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いろんな人がいろんなところで

ミランダの箱

掲載日:2026/04/05



わたし、ミランダは、気晴らしに町を歩いていた。



胸の奥に溜まったものをどうにかしたくて、わたしはあてもなく石畳を踏みしめていた。人通りの多い通りを選んだのは、にぎやかさに紛れてしまえば、この重たい気持ちも少しは軽くなる気がしたからだ。


わたしは役所の下っ端として長く働いてきた。この部署に来てから、何年になるだろう。気づけば誰よりも長くここにいて、新しく来た上司に仕事を教える立場になっていた。年下の上司に「お願いします」と頭を下げられるたび、少しだけ誇らしい気持ちになった。


上の方針が変わり、女性登用の話が持ち上がったとき、わたしが推薦されたと聞いた。

ああ、ようやく報われたのだと思った。

長く、真面目に、黙々と働いてきた日々が、やっと認められたのだと。


若い上司が、小さなお祝いをしてくれた。

「ミランダさんなら当然です」

そう言われたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった。がんばってきてよかった、と、心から思えた。


――それなのに。


「見栄えが必要だ」


その一言で、すべてがひっくり返った。


わたしではなく、別の部署の若くて美しい女性が正式に任命されたと聞いたとき、頭の中が真っ白になった。何をどう考えればいいのかわからなかった。ただ、静かに、何かが崩れていく音だけが聞こえた気がした。


だから、わたしは町を歩いている。

ここにいても、何も変わらないとわかっているのに。


ふと、露店の一角に置かれた箱が目に入った。


思わず足を止める。


元はきれいな箱だったのだろう。細やかな装飾が施されていて、どこか古びているのに、不思議と光を宿しているように見える。けれど――同時に、言いようのない不気味さも感じた。


近づいて覗き込む。


やっぱり、きれいだ。

でも、怖い。

なのに、目が離せない。


まるで、何かに呼ばれているみたいだった。


値段を見る。

――高い。

普段のわたしなら、絶対に手を出さない額だ。


けれどそのときのわたしは、普段のわたしではなかった。


「……これ、ください」


気づけば、そう言っていた。


不幸なことにそれだけのお金を持ち歩いていたのだ。


なんでも買えるんだ。こわいものなどない。そういった気持ちだったのだ。


箱を抱えて帰る道すがら、胸の中が少しだけ軽くなっているのを感じた。理由はわからない。ただ、何かを自分で選んで、自分のために買った――それだけで、救われた気がした。


部屋に戻り、わたしは丁寧に箱を拭いた。

布でそっとなぞるたび、くすんでいた表面が少しずつ艶を取り戻していく。


棚に置くと、殺風景だった部屋が、ほんの少しだけ明るく見えた。


それからというもの、わたしは毎日その箱を拭いた。

仕事から帰ると、まず箱に触れる。それが、いつの間にか日課になっていた。


ある日、底の感触に違和感を覚えた。


指先でなぞり、慎重に押してみる。

――カチ、と小さな音がして、底が外れた。


二重底だった。おぉと思ったが、何も入っていない。


少しだけ、がっかりした。

でも、すぐに思いついた。


――なら、わたしが入れればいい。


わたしは、あの推薦状を取り出した。

報われるはずだった証。

奪われた証。



叶わなかった希望の死骸を、この美しい箱に埋葬した。


その瞬間、箱はただの飾り物ではなくなった。


わたしのものになった。

わたしだけの、大切なものに変わった。


それからは、ますます丁寧に箱を拭くようになった。

まるで、それがわたし自身を保つ行為のように。


――そんなある日。


例の「見栄えの人」が殺されたと聞いた。


耳を疑った。


犯人は、もともとそこへ昇進する予定だった人物だったという。


「わたしの努力を踏みにじった。わたしが準備していたものすべてを奪った。許せない。彼女もお前たちも」


そう叫びながら連行されていった、と。


話を聞きながら、胸の奥がざわついた。


……わかる。


犯人のその気持ちが、わかってしまう。



だけど、もし、あの場所にいたのがわたしだったら――


箱を拭く手が、ふと止まる。


あそこに行っていたら、殺されていたのは……わたしだったかもしれない。


そう思うと、背筋が冷たくなった。


けれど同時に、奇妙な安堵もあった。


わたしは、ここにいる。


箱を、そっと撫でる。

中には、わたしの願いがしまわれている。


翌年、わたしが指導していた上司が昇進し、部署を去っていった。


その後任として、わたしの名前が呼ばれた。


今度は、誰にも奪われなかった。


部署の全員が、わたしを祝ってくれた。


笑顔で応えながら、わたしは思う。


――遠回りだったかもしれない。

でも、これが、わたしの道だったのだと。


その夜、部屋に戻り、いつものように箱を拭く。


布越しに伝わる感触が、やけにやさしく感じられた。


「……ありがとう」


誰に向けた言葉なのか、自分でもわからない。


それでも、わたしは今日も箱を磨く。

これからも、きっとずっと。



いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。

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どうぞよろしくお願いいたします。



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― 新着の感想 ―
一番の被害者は、上の思惑でその地位に就けられて殺された「見栄えする人」だね。 今回事を逆手に取られて、選んだ上は加害者の方に問題が有ったことにして、選んだ事を正当化しそう。
いつも拝読させて頂いてます 少しドキドキしながら読みましたが 最後はハッピーエンド、ほっこりさせて頂きました。 触発されて私も小説を書き始めたのですが これまた小説って書くのはめちゃめちゃ難しいんで…
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