ツネノ日に
私達は何なのだろうかという疑問に対してどう答えるべきであろうか。わたしたちは何から自我というものを作り上げているのだろうかという疑問に解釈して考えることができそうなのは私だけだろうか。多分そうではないだろう。私は天気という視点から考えてみたい。日本という地域の中で言うのであれば、日本特有の四季というものはなくなりつつあるだろう。それに伴って私達の自我の種類も変わっていき典型的なものが増えてしまう。わたしたちは一年の中で日々の気温、日差し、湿度、音、風の受け方詳しく言えば追い風が当たったのかそれとも、向かい風なのか斜めからの風なのかという様々な影響を受けて、自分の中の感性や感受性が育っていき自我を形成していくと思っている。四季がなくなっていくと受け取れる日々の変化が減っていく。私達はこれから自然の可能性を潰して生きていくことになる。自然といえば、私は文学史で言うところの「自然派」と言われるグループに入る小説を書いている。少し話がズレてしまったので話を軌道修正していこう。最近は自然からの情報が少なくなっているのに、このことに拍車をかけていることがイヤホンの登場、特にワイヤレスイヤホンの登場が原因である。近頃の現代社会は移動中にイヤホンをしている人が多すぎている。私がそういう人を見ると、もったいないと思ってしまう。町中の出てくる音を自らシャットダウンして自ら決めた音を聞いている。そのほうがいい人がいるのはわかる。だが、私は予想もしない音や強風のときにかすかに聞こえる風の吹いている音がイヤホンのせいで効きづらくなっていることがすごくもったいない。一人で帰っているときこそのびのびと音を聞いてそこから想像することは自分の新しい可能性を見つける手がかりになってくれるのではないだろうか。




