灰色の街で
八月の蒸し暑い夜、東京の雑踏は容赦なく僕をのみ込んでいった。柳沢帆高、十六歳。故郷を飛び出して、もう一か月が経つ。港町の小さな島を出て、フェリーと電車を乗り継ぎ、憧れだけを頼りにここへ来た。けれど、待っていたのは眩しいネオンでも、映画で観たようなきらめきでもなく、空腹と眠れぬ夜、そして心細さだった。
最初の数日はまだ余裕があった。財布に残っていた一万円札を握りしめ、渋谷のファストフード店で一番安いセットを頼み、冷房の効いた席で時間を潰した。夜はインターネットカフェの狭いブースで、硬い椅子に丸まって眠った。パソコンのファンの音や隣の客のキーボードを叩く音が、子守唄みたいに夜を埋めてくれた。けれど、そんな日々は三日も続かなかった。
千円札が減るたびに心臓が小さく跳ねる。財布が薄くなっていく感覚は、体温が奪われていくのと同じだった。ジュース一本買うかどうかで十分も悩み、結局は水道の蛇口に口をつけてごまかした。雨が降れば段ボールを頭にかぶり、夜風が冷たければ自販機の明かりに寄りかかった。公園のベンチでは酔っぱらいに怒鳴られ、駅のシャッター前では警備員に追い払われた。公園のコンクリートのオブジェの中に潜り込み、眠ろうと目を閉じても、石の冷たさと背中の痛みがすぐに現実を思い出させた。
気づけば、空腹と疲労は当たり前になり、夢も目標もすっかり霞んでいた。憧れていた東京は、輝きではなく騒音と人いきれの渦でしかなかった。誰も僕を見ていないのに、誰かにずっと監視されているような、息苦しい都会の夜。それでも島には戻れない。戻ったところで、何も変わらない。だから、耐えるしかなかった。
限界は突然やってきた。三日まともに食べていなかったある日、コンビニの前で立ち尽くしていると、頭がぐらりと揺れ、視界が暗くなった。アスファルトの冷たさが頬に触れた瞬間、何もかもが遠のいていく。
「おい、大丈夫か」
低い声が耳に届いた。気がつくと、くたびれたスーツを着た三十代前半くらいの男が僕を覗き込んでいた。無精ひげ、皺だらけのシャツ、しかし目だけは妙に澄んでいる。見知らぬ都会の人間に声をかけられるなんて思ってもみなかった僕は、言葉が出なかった。
男はため息をつき、僕の腕を引き起こすと、コンビニの中へと連れていった。店員に「こいつに弁当と水を」と告げ、自分の財布から紙幣を出す。その一連の動作は荒っぽいのに、不思議と温かさを感じさせた。
「食え。腹が減ってんだろ」
手渡された温かい弁当の重さに、胸の奥がじんとした。プラスチック容器の上から伝わる熱が、久しく感じていなかった人のぬくもりのように思えた。
僕はその夜、彼に拾われた。