第1話 己の才覚
壁の中、オルタナという街の印象を一言で言うと、古っ……だ。
でも、そんなに汚くはない。
石造の建物も木造の建物も壊れてはないし、石畳の太い道の脇には細い水路があったりして、そこを流れている水は濁っていない。澄んでいる。
まだ朝早いはずなのに、人もいくらか歩いている。
ひよむーは俺たち寄りの服装だが、この街の住人はなんというかこう、野暮ったい。もっさりしている。
あと、俺たちのことを、じろじろ見る。
たぶん、ものめずらしいのだろう。
まあ、俺も連中がめずらしいし、観察したりもしているので、お互い様といえばお互い様か。
「あんたって」
と、イチカが横目で俺を見て言う。
「態度がでかいわりに、ちっちゃいんだ」
かちん、ときて、蹴ろうかと思ったが、相手は一応女だからやめておいた。
「俺がちっちゃいんじゃなくて、キミがでかいんじゃないっすかね」
「でかいって言わないでくれる?」
「キミは、でっかいんじゃないっすかね」
「言うなっていってんでしょ。わたしは百六十……五、しか、ないし」
「はい、嘘ついた。イチカ、今、嘘ついたよ。百六十五じゃないね。ほんとはそれ以上あるね」
「百六十六……七……八しかないし! あんたはわたしより小さいでしょ。わたしより背が低くて偉そうな男って、なんかその存在が許せない」
「なんでおまえに許してもらわなきゃならねーんだよ」
「おまえって言わないで」
「いやだね。決めた。俺はおまえの言うことは聞かない。金輪際、一切、聞かない」
「わたしはあんたと口をきかない」
「いいな、それ。最高。しっかし……」
「何?」
「口きかないんじゃねーのかよ」
「きかないけどっ」
イチカは、ぷいっ、と横を向く。めんどくせー女。しっかし……、
身長は、覚えてるんだな。
俺の身長は百六十四センチ。体重は五十五キロだったか。
あとは……何だ?
思いだすべきことが、なかなか思いあたらない。
イチカは百六十八か。
最初からでかい女だとは思っていたが、でっけーな。ただ背が高いだけじゃなくて……まあ、いいか。それはどうでも。関係ねーし。
モモヒナは百五十七とか八とか、それくらいだろう。
ニーソックス、厳密に言うとオーバーニーソックスに、ぷにっ、と肉がのっている。あれは悪くない。
こいつらはどの程度、覚えてるんだろうな。
俺はパーカーのフードを被る。ひよむーのあとを追いながら、ああでもないこうでもないと考えているうちに、どうやら目的地に到着したみたいだ。
それは白地に赤い三日月の旗を掲げた石造二階建てで、看板が出ている。
「オレタノ刀竟車義男兵口レソトムーノ……?」
俺が看板に書かれた文字を読みあげると、ひよむーが振り向き、指を左右に振りながら、
「ノン、ノン。オルタナ辺境軍義勇兵団レッドムーン、ですよん?」
「はぁっ」
モモヒナが看板を指さす。
「字が、ぜんぶじゃなくて、部分部分が薄れてるんだっ。そっ、それで……っ」
「……いや、なんかびっくりするポイントとかタイミングとか、微妙にずれてんだろ」
「そおかなー?」
「いいけどな。オーバーニーの分だけ、許すけど」
「おぉーばぁーにぃー?」
「まあ、そこは気にすんな」
「変態」
と、イチカが言った。
俺はイチカを軽く睨んで、
「あれ? 俺と口きかないはずの人が、なんか言ってますよ?」
「口はきいてないしっ」
「入るですよー」
と、ひよむーが扉を開けた。
俺たちは扉をくぐった。
そこは酒を飲む店のホールみたいな部屋で、奥にカウンターがあった。
カウンターの向こうには、なぜか髪が緑色で、化粧をしている男が一人、腕組みをして立っている。
あとは俺とイチカ、モモヒナと、ひよむーだけだ。
「そいじゃ、ひよむーはこのへんで!」
ひよむーはカウンターの男に一礼して、
「毎度のことながら、あとはよろしくお願いしますね、ブリちゃん!」
ブリちゃんと呼ばれた男は、
「はいよ」
と、腕組みをしたまま手をひらひらと振ってみせて、ついでに腰もくねらせた。
ひよむーが出てゆく。
残された俺たちを、ブリちゃんが、じとっ……とした湿った目つきで眺めている。
黒い口紅を塗った唇をゆっくりと舐めながら。
とくに、俺を。
……コワッ。
ぞっとして、ぶるっと身震いしてしまいそうになったが、俺は我慢する。
たぶん、だが、「のまれ」たら負けだ。ブリちゃんは俺を獲物と見なしている……ような気がする。
食われてたまるかよ。
俺はつかつかとカウンターに歩みよって手をつき、ブリちゃんを見すえる。
「それで? あとはよろしくとか言ってたけど、あんたは何をよろしくされたんだ?」
「あらあ」
ブリちゃんは唇を中指の先でさわってから、俺の鼻先で中指と親指をくっつけてみせた。狐の手遊びみたいなあれか……?
