「……たない、から」
汚いから、さわるなってか。
馬鹿なやつだ。
俺はモモヒナとミリリュに視線の動きで合図を送った。二人はすぐに俺の意図を察したようだ。イチカに服を着せはじめた。
俺はアウギュストに向きなおった。
「あんたは人助けが趣味ってわけじゃなさそうだしな。こっちは喉から手が出るほどそれが欲しいんだ。相応の代償は払ってやる。何が必要だ」
「ほう」
アウギュストは丸眼鏡をくいっと押し上げて、口許をゆるめた。
「物わかりがよくて助かります。そう! 求めるものがあるのなら、手に入れるために何かを差し出さねばならない。それは真理にかぎりなく近い、しかもありふれた、どこにでも転がっている事実だ。たまにそんなこともわからない愚か者の相手をさせられて時間を無駄にすると、私は耐えがたい不快感に襲われてその馬鹿を毒で苦しませ悶えさせたくなる。あなたがそうじゃなくてよかった。お互いのために、ね。そうは思いませんか? 思うでしょう?」
みんなアウギュストに気圧されて、あるいはドン引きしている。
俺は、でも、狂気じみた能書きを垂れるアウギュストから、一抹の悲哀のようなものを感じていた。
何かを手に入れるために、何かを差し出さねばならない。
アウギュストのその「信仰」は、どうやって形づくられたのだろう。こいつも欲しいものをえるために、いろいろなものを犠牲にしてきたんじゃないのか。ただ手に入れてきたわけじゃない。失うこともあった。アウギュストは母親を失い、父親を手にかけた。べつに平気だったわけじゃないのかもしれない。アウギュストなりにそれは大きな喪失の体験で、だから何かを求めて訪れる者にも対価を要求せずにはいられないんじゃないのか。
いずれにしても、俺は応えるしかない。
そうする以外にイチカを救うすべはないからだ。
「あんたは何が欲しい。俺は何をすればいいんだ」
俺は単刀直入に訊いた。
「きみのことは好きになれそうですよ」
アウギュストは笑みを浮かべた。名高い、いや悪名高いと言ってもいいかもしれない変人にしては、なかなか人好きのする顔つきだ。
「ちょうど切らしていて、とってきてもらいたいものがあります。言うまでもありませんが、それと引き替えに緋熱病の特効薬をさしあげましょう」
「いいだろう。何だか知らねーが、とってきてやる」
「すばらしい! 打てば響くような返事だ!」
アウギュストは拍手した。
「なあに、ちょっとしたお使いのようなものです。ヴェーレが面する大海の沿岸に涙の島と呼ばれる小島がありましてね。そこにしか生えてない、そして、これは私にもまだ理由がわからなくて忸怩たるものがあるのですが、そこでしか育たない、翡翠濡れ草という苔のような植物があるんです。それを採集してきてほしい」
「わかった。島の場所と、その苔の特徴を教えろ」
「ええ、もちろんです。ダンテくん、必要事項を紙に書いて彼に渡しておあげなさい」
「はい、アウギュスト様」
小姓だか弟子だかのダンテは軽く頭を下げると、さっそく棚から紙をとりだして、一瞬、俺を見た。
何か言いたそうな眼差しだった。
もしくは、俺を哀れんでいるみたいな。
俺は悟らずにはいられなかった。翡翠濡れ草とやらの採集は、アウギュストが言うような「ちょっとしたお使いのようなもの」なんかじゃない。何かある。ぱっと行って、さっと採集して帰ることができないような事情があるのに違いない。
まあ、覚悟はしている。それがどうした。何だろうと、俺はやると決めた。
あとはやるだけだ。
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