第10話 予想どおり
翌日、イチカとモモヒナは新しい魔法を覚えるために、それぞれ神官ギルドと魔法使いギルド入りした。
それから、七日後。
オルタナ北門の手前で、俺は鐘が三回鳴るのを聞いていた。午前十時の時鐘だ。
「遅ぇーぞ」
「……ていうか、何それ」
イチカは俺を見上げている。
「ぽぉー」
もちろん、イチカより背の低いモモヒナも同じだ。
見上げられるってのは、気分がいいな。
「何って、見りゃわかんだろ」
俺は思いっきりイチカを見下してやった。
「馬だよ、馬。これが馬以外の何かに見えんのか。だとしたら、目が腐ってんぞ」
「……馬だってことは、わかるけど!」
イチカは少しだけほっぺたをふくらました。ガキか、おまえは。似合わねーし。
「その馬、どうしたのかって、わたしは訊いてるの」
「買ったに決まってんだろ。するかよ。馬泥棒とか」
「わふー」
モモヒナは近づいてきて馬の背をぺたぺた撫でた。
でも、俺の馬テンテイハカイオーは、ブヒーともフヒンとも言わないで、わずかに尻尾をぷらぷらっとさせるだけだ。テンテイハカイオーは愛想がない。数ある欠点のうちの一つだな。
他の欠点としては、けっこうな老馬だとか。馬体はがっちりしているし、そんなにヨボヨボしているようには見えないが、やっぱりいろいろ衰えているらしい。
それから、年とともに性格が頑固になってきて、すこぶる扱いづらいとか。まあ、まだ付き合いは短いものの、たしかにそんな感じはする。
あと、毛並みがよくない。もともとはきれいな黒鹿毛だったらしいが、年寄りになったら手入れを拒むようになったんだとか。そのせいで、全体的に汚らしい。
それから、これは年齢と性格に関係しているが、走れと言ってもまず走らない。尻に鞭をくれようが、腹を蹴ろうが、手綱をどうこうしようが、めったなことでは走ろうとしない。
「オルタナの南に農村っつーか、農家が点在してんだよ。そこを回って回って、こいつを……」
と、俺はテンテイハカイオーの首を掌で、ぱすん、と叩いた。
そうしたら、テンテイハカイオーが馬首をめぐらして、じろり、と俺を睨んだ。
俺は負けじと睨みかえす。馬の扱いなんて知らないが、舐められたら終わりだ。増長を招く。こいつはきっと、そういうやつだ。
やがてテンテイハカイオーが先に目をそらしたので、俺は許してやることにした。
「こいつを見つけた。役に立たねーから潰すかどうか迷ってるとこだったって話だったから、俺がタダで引きとってやるって言ったんだけどな。持ち主がそれじゃダメだって生意気なことぬかすもんだから、しょうがなく一シルバーで買ってやった」
「一シルバー……?」
イチカは目をまん丸くした。
「それってなんか、だいぶ安くない……?」
「どうだかな。とりあえず、こいつも俺の子分だ。おまえらの同僚っつーかそんな感じだから、せいぜい仲よくやれよ。ほら、テンテイハカイオー、挨拶しろ」
テンテイハカイオーは物の見事にそっぽを向いた。
……こいつめ。
モモヒナは、
「よろりんだよー。モモヒナだよー」
とか言いながらテンテイハカイオーをさわりまくっているが、イチカは、
「ぷっ」
と噴きだして、
「舐められてるんじゃないの、あんた」
「んなことねーよ。テンテイハカイオーはシャイガールなんだよ」
「……え。その馬、女の子なの?」
「おう」
「なのに、そんな名前……」
「かっけーだろうが」
「まさか、あんたがつけたんじゃ」
「もちろん、俺に決まってんだろ。俺以外の誰がこんなクールな名前思いつくんだよ。もとは、何だったかな、マリアだかモリアだか、そんなありきたりな名前だったからな」
「……どう考えたって、そっちのほうがいいじゃない。長いし。テンテイハカイオーなんて。長すぎだし」
「てんていはかいおー……」
モモヒナが真上を見て人差し指をくわえ、
「て、てん、て、い、は、かい、おー……ん、い、か、お?」
「もしかして」
俺は頭をひねった。
「モモヒナおまえ、あれか、略称っつーか、ニックネーム考えてんのか」
「うん。そそそ。そだよー」
「それなら、テンテイかハカイオーでいいだろ」
「ぶーっ。もっと、ぴこっと略そうよ!」
「何なんだよ。ぴこっと略すって」
「ぴこっとだよっ!」
「わーかった。ぴこっとだな。ぴこっと。んー……」
俺はテンテイハカイオーの頭の上の毛を、わしゃっ、と撫でた。
「よし。決めた。テンテイハカイオーはちょっと長くて呼びづれーかなって気はしなくもねーし、おまえ、今からテムジンな」
「ふぉーっ」
モモヒナは目を輝かせた。
「ぴこっとしてる! テムジン、かっくいーっ!」
「……テしかあってないし」
イチカは相変わらずうるさい。
「アホか。テだけじゃねーだろ。ンも入ってんだろ」
「順番が……もういい。好きにすれば……」
「言われなくたって、好きにするっつーの」
俺は手綱を引いた。
「よし、行くぞ。出発だ」
「ちょっと待って」
イチカは本当にうるさい。
「何だよ?」
