夜に差す手
店の奥にある小さなイートインは、夜のコンビニ特有の冷たい蛍光灯に照らされていた。プラスチックの椅子に腰を下ろし、弁当のふたを乱暴に外すと、湯気と一緒に人工的な匂いが広がる。腹が減っていたから、味がどうだろうと構わなかった。隣では、おっさんも黙々と箸を動かしていた。三十代前半と聞いて驚いた。勝手に四十過ぎだと思い込んでいたからだ。スーツの上着は肩が落ち、皺が目立っている。年齢よりずっと疲れて見えた。
食べ終えて空になった容器を重ねながら、おっさんはようやく口を開いた。
「家出か?」
問いかけに言葉を返せず、視線を落とした僕をしばらく眺めてから、彼はため息をついた。
「まあ、そうだよな」
それから少しだけ世間話のようなものをした。名前も聞かれたけれど、まともに答えられなかった。おっさんは追及しなかった。ただ、店を出て夜風を吸い込みながら、「手が欲しいんだ」とぽつりと言った。
「助手ってやつだ。書類を片付けたり、荷物を運んだり、雑用みたいなもんだ。寝る場所がなきゃ困るだろ。事務所なら、まあ屋根はある」
その言葉に即答はできなかった。知らない大人の誘いに乗るなんて、危ういに決まっている。けれど、凍えるような路地裏に戻る選択肢もなかった。迷うふりをしただけで、答えは最初から決まっていたのだと思う。
歩いて二十分ほどの距離だった。雑居ビルの三階、古い扉を開けると、事務所と呼ぶにはあまりに狭く、薄暗い部屋が広がった。書類の山と古びた机、奥には小さなソファが一つ。そして壁際には大きなホワイトボードが立てかけられていた。消し跡の残る文字が、かろうじて仕事場らしさを示している。埃の匂いと、どこかインクの残り香が混じり合っていた。
「好きに使え。寝床くらいにはなるだろ」
おっさんはスーツの上着を椅子に投げ出し、電気ポットのスイッチを入れた。蛍光灯の下で、少しだけ年相応に見えた気がする。
僕はソファに腰を下ろし、胸の奥にかすかな安堵を覚えた。今日がどんな一日だったのか、まだ整理できない。ただ一つだけ、はっきりと分かることがある。
僕は、彼に拾われた。