第24話 いい女
俺とイチカは滑り落ちる。
影森の地面には縦横無尽といってもいいほどあちこちに亀裂が入っていて、行き止まりみたいになっているところもたくさんある。
俺はイチカと俺の間に小さな亀裂があるのを見てとっていて、じつはそこに逃げこむつもりでいた。
なんとかそのとおりになったわけだが、懸念もなくはなかった
亀裂の深さがどれくらいか、わからない。ものすごく深かったら、まあ、それなりにまずい。それなりっつーか、死んでもおかしくない程度にはまずい。
だから、これは賭けだった。
でも、他に手段があるわけでもなかったし、大きな亀裂じゃないからおそらく大丈夫だろうと見越していた。
案の定、俺たちは三メートルくらい滑落しただけで底にたどりついた。
「ぐでっ」
尻を打って、痛いといえば痛かったが、これくらいたいしたことはない。
こりゃあ、あれだな。
亀裂っつーか、窪みだな。
俺はイチカにソウルコレクターの剣身がふれないように右腕を思いっきり上げて、左腕でイチカを抱きしめるような体勢になっている。
「平気か、イチカ」
「……う……」
イチカが身じろぎして何か答えようとしたら、上のほうから、
「ゴアアアァァァァァァン……!」
とキマイラが吼える声が聞こえた。
キマイラは窪みの一帯をうろうろして、俺らを捜しているみたいだ。
イチカは震えて、俺にしがみついている。
俺は舌打ちをしそうになったが、こらえた。
「大丈夫だ。どうせやつは入ってこられねーしな。安心しろ」
「……あん、しん……」
「ああ、そうだ」
「……だいじょ……ぶ……わた、し……だいじょ……ぶ……?」
「イチカ?」
おかしい。
しゃべっていることも変だが、イチカの震え方が尋常じゃない。もともと様子が妙だったしな。何だ? どうしちまったんだ、こいつ……?
「おまえ……」
俺はぎょっとした。
イチカの背中に回している、俺の左手だ。
濡れている。
ぬるっとした、この感触。
血だ。
俺はイチカの背中から首筋、後頭部までを左手で探った。
「うっ……」
イチカは呻いた。
そりゃそうだ。
血がすげえ。
頭からか?
めちゃくちゃ出血してんじゃねーか。そうとう強く打ってるだろ、これだと。
「だ、だいじょ、ぶ」
イチカは首を横に振ってみせた。
「わたしは、だいじょ、ぶ、だから。べつに、これくらい」
「いや、おまえ、怪我してんだったらさっさと治せよ。どう考えたって重傷だろ。何、やせ我慢してやがるんだ」
「だいじょ、ぶ。いたく、ないし」
「痛みとかもよくわからなくなってんじゃねーのか。やべーだろ、それ」
「……だいじょぶ、だから」
「大丈夫じゃねーんだよ! いいから、今すぐ魔法で治せ。おまえこれ、場所が場所だし、意識なくなりでもしたら終わりだぞ。そうだ、光の奇跡。サクラメントだったか。覚えたんだよな。あれなら一発で治せるはずだ。やれ」
「……それは、だめ」
「ああ?」
俺はイチカを一回突き放してその間抜け面を拝みながら罵倒してやりたかったが、まあやめておいた。イチカは頭を打ってふらふらしている。なるべく動かさないほうがいいだろう。そうだ。そもそも動けるような状態じゃねーだろうが。声を荒らげるのもよくないか。くっそ、腹が立つ。
「バカじゃねーのか。だめじゃねーだろ。死んじまうぞ、おまえ。早くしろ」
「だめ」
「なんでだよ!?」
つい大きい声を出してしまった。
「……なんで。何かできねー理由でもあるのかよ」
「わたしは、神官だから」
「ああそうだな。だから何だ」
「みんなを、死なせない。死なせたくない」
「……意味がわからねーぞ。どういう理屈なんだ、それ」
「光の、奇跡は」
イチカは、はっ、はっ、はっ、とあえいでいる。
やけに苦しそうだ。
「一度しか、使えないの。強力な、魔法だから。わたしはまだ、たった、一度しか。自分の、ために、使う、わけ、には……」
俺は、笑った。
笑うしかなかった。
何だそりゃ。