正直、きもい。
「生意気なのねえ。アタシ、嫌いじゃないわよ、あんたみたいな子」
「あーそう。そいつはよかった。じゃ、さっさと話せ。俺たちに何か用があるんだろ」
「用っていうか、スカウト?」
ブリちゃんはカウンターの上に何か並べた。
赤っぽい色をした硬貨みたいなものと、小さな革袋。
その組み合わせが三セットある。
「表の看板は見た?」
「……オルタナ辺境軍、義勇兵団?」
と、イチカが言った。
イチカとモモヒナは、俺に隠れるようにして俺の後ろにいる。
「そ」
ブリちゃんは、三日月が浮き彫りにされている硬貨的な物体を一枚、つまみあげた。
「これは見習い義勇兵身分証明章、通称・見習い章。その名のとおり、見習い義勇兵としての身分を証明するものよ。あと、革袋の中身は、銀貨十枚。十シルバー。あんたたちは、アタシのオファーを受けて見習い義勇兵になるか、蹴って今すぐここから手ぶらで出ていくか、選ぶことができるわ」
「ふん……」
俺は人差し指で軽く顎をこすった。
「ようは、その見習い義勇兵ってのになれば、身分証と金がもらえるってことか」
「そういうこと」
「わかった」
俺は見習い章と革袋を一つずつ、手にとる。
「なってやるよ、見習い義勇兵に」
「ちょっ……!」
イチカが俺の肩に手をかける。
「何、言ってるの! 義勇兵だか何だか知らないけど、何をするのかもわからないのに、そんな簡単に……!」
「これ」
モモヒナはカウンターの上の見習い章に顔を近づけた。
「お月さんだよね」
「そうよ」
と、ブリちゃんが微笑んでいる。
「何をのんきに!」
イチカは怒りまくって、顔が真っ赤だ。
「バカじゃないの! 少しは考えなさいよ!」
「つーか、な……」
俺は見習い章を親指で弾いて、掌で受け止め、握る。
「考えてねーのはイチカ、おまえのほうだろ」
「わたしのどこが、考えてないっていうの!」
「おれは着てる服と靴以外、何っにも持ってねー。ほぼ身一つでここにいる。おまえもそうなんじゃねーの。違うか?」
「え……」
イチカは自分の腰のところを探る。
腿をさわる。
薄っぺらいワンピースしか着ていないのだから、そんなことをしなくたってわかりそうなものだ。
モモヒナもスカートのポケットやなんかに手を突っこんでいる。何も見つからないみたいだ。
銀貨、と聞いても、それが金だということしか俺にはわからない。でも、金が何かはわかる。
金は生活必需品だ。
というか、生活必需品を手に入れるために必要なものだ。
「こいつがなきゃ」
俺は革袋を持ちあげてみせる。
「俺たちは無一文だ。替えの下着すら持ってない。俺はまあ、男だし、我慢できなくもないけどな。おまえらはどうなんだよ。いいのか?」
「い、いいわけ……っ」
イチカはうつむく。
「……よくは、ないけど」
「よぉーし」
モモヒナは見習い章と革袋をつかんだ。
「あたしもなろっと。見習い義勇兵」
「おまえはどうする? イチカ」
俺がそう訊くと、イチカは、
「おまえって言うな!」
と、ぷりぷりしながらひったくるようにカウンターの上の革袋をとって、それからブリちゃんに向かって手を差しだした。
「……ちょうだい。わたしの分の、見習い章」
「いいわよ」
ブリちゃんは、ニタァ、と笑って、イチカの手の上に見習い章をのせた。
「こういう展開は初めてだわ。ま、候補者が三人だけってのも、初めてなんだけどね。だいたい十人以上、一気にくるから」
三人は初めて。
だいたい十人以上くる。
ということは、俺みたいなやつが今までも大勢いたってことか。
俺は革袋を少し開けてみる。
銀貨。
たしかに、銀貨っぽいものが入っている。
「それにしても、よく言うよな。選ぶことできる、とか。実質的には選択肢なんかねーだろ」
「そぉーんなことないわよお。お金が欲しければ、稼げばいいわけだしぃ?」
その揶揄するようなブリちゃんの口ぶりからも、金を稼ぐのが容易じゃないことは想像がつく。
俺も正直、見知らぬこの街でどうやったら金が稼げるのか、まったく見当がつかない。
問題は革袋の中の銀貨十枚、十シルバーとやらが、どれくらいの価値なのか。
それから、義勇兵というのは何なのか。何をすればいいのか、だ。
「さて」
俺は見習い章をジーンズのポケットに、革袋をパーカーのポケットに押しこんで、カウンターに両手をつく。
「んじゃ、教えてもらうぞ。義勇兵について」
「いやよ」
と、ブリちゃんは目を見開いて、あたりまえじゃない、とでも言いたげに言う。
「それは自分で考えなさい」
「はあ?」
「一つだけ教えてあげる。義勇兵の流儀ってのはね、各自が己の才覚、独自の判断で情報を収集し、敵を叩くことなのよ」
「己の才覚、独自の判断、ね」
「そ」
つまり、義勇兵とは何か、何をするべきなのか、目的も手段も自分で調べろ、ということか。
それができない者は、そもそも義勇兵失格。
そういうことなのだろう。
「……行きましょう」
イチカが踵を返そうとする。義勇兵の何たるかをイチカなりに察したのかもしれない。
モモヒナはぽけーっとしている。こいつはきっと、わけがわかっていない。
「いや」
俺は上目遣いでブリちゃんを見つめる。
「行かねー。俺はブリちゃんに喋らせる」
ブリちゃんは大袈裟に肩をすくめて、
「どうやって?」
「義勇兵は、己の才覚で情報を収集するんだろ?」
「ええ、そうよ」
「俺が知りたいことを教えてくれたら、ハグさせてやる」
効果は、あった。
むしろ、絶大だった。
ブリちゃんは目を爛々と輝かせて鼻息を荒くし、身を乗りだしてきた。
「あんた、おもしろいわ。いいわよ。あんたの知りたいこと、アタシが教えてア・ゲ・ル」
ちょっと後悔したが、ちょっとだけだ。減るものじゃない。
減らない……と思う。
減らないといいんだが。