第90話 マイターン
……ここ、どこだ?
暗ぇーな。でも、夜だからとか、そういうことじゃなさそうだ。外じゃない。屋内というのも違う。
硬く冷たい岩肌が顔もふくめた身体中に当たっていて、なかなか痛え。
洞窟とか、か?
うん。
……洞窟の中って感じだな。
俺は横向き、身体の左側を下にして、寝ている。口に噛まされているのは、縄だろう。口から頭の後ろにぐるぐる巻きにしてあるみたいだ。その縄は唇の端に食いこんでいて、これまた痛え。
縄は腕と胸にも巻きついている。かなりきつく縛ってあるらしい。半分しかない左腕も、右腕も、痺れていて感覚がない。脚も、両膝と両方の足首のところが、縄でがっちり縛りつけられている。
仮義手は、ない……な。
暗いが、真っ暗じゃない。明かりがある。俺は首をひねってあたりを見まわした。焚き火だ。すぐそばってわけじゃない。十メートルまではいかないが、七、八メートル離れたところに焚き火がある。火は弱々しく燃えているが、誰もいない。
右手を動かす。痺れてはいるが、なんとか動かせないことはない。縄で縛ってある位置は胸のところで、肘より少し上だ。右腕は、肘から下なら曲げたりのばしたりできる。右手もまあ、使える。
頭が痛い。
殴られたところか。血くらいは出ていそうだ。
まあ、何にせよ、生きてはいる。
上出来だ。
……で、ここはどこだ?
心当たりはまったくない。つーか、殴られた? どこで? 誰に?
殴られた……ような気はする。それで、意識を失った。たぶん。どこで?
思いだせ。順に。何だ? 何を覚えてる? 海。そうだ。海だ、と思った。あれはいつのことだ? よくわからない。海だな。船の上だな。そんな感じのことを思った。誰かの顔。髭まみれの、垢じみた……ああ、そうか。海賊。海賊だ。そいつは、笑いながら何か言って……また意識が途切れた。海賊。
港。
ヴェーレの港。
そうだ。港が海賊の襲撃を受けた。火事。燃えていた。船が。覚えている。はっきりと。それで、俺は……何をした?
そのへんは、曖昧だ。
ドンと一緒だった。それは間違いない。船が燃えていた。たしか、テッサ号。消火作業を手伝おうとした。そこまでは記憶にある。その先はよくわからない。ボート。
そうだ。ボート。いかにもな海賊船もいたが、それだけじゃなかった。ボート。海賊たちはボートにも乗っていた。たくさんのボート。
……くそ。
思いだせねえ。
そういえば、あるらしいよな。こういうこと。気絶するような怪我をして、とくに頭に衝撃を受けたりすると、その前後の記憶がパーンと飛んじまう、みたいな。ひょっとして、それか? かもな。どうも、それっぽい。
だとしたら、考えるしかねえ。
なんで俺はここにいる? ここはどこなんだ? 何なんだ?
俺は……海賊に捕まった? そう考えるのが妥当だろう。それで、ここに連れてこられた。近くに人の気配はない。捨てられたのか。いや、それはねーな。捨てるつもりなら、海に放り投げればいい。俺は生きている。殺すつもりがあれば、簡単に殺せた。海賊はそうしなかった。わざわざ俺をここまで運んできた。俺に利用価値があると判断したからだろう。それは何だ?
俺から情報をえるため? 何の情報だ? 俺が何者かも、海賊は知らないだろう。この線はなさそうだ。
海賊は、まず間違いなく俺を知らない。大英雄様の俺という固有の存在に何らかの価値を感じたってことはないだろう。
たとえば、俺が見た目のいい女だったりしたら、俺を知らなくても、海賊は価値を感じるかもしれない。「利用価値」があると判断してもおかしくはない。
いや、まあ、俺が見た海賊は男だったと思うが、男が女を好むとはかぎらないし、女の海賊だっているかもしれないから、そういう意味での「利用価値」が俺にないとは言いきれねーか。
あとは、大英雄様である前に人間である時点で、いくばくかの価値はある……かもな。
高いか安いかはおいておくとしても、「値段」がつく可能性はある。
……上出来、か。
考えることしかできねーこの状況が、か?
いや、決めつけるな。他にもできることはある。身じろぎ一つできないってわけじゃねーんだからな。
俺は芋虫みたいに這い進むことにした。目標は、とりあえず焚き火だ。何のためにそんなことを? それはいい。動け。何でもいいから進め。俺は絶望はしない。たとえ希望らしきものが見つからなくても、だ。絶望なんざ、してたまるかよ。
そのためには、止まらないことだ。動けるうちは動け。何でもいい。やれることをやれ。もがけるならもがけ。もがきつづけろ。
俺は岩肌の上を這いずって進む。うつぶせにはならない。身体は横向きのままだ。こうして進めば、顔面を岩にこすりつけずにすむ。
一メートル進むのも、けっこう骨だ。
それはそれでいい。べつに俺はマゾじゃねーから苦しみたくはないが、困難があればあるほど気力を出せる。
心を折らないことだ。
二メートルくらい進んだ。
足音みたいな音が聞こえてきた。近づいてくる。焚き火の向こうからだ。
俺は止まった。どうする?
