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08.折れた翼

 けっきょく、鴫野のスマホは見つからなかったようだ。

 翌日、始業前にスマホをいじる姿を見たが、それは普段のとは違う、彼女の手には少し大きい古ぼけたスマホだった。

 つばさと目が合うと、彼女は寂しそうに首を振った。


 何も証拠はない。だが、その日も花園は群れを作り、鴫野は一羽だった。



 放課後、スマホで白山に報告すると『後味の悪い展開だな』とすぐに返信があった。なんでも白山に話すのはどうかとも思ったが、この件も学校内では俎上(そじょう)に載せることはできない。


『スマホを盗んだやつ、許せない』

『でも、窃盗だと確定したわけでもないんだろ? おれも怪しいとは思うが』

『花園か花園のグループの誰かですよ。花園が鴫野さんのスマホが変わってるのを、わざわざ指摘してましたから』

『単によく見てるだけじゃないのか?』

『言われてみれば、そうですけど』

『なんにしてもイヤな奴が紛れてこんでるのは事実だな。きみもカメラには気をつけろよ。売ればかなりのカネになるからな』


 白山がいうには、自然公園内でもカメラの窃盗があるらしい。

 つばさも当初から危ないとは思っていた。

 高級カメラを三脚で立てたままその場を離れる人が多いのだ。 


『シリアルナンバーがあるし、きちんと対処すれば追えるだろうが、年寄り連中はそういった手段を知らないのも多いし、どっちにしても売られた先の店が非協力的だと戻ってこないだろうな』


