第25話 勝負の行方
「キマイラ……!」
声を張りあげて呼びかけると、やつはすぐにこっちを向いた。
こい。
こいっつーの。
「おら!」
俺は左手の甲をキマイラに向けて、くいっ、と手首をこっちに曲げてみせた。
「どうした、ケダモノ! かかってこねーのかよ! この弱虫毛虫!」
キマイラのライオン頭は、ぐるる……と喉を鳴らしている。
山羊頭がごにょごにょ言いはじめた。まーた魔法か。
だが、もう何回か食らっているので、だいたいこのくらいで呪文が終わって魔法がくる、というのはだいたいわかる。
もうすぐだ。
俺は横っ跳びする。
ズガァーンッと雷が落ちた。
当たらなかった。当然、よけた。
俺は転がって、すぐに起きあがる。
「そんなの効くかよ! 俺を殺してーなら、どーんと突っこんでこい!」
「……キサラギ!」
後ろから声がした。
イチカが窪みから顔を出して俺を呼んでいるんだろう。
俺は無視してやったが、早く片づけねーとな。
これでどうだ。
「わかったよ」
俺はソウルコレクターを鞘に納めた。
鞘を左手に持って、両腕を広げてみせる。
「まさか、てめーがそこまでショボいショボショボキマイラだとは思わなかったけどな。いいぜ。ハンデをくれてやる。見ろ。俺は素手だ。こいよ、雑魚。こい!」
ようやく、かよ。
キマイラが、
「ゴォアアァァァァァアアアアァァァァァン……!」
と吼えて走りだす。
「キサラギ、何やって……!?」
イチカが叫んだ。
「ふにゃぁーっ!?」
どこからかモモヒナも声も聞こえた。
「きっ、キサラギ様……!?」
ミリリュは木に登っていたらしい。飛び降りようとしているが、そっからじゃどうせ間に合わねーよ。
間に合われても困るけどな。
「……俺が決めるっつってんだろ?」
俺は笑みを浮かべようとした。
うまくいかない。
顔が引きつっている。
呼吸も変だ。身体が平べったくなっているかのように、ちゃんと息ができない。
脚もがくがくしている。
怖いのかよ、俺?
んなわけねーし。
俺は恐れない。この決断を悔いてもいない。これでいい。俺は完全に正しい。俺はやれる。つーか、やる。心臓の位置が胸から耳のそばに移動したみたいだ。耳許で心臓がダクダクダクダク鳴っている。俺はやる。やる。やってやる。キマイラが迫ってくる。遅ぇーな。さっさとこい。変だよな。なんでそんなに遅い? 俺の感覚が変になっているのかもしれない。一秒が一分にも、十分にも感じられるってやつだ。俺は焦っている。さっさとしてくれ。もうどうにでもなれ。終わってくれ。そんな気分にさえなっている。
だめだ。
これじゃだめだ。
俺はただそのときを待つことにする。
何も考えない。
思わない。
できるだけゆったりと構える。
キマイラがくる。
最後の一歩は大きい。飛びかかってくる。
俺はソウルコレクターの柄を右手でつかみ、鞘から抜こうとする。
たとえ俺の感覚が一秒を一分と感じていても、一秒は一秒だ。
抜けない。
抜ききる前に、キマイラは到達する。
右の前肢だ。
「ぐ……っ!」
俺は倒された。
キマイラの右前肢が俺を地面に押しつけている。
骨とか、内臓とか、いろいろイッたな。
それがどうしたよ……?
俺は今度こそソウルコレクターを抜こうとする。
キマイラはたぶん、ビビッた。
それで慌てたのか何なのか。
やつは右前肢の爪を俺の身体のどこかに引っかけて、すくいあげた。
俺は宙に浮く。
舞いあがる。
動かねえ。
身体が。
とくに下半身が。
どうなってんだ。めちゃくちゃに潰れちまってんのか。
よくわからない。
痛みはない。
熱い。ひたすら熱い。燃えてるんじゃねーかってくらい、熱い。
俺は落ちる。
落下する。
山羊の頭が迫ってくる。
抜け。ソウルコレクターを。剣を。魔剣を。俺の剣を抜け。なんでだよ。
なんで身体が言うこと聞かねーんだよ。
言うこと聞け。
聞け。
俺の身体だろうが。
根性見せろ。
山羊頭は首をひねって、角で俺をドーンッと突きあげようとしたのかもしれない。
そのときになってやっと、俺の身体が根性を出した。
といっても、ちょっと身をよじっただけだ。
おかげで、山羊の角がぶっ刺さった。
俺の土手っ腹に。
ぐっさり刺さって、貫いた。
「ごへ……っ」
何かがこみあげてきて、俺はそれを吐いた。
すごい量の、血だった。
目が霞む。
やってくれんじゃねーか。
山羊頭が首を振る。振りまくる。俺を振りほどこうとしている。そうはさせない。俺は腹に力を入れる。気が遠くなりそうだ。冗談じゃねえ。ここにいろ、俺。まだだ。まだここにいろ。もうちょっと、ここにいろ。
「……言ったよな?」
俺はソウルコレクターを抜いた。
指が自分のものじゃないみたいだ。少しでも気を抜いたら剣を落としてしまう。落としてたまるかよ。
「二秒で、ぶっ殺す」
俺はソウルコレクターを振った。
剣先が山羊頭の、角の付け根あたりをかすめた。
浅いか、と思った。
いや。
がくんっ……と。
キマイラが崩れ落ちる。
ソウルコレクターがやつの魂を吸いとったんだろう。
俺、どうなるんだろうな。
キマイラの魂、一個でよかったよな。最悪、三つくらいあるんじゃねーかとかも考えたからな。そうだったら、ちょっときつかったかもな。
ああ。
なんか、落ちる感じ。
どっかに、落ちていく、みたいな。
衝撃……?