とりあえず、まだ意識を失っているふりをすることにした。身体から力を抜いて、目をつぶり、耳を澄ます。
足音は……二人か? 一人じゃないことだけはたしかだ。
近づいてくる。俺は薄目を開けた。もう焚き火のそばまできているようだ。そこで二人は止まった。焚き火はかなり弱まっている。脚くらいしか見えない。
「そいつか」
わりと渋い感じのいい声だ。俺は、何か……っつーか、誰かを連想した。
ああ。
あいつか。
ギンジーだ。
「へ、へい……」
と、別の声が答えた。
舌打ち。
これはたぶん、最初のやつだろう。
二人ともさらに近づいてくる。どんどんくる。俺は目を閉じた。
やがて硬い物で額を小突かれた。靴の爪先か何かだ。
「のびてやがるのか」
「……へ、へい。す、少なくとも、さっきまでは……今も、まだ、たぶん……」
「略奪は一切なしだと、船長からお達しがあったはずだぞ。一切、だ。それには当然、人間もふくまれる」
「……いや、あの、ですんで、言ったとおり、仲間が海に蹴落とされたりしたもんで、ただぶっ殺すんじゃあ気がすまねえと……」
「それでこっそりこんなとこに運びこんだってのか」
「……ああ、いやあ、そ、それは……」
「何のかのと理由をつけて、小遣い稼ぎをしようとした。そういうことだろうが」
「……いや、で、でも、こんなガキ、たいした値もつかねえですし……か、片腕だったりもしますし……」
「それでも、酒代の足しくらいにはなる」
「ま、魔が差したんですよ! お、お願えです、ヤヴィンさん! このガキは今すぐ処分しますんで……」
処分。殺すっつーことか。
さしもの俺も、ぴくっとしてしまったかもしれない。
ヤヴィンとかいういい声のやつはそれに気づいたようだ。また靴で額を小突かれた。
「おい、てめえ。起きてやがるな」
俺は目を開けて、頭をもたげた。焚き火までまだ距離があるし、はっきりとは見えない。だが……人間じゃねーな。
おそらく、魚人。
陸サハギンか海サハギンかは、俺にはちょっと判断がつかないが、サハギンだ。
「ほう」
ヤヴィンは腰の湾刀に手をのばした。
魚人の指が柄にふれる。
俺はその動きを視界に収めながら、ヤヴィンの顔を見ていた。
ヤヴィンは湾刀を抜いたが、俺は視線を動かさない。
もう一人の海賊が、
「ひっ……」
と息をのんだ。
俺は縄を噛まされているのでしゃべることはできないが、少しだけ笑った。なんで俺じゃなくて海賊、おまえがビビってんだよ。
「ずいぶん度胸が据わってやがるガキだ」
ヤヴィンは腰を屈めて、俺の頬に湾刀の切っ先を突きつけた。
皮膚が破れる。
俺はヤヴィンから目を離さない。
「ナイジェル。てめえは船長の命令を破った」
ヤヴィンはゆっくりと俺の頬に湾刀をめりこませた。
「俺ら全員が合議で決めた船長だ。船長の命令は絶対に守る。それが俺たちの掟だ」
「……いや、だから、ヤヴィンさんが黙っててくれりゃあ……」
「俺に、船長への報告を怠れってのか?」
「そ、そんな大袈裟な」
「信義がねえ」
ヤヴィンは湾刀を引いた。
……と思ったらもう、海賊ナイジェルに斬りつけていた。
ナイジェルは斬られた喉を押さえた。血がわきだしている。
「っ、っ、っ、っ……」
声にならない、声。気管を断たれたようだ。
てことは、息ができない。ナイジェルは死ぬ。
ナイジェル自身もそのことを理解したようだ。あとずさる。座りこむ。ヤヴィンを睨んでいる。声が出せれば罵声の一つでもぶつけただろうが、やつには無理だ。
「ナイジェル」
ヤヴィンは平然と湾刀についた血をナイジェルの肩になすりつけた。
「信義だ。信義がねえ海賊はそこらのごろつきと一緒だ。ごろつきの集団じゃあ、海ではやっていけねえ。とくに今は大事なときだ。てめえみてえな屑はいらねえ。海の藻屑にしてやるのも惜しい。心配するな。てめえのボートに乗ってたトマスとフェリペ、ヘルマンもすぐにあとを追うことになる。寂しくはねえだろうさ」
「……っ、っ、っ……っ、っ……!」
ナイジェルは最後の力を振りしぼってヤヴィンにつかみかかろうとした。
ヤヴィンはすっと下がって、ナイジェルの頭を蹴った。ナイジェルはひっくり返る。それきり起きあがらない。
「さて」
ヤヴィンは湾刀を抜いたまま、俺に向きなおった。
「待たせたな。次はてめえの番だ」
やっとキサラギが出てきたー……と思いながら書きました。
明日も更新します。『大英雄が無職で何が悪い 02 All You Need Is What』(オーバーラップ文庫)発売中です。よろしくお願いします。