 つばさは『気をつけます』と返事をすると、慌てて押入れを開け、空き箱をちゃんとしまってあることを確認し、ナンバーをさらに控えておいた。


 少年はため息をつく。世の中には悪いヤツが多すぎる。

 大悪党も問題だが、いじめ一歩手前の外し行為をおこなったり、こっそりスマホを盗んだり、姑息な連中が気に入らない。

 公園の撮影マナーもそうだ。だが、ああいった連中のカメラが誰かに盗まれたら、すかっとするだろうとも思ってしまう。

 義憤に駆られながらも、そんなことを考える自分も姑息な奴なのだろうか。


『ま、きみを脅したあのおっさんのカメラが盗られたら面白いけどな』


 白山からの絵文字付きのメッセージに思わず頬を緩めてしまう。


『おっと失礼。きみはあいつが悪口言われてるのに怒ってたか』

『考えるだけならぼくも同じことを考えました。でも口に出したり、行動にしてしまうのはやっぱり違いますよ』

『そうだな。鴫野さんはやっぱり孤立したままなのか?』

『はい。やったのが花園のグループなら、仲間に入れる気はないですよね』

『どのみち誰が泥棒かも分からないだろう状況じゃ、孤立したままだろうしな』


 白山が『いや、違うな』とメッセージを立て続けに飛ばしてきた。


『訂正だ。もう問題は解決してる』

『え?』

『きみが味方だから孤立はしてない、だろ?』


 なぜか反論したくなったが、その通りだ。

 彼女は今、ひとりぼっちではない。


『無理に友達になれとか口説けとは言わないけど、敵にだけはならないでいてあげろよ』


 敵にだけはならない。なんとなく身が引き締まる気がした。

 簡単なようで、何もしていないようで、難しいことだ。

 花園を切れずにあだ名を呼ぶ子たちは、実質的に鴫野の敵と思えた。

 自分だって、他のすべてを敵に回してまで彼女に味方をするかと聞かれれば、自信はない。


『鳥は、ときには利害関係がぶつかる相手だろうとも、孤独よりも他の鳥がそばにいるほうが安心するんだとさ。そういう鳥になるのもありだな』


 ――そういう鳥になる。


 つばさはことばにしたあと『そうですね』と返事をした。


『孤立つながり……というか、話が変わるんだが』


 画像がアップロードされた。川の中州にたたずむメスのマガモの写真だ。

 ただ、日向ぼっこをしているように見えるが……。


『右側が膨らんでる?』

『そうだ。このマガモは右の翼が折れてるんだ。動画もあるんだが、転送容量が大きいな』

『容量は大丈夫ですけど。これってあの公園で撮ったんですか?』

『西側エリアの人工の川で見つけたんだ』


 動画のマガモは右の翼を気にして、しきりに羽繕いをしている。

 かなりの羽根が抜け落ちて、骨折を置いてもぼろぼろだ。

 それでも彼女はくちばしを止めない。「治れ、治れ」と念じるように。

 繕いが終わると、片足をうしろに上げて片翼を目いっぱいに広げた。鳥がするストレッチだ。

 つばさはその姿を見て美しいと思った。

 鳥を見て美しいと思うことは初めてではなかったが、珍しくもないメスのマガモにそんな感情を持つとは思わなかった。

 だが、野生での翼の骨折は、ほとんど死刑宣告に近い。

 もうひとつ動画を見せてもらったが、こちらは地上採餌をおこなうカモたちに遅れて合流する姿だった。他のカモはひとっ飛びだが、彼女はよたよたと走って採餌場まで移動する。到着する頃にはカモたちは通行人を警戒して飛び立ってしまい、負傷したマガモは「ぐわ……」と鳴いて一羽取り残された。

 そのまま採餌を続け、帰りは行きとは違うルートをとって自身の体高の半分ほどの階段を危なげに下りて川へと戻っていった。


『これは数日前に撮ったものだな』

『このマガモはどうなったんですか?』

『まだ生きてるよ。猛禽はトビ以外は滅多に来ないし、野良ネコも餌づけされて肥満だしな。水上にいれば安心だ。でも他のマガモが池のほうに移動してしまって、仕方なくカルガモを必死に追いかけてる感じだ』


 もちろんカルガモは待たない。いや、同種のマガモでも待ってくれなかった。

 親鳥と雛だとか、家族形成する種だとかならともかく、この手の群れでは遅れる個体は、敵の目をそらすていのいい身代わりに過ぎない。


『助けられないんですか?』

『鳥獣保護法あらため、鳥獣保護管理法があるからな』

『だから助けるべきなんじゃ?』

『あれは単純に鳥や獣を助けようって法律じゃないんだ』


 鳥獣保護管理法の目的は「鳥獣の保護及び管理を図るための事業を実施するとともに、猟具の使用に係る危険を予防することにより、鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化を図り、もって生物の多様性の確保(生態系の保護を含む。以下同じ。)、生活環境の保全及び農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、自然環境の恵沢を享受できる国民生活の確保及び地域社会の健全な発展に資すること(※農林水産省)」である。


『多様性の確保と健全な発展って点を考えると、本来なら死んでいたはずの生物を救助するのも不適切なんだよ。なるべく自然のあるべき姿を保護しましょうって話だからな。あのマガモの怪我の原因は不明だ。それに、マガモは狩猟可の指定も受けている』

『可哀想じゃないですか』

『感情の上では同意だ。だが、死んだり弱ったりした個体は誰かの糧になるし、生き抜く力が弱い個体の遺伝子が残ったとしても、それは種全体のためにならないだろ』

『理屈の上では、そうですけど』

『だから最近は、このマガモ会いに行って、ただ眺めてるよ』


 筋は通っている。だが、やっぱり納得がいかない。


『マガモはそれでいいとして、釣り糸が引っかかったりした鳥はどうですか?』

『カバンにテグス切りのハサミを入れてる。まだ使ったことはないが』

『ダブルスタンダードでは?』

『テグス絡みは人間のやらかしだからな。人間だけの観点でもマナー違反だ。自治体単位でその手の救助を推進しているところもあるし、助けるかどうかにしても、一律にゼロか百にしなくてもいい。匙加減はおれが勝手に決めるさ』


 あまりにも堂々と言う。


『別に正義の味方だとか、法の番人だとかいうわけでもないしな』

『ぼくのことは助けてくれたじゃないですか』

『おれが割って入ったのは、あのおっさんが悪玉で恐喝を働こうとしたからってだけじゃない。まだ若いきみに肩入れをしたのが大きい。おっさん同士のもめごとだったら、無視してたよ』