「出発って、どこに行くの?」
「あ?」
俺は北を指さす。
「あっちのほう」
「……そりゃあ、そっちだろうけど。南は天竜山脈だし」
「わざわざ説明しなきゃ、ついてもこれねーのかよ。めんどくせー子分だな」
「子分じゃないし!」
「こっぶん! こっぶん! ぶっ、んっ、こっ!」
「モモヒナは素直でいいわ。ほんと。かわいいし。イチカとは違うな。違いすぎ」
「どうせわたしはかわいくないですからっ!」
「そうやって逆ギレするとこは、微妙にかわいいけどな」
「えっ…………」
「嘘だけど」
「っ……!」
イチカは顔を真っ赤にし、涙目になって地面を蹴った。うん。そうやって半べそをかいていると、かわいくなくもない。
「いいか。一回しか言わねーから、よく聞いとけよ」
しょうがないので、俺は説明してやる。
「北へ行くと、オークたちが部隊を駐留させてるデッドヘッド監視砦がある。ここは前、行ったな。で、そこからさらにしばらく北に行くと、風早荒野っつーだだっ広い平原があってだな。ここには、セントールっつー半人半馬の種族が住んでるらしい。わかるか? ハンジンハンバ。上半身が人間で、下半身が馬なんだとよ」
「うぉーっ」
モモヒナは大喜びだ。
「はんちんぱんぱんっ! ちーぱっぱだねーっ! ぷりんっ、ぷりんぷりんっ!」
「……いいけどな。モモヒナ。ケツはそんなに振らなくていい」
「のー・けつ・ぷりん?」
「ああ。ノーケツプリンノーケツプリン」
「了解でありまーぞふっ」
「よし。そんで」
俺はもう一度、北を指さす。
「風早荒野の向こうに、影森っつー大樹海があるらしい。俺はそこに行くことにした」
「……大樹海? かげ、もり?」
イチカはかなり不安そうだ。ビビリだからな。性懲りもなくビビっている。
俺はうなずいて、
「そうだ。影森までは、三百キロくらいか。まあ、ざっと十日もありゃ行けるだろ。食料だの何だのは」
と、テンテイハカイオー改めテムジンの鞍の荷台に積んである荷物を叩いてみせる。
「もう用意してあるからな。さっすが、俺。準備万端すぎ。抜かりなさすぎて濡れるわ。いや、濡れねーけど」
「ぬれるぬれるーっ。ひゅーひゅーっ」
モモヒナは嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねて騒いでいるが、意味わかってねーで言ってるな、こいつ。
「……十日……三百キロ……」
イチカは茫然自失の体で、今にも倒れそうだ。
「え……ちょっ……と、待っ……え? さんびゃっ……え? 嘘……でしょ? そんな遠く……だって、そんな……え……?」
そんなふうに打ちひしがれている姿は、なかなか味わいがあっていい。
「嘘なんかじゃねーよ」
俺は微笑みすら浮かべて言い放ってやる。
「おまえらに嘘なんかついたってしょうがねーだろ。目的地は影森。移動距離は約三百キロ。どうしてもこれがなきゃ困るって物が何かあるなら、今すぐ買ってこい。荷物はテムジンに運ばせるから、心配しなくていいぞ」
「やだ」
と、イチカが呟くように言った。
「……やだ。行かない。行きたくない。なんでわたしが、そんなとこ。遠すぎるし。意味がわからないし。行かない。わたしは、行かない」
「はにゃー……」
モモヒナがイチカの前にしゃがみ、首をかしげてイチカを見上げた。
「いっちょんちょん、行かないのー……?」
「い……っ」
イチカは一度、唇をぎゅうっと噛んだ。
「行かない。モモヒナも、行かないほうがいいよ。影森なんて。何があるかわからないし。危ないに決まってるし」
「んー……でも、あたし、影森行くつもりになっちゃって、影森気分かなぁー」
「じゃ、じゃあ、勝手にすればっ」
「ほっとけ、モモヒナ」
俺は、立て、と手振りでモモヒナに指示する。
「行きたくねーやつを連れてってもな。行こうぜ。俺とモモヒナとテムジン、二人と一頭か」
「むぅー……」
モモヒナは何秒間か迷っていたが、立ちあがってこっちにきた。
俺は馬上からモモヒナの頭を撫でてやって、あぶみをかけた足で馬腹を蹴りながら、テムジンに命じる。
「よし、進め、テムジン」
……言うこと聞かなかったらどうしよ。
少し気がかりだったが、さいわいテムジンは歩きだしてくれた。よしよし。
モモヒナも振り返り振り返りしながら、俺を乗せたテムジンについてくる。
「かまうな、モモヒナ」
俺が注意すると、モモヒナは振り向くのをやめた。
さて、どれだけ我慢できるかな。
一。
二。
三。
四。
五。
……お?
意外と粘るな。六。
七。
八。
九。
そろそろか?
じゅ……、
「待って!」
俺は手綱を引く。テムジンは止まってくれた。
振り返ると、イチカが今にも崩れ落ちそうな姿勢でショートスタッフを抱きしめ、目にいっぱいの涙をためていた。
「わ、わたしも行く! わたしが行かないと、あれだろうし! わたし、神官だし! せ、せっかく、光の奇跡も覚えたし! しょうがないから、わたしも行ってあげる! 行くから、待って……っ!」