どういう心がけだ。ずいぶん殊勝で立派じゃねーか。いっぱしの神官気取りかよ。正気か。ちょっとおかしいんじゃねーの。何だよ、そりゃ。何なんだよ。
「……わたしは、死なせ、たくない、死んで、ほしくない、誰にも、モモヒナ、にも、ミリリュ、にも、あんた、にも……死んで、ほしく、ない……から、わたし……」
「イチカ」
俺はイチカを抱いている左腕に少しだけ力をこめた。
「これは命令だ。今すぐ光の奇跡を使え。従わねーと、ぶん殴る。やれ」
イチカは拒んだ。
だろうな。
しょうがねえ。
「……頼む」
俺は声を震わせた。
我ながら、名演技だ。
「頼む、イチカ。もしおまえが死んじまったら、俺は……だめだ。それこそ、だめだ。イチカ、頼むから」
「……キサラギ……」
「魔法を使ってくれ。このとおりだ」
一秒。
二秒。
三秒。
「……わかった」
ま、そんなとこだろうな。
イチカはちょっと俺から身体を離して、五本の指を額にあてて五芒を、それから中指を眉間にあてて六芒を示す仕種をした。
「光よ、ルミアリスの加護のもとに……光の奇跡」
たしかに、その魔法は光の奇跡だった。
イチカの全身が、パアァッ……とまばゆいばかりの光に包まれたかと思うと、一瞬で消え失せた。たったそれだけで、効果てきめんだった。
イチカはパッと目を開けて、ふう、と息をついた。
「治っちゃった。すごい」
「……自分の魔法だぞ」
「練習で自分にかけたりはしたけど、そのときはあんなにひどい状態じゃなかったし」
「やっぱりひどい状態だったんじゃねーか」
「そ、そんなことっ」
イチカは頭を振ってまばたきをした。
「……でも、だるい、かも。これじゃ、魔法は……」
「いらねーよ」
俺は唇の片端をつりあげてみせた。
「お遊びは終わりだ。そろそろ俺が決着をつけてやる」
「またそんなこと言って……あっ」
イチカは俺から飛び離れたが、狭い窪みの中だ。すぐ背中が後ろにぶつかった。
「……いったぁ」
「アホめ」
「う、うるさい!」
もういつものイチカだな。
俺は、ふん、と鼻を鳴らして、イチカを見すえた。
「おい。一度しか言わねーからよく聞け」
イチカは眉をひそめた。
「……聞けって、何を?」
「黙って聞け」
「聞くけど」
「おまえは責任感が強い。いいかげんなやつじゃねえ。頭も悪くはない。間が抜けたとこはあるが、人がいいって言い方もできる。そこは気をつけろ。利用されやすいっつーことだからな」
「……え? う、うん」
「あとな」
「て、いうか、間が抜けてるってっ」
俺は無視して、
「おまえは有能だ。神官としても頼りになるし、運動神経がいいからちょっとくらいなら戦える。神官にも護身法っつーのがあるよな。そいつをがんがん身につけていけば、もっとやれるようになる」
「え? 何? ちょっと? キサラギ? ど、どうしたの……?」
イチカは目を白黒させている。
俺はさらに無視して、
「それから、おまえはスタイルがいい。エルフには負ける……とも言えねーと思うぞ。やつらは細すぎるからな。顔もいい。美人だし、かわいい」
「え? え!? なっ……かわっ……そんな、え!? 何それ、えっ!?」
「自信を持て」
俺はイチカの髪の毛をさわって、ちょっとだけ引っぱった。
イチカはかすかに顔をしかめて、
「っ……」
と顎を上げた。
「わかったな、イチカ。ぐじぐじぐずぐずしてんじゃねーぞ。おまえはいい女なんだからな。俺が言うんだから間違いねえ。いつだって胸を張ってろ」
俺はイチカの返事を待ったりしなかった。ぱっとイチカの髪から手を離して、急勾配にも程がある斜面をよじ登りはじめた。イチカに呼び止められたが、無視してやった。あっという間に地上に舞い戻ると、キマイラはそう離れていない場所にいた。
モモヒナとミリリュはまだ隠れていて、見つかっていないようだ。
俺は唇を舐めて、よし、と気合いを入れた。
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