 あまりにも堂々と、言う。

 つばさはスマホから顔を離し、視線を自室の床に落とす。

 嬉しいような、小恥ずかしいような。

 でも、ちょっと侮られているような複雑な気分だ。

 実際、助けて貰わなかったらカメラを取り上げられていただろうが。


『おれはきみの味方だよ』


 本当にはっきりと言う。

 つばさは白山のことをよく知りたい、彼の色々な意見を聞きたいと思った。


『なので、恋の相談でもなんでも乗ってやるぞ』


 前言撤回。がっくりと肩を落とした。



 土曜日の午前中、白山の話していた翼の折れたマガモを探しに行くことにした。白山も今日は早朝から公園にいるらしく、現地で落ち合うことにした。

 白山は今日も緑のマウンテンパーカーを着て、カメラも構えず腕を組んで川を見ていた。風が強いせいか髪が乱れて逆立ち、なんだかやっぱりヒヨドリみたいだ。

 視線の先には一羽のマガモ。写真で見たように、右側の翼がゆがんでいる。


 挨拶を交わし、隣に並んでカモを見る。

 こちらのことを察してくれたか、白山は「別におれのカモじゃないし、気にせず撮ってもいいぞ」と言い、つばさは負傷したカモに向けてシャッターを切った。

 彼女が翼を広げると、風切り羽根の多くが脱落してるのが分かる。羽繕いのしすぎだという。羽根自体は換羽で再生するが、骨折はゆがんだまま癒着してしまうと、もうダメだ。

 それでも見た目には元気そうに泳いでいる。そう取り繕っているのだろうか。


「ところで、今日は完全に一羽だけですね」


 メスのマガモは、はんぶん川に沈んだ曲がりくねった木の陰に隠れるようにしてたたずんでいる。チュウサギが対岸でじっと水中をにらんでいるが、あれは別だ。


「きみは上流から来たろ? 途中にカルガモの群れがいなかったか?」

「五、六羽いましたね」

「水位の調整があったからカルガモたちは移動したんだ。でも彼女はついていけない」

「追おうとはしないんでしょうか」

「川の途中に落差工のような、滝のようなものがあるからな。前に移動したときは地上を通って行ったみたいだが、上流はよく水が少なくなるから結局は戻る羽目になったんだ。で、今度は行かなかった」

「諦めちゃったんですね。可哀想だ」

「人間から見たらそうだが、野生生物は適応力が生存力に直結するからな。諦めたというよりは、現状を受け入れたんだと思う。無理に地上を歩くのはリスクが大きすぎるんだ。最近は、羽繕いの回数も減った。極論だが、この川ならマガモは地上に出なくても生存は可能だ」


 白山は地上の草むらを指差す。


「カルガモやマガモたちはあそこで地上のエサをとっていたが、負傷したマガモはあっちの浅瀬で水上から地中を探るようになった」

「適応したんですね」

「無理に治そうとしたり、じたばたと健康な連中について行こうとせず、できる範囲で生きている」


 ……どこか、がん治療を拒む祖父に重なった。

 だが、潔もつばさも人間だ。野生の鳥とは違う。

 今の白山のことばは、意図したものだったのだろうか。

 だとすれば、潔の考えを受け入れろという意味になるが、これは家族の問題だ。いぶかしむが、確証はない。


「さて」


 白山は適当にマガモを撮影すると、こちらに向き直った。


「せっかく待ち合わせたんだし、勝負をしないか?」

「勝負ですか?」

「池の周囲のコースをお互いに反対回りで半周して、そのあいだに撮影できた種類の多いほうが勝ちだ」

「面白そうですね」

「……と、思ったんだが。ときに少年よ」

「なんですか?」

「探鳥していると、自分で探さないで他の撮影者のあとをついて回る輩や、カメラを構えると駆け寄ってくる輩に出くわすことがある。おれはあの手の連中が大嫌いだ」

「ぼくも嫌いです。ずるいし、鳥も逃げるんですよね」

「だから、周囲の人間がただの通行人か、撮影者かどうかもなんとなくチェックしてしまってな。そのうちに人の気配というものに鋭くなった」

「達人ですか?」

「それは言い過ぎだが、まあ、だから気づいたんだが、つばさくん、きみはつけられていたようだな」


 白山が、つばさの肩越しにどこかを見た。

 つられて振り返る。まさか、あのぎょろ目の中年が何かしようとしてたとか?


「おっ、隠れたな。ははは」


 白山が笑う。

 確かに今、誰かがヤマザクラの裸木(はだかぎ)に隠れるのが見えた。

 だが、人間の身体を隠すにはヤマザクラは細すぎる。

 それに、隠しきれない長い髪が、藤の花か枝垂れ桜かという感じに揺れて覗いていた。


***

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