ずぅーん……、
的な?
よくわかんねーな。
でもおそらく、キマイラは倒れた。横倒しになって、俺はまだ、山羊頭の角で串刺しになったままでいる。
咳が、出た。
「あー……」
苦し。
なんつーの。こう、あれだな。世界全体が狭くなっていくみたいな、そういうあれ。世界が閉じていく、みたいな。全方位からなんかすっげー重くて硬いものに挟まれていて、やばい、みたいな。痛いっつーよりも、やばい。
誰かが、俺の名前を呼んでいる。
誰かっつーか、イチカと、モモヒナと、ミリリュだろうな。それ以外、いねーし。
あいつら、どこにいるのかな。よく見えない。ぼんやり、してる。
もしかして、今、近くにいるの、あいつらか?
「今、助けるから……!」
とか言ってる。
……って、抜くのかよ。おいおいおいおい。角からおまえ、刺さってんだから俺、抜いたらおまえ、ちょっと、うおっ、それ、痛っ、痛い、痛っ、痛たたたたたたっ……うおぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
抜けた。
俺は地べたに寝かされた。
イチカと、モモヒナと、ミリリュが、俺を囲んで見おろしている。さっきの痛みで少し目が覚めたのか、三人の顔がわりとはっきり見える。
「……寿命、縮んだだろーが」
「ばかっ!」
イチカ。
泣いてんのか、おまえ。
おまえこそ、馬鹿だな。
自分が死ぬわけでもねーんだから、何も泣くことねーだろ。
「テムジン……脚……怪我して……っから、治して……やってくれ……」
「ひとの心配してる場合じゃないでしょ!」
「テムジン、は……ひと、じゃねえ……馬だ……」
「そういう問題じゃ……!」
「キサラギ様……!」
ミリリュは俺の左手を握っているのかもしれない。
でも、よくわからん。
あんまり感覚がねーんだよ。
「どうか……! どうか! どうかっ! お願いいたします! どうか……っ!」
どうかどうかって、どうかと思うぞ、それ。どうか製造マシーンかおまえは。ちゃんとしゃべれ。
……って、言ってやりてーんだけどな。
もうめんどくせーわ。
「きさらぎっちょん!」
モモヒナは、俺の右手を自分の口のところに持っていって、指をガジガジ噛んでいる。
しかし、ちっとも痛くねーんだな、これが。
「だめだよう! きさらぎっちょんいないと、あたし、だめだもん! だから、だめだよ! めっ、だからね! めっ!」
めっ、か。
ガキか、てめーは。
笑っちまうな。
俺、今、笑えてんのかな。
あと一言くらいは、言えるか?
何、言うかな。
浮かばない。
何も、浮かばない。
ま、いいか。
なんか、痛いとか苦しいとかも、ない。どっちかっつーと、気持ちいい。
長い長いトンネルを抜けた、みたいな感じだな。
さっきまで暗かったのに、妙に明るい。
あったけーし。
悪くねーな。
うん。
これはこれで、な。
結局、俺は、別れの言葉を口にしようとした。
「死なせない……!」
と、イチカが俺の胸倉をつかんで引っぱって顔を近づけてきてそんなことを言わなければ、俺はさらばと告げてどこか遠くに旅立っていただろう。その準備はしっかりできていたわけだし。
「わたしが、死なせない! 絶対、あんたを死なせないから!」
……んなこと言ったって、おまえ。
「使う! 光の奇跡を、もう一度! 使ってみせる! 成功させる!」
……無理すんなって。
「自信持てって、言ってくれたでしょ! あんたが言ったんじゃない! わたしは、わたしを信じる! できるって、信じる! やってみせる! モモヒナ、ミリリュ、このバカを支えてて! 声、かけて! かけまくって!」
モモヒナとミリリュはそのとおりにした。これがうるせーのなんのって。こっちはもう放っとけって感じだっつーのに、なんでそんな。
「……光よ、ルミアリスの加護のもとに……!」
でも、な。
ちらっと、思わないでもなかった。
「光の奇跡……!」
死にたくねえ。
生きたい。
生きられるものなら、まだ生きたい。
期待はしなかったけどな。
これっぽっちも、しなかった。
おまえのおかげで最後に希望みたいなものが転がりこんできて、それをこの手に握りしめることができたから、結果なんてもう、どうだっていいよな。
〝Soul Collector編〟は次回で終わります。
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