05.野鳥観察
冬休みが終わるまで、つばさは野鳥観察に精を出した。
いったん祖父との議論は置き、趣味に集中するのだ。
祖父に治療を受けさせることを諦めたわけではない。
何か、彼のこころを動かすよい手があるはずだと考えている。
つばさのかようフィールドは、自宅近所の河川や田んぼ、それからくだんの県営自然公園がおもだ。
白山との再会も求めていたが、やはり、オオタカの姿を撮影することが目標にあった。
しかし、実際に遭遇するのは容易ではなかった。
いくつか怪しいと思ったポイントでタカの白い腹を探して目を凝らしたり、小一時間待ってみたりもしたが成果は上がらない。
いちど横切ったのを見かけてシャッターを切ったものの、「猛禽だろう」程度のぼやけた姿しか映らず歯噛みした。サギやカワウ程度なら追えるが、唐突な猛禽の出現に対応するのは若い反射神経をもってしても難しい。
もちろん、猛禽以外の鳥もよく観察した。
群れを成す黄色い小鳥のカワラヒワ。スズメより小さく、似た行動パターンを持つが、身体に対してくちばしが少し大きい。
セキレイの仲間ではハクセキレイ、セグロセキレイ。これらはアスファルトの上でもよく歩いているところを見かける。もう少し自然の多い川などを好み、腹が黄色いキセキレイというのも見つけた。
シジュウカラが石垣の隙間から冬眠中のカメムシを引っぱり出してくる様子や、どう飲みこんだのか分からない大きな木の実を吐き戻すメジロも撮った。
高木から木の芽のクズを落としてくるのはアトリだ。集団でやってきて食事をすると、ぱらぱらと種や芽の皮が降ってくる。
水辺では青い宝石のように輝くカワセミと出逢った。他人の撮った見事な写真でしか見たことがなかったから、その小ささと狩りの素早さに驚いた。小柄な体に長いくちばしを持ち、そのくちばしくらい大きな小魚などを丸呑みだ。
他には、水を飲みに来たツグミやシロハラがシメに追い払われるなんて場面も見かけて、友人の家にいる文鳥を思い出して楽しくなった。
けっきょく、撮り始めたばかりでなんでも珍しい今は、ポイントを変え続けたほうが鳥果が上がるように感じた。
だから、じっと猛禽を探すことよりも公園内をうろつくことに時間を費やした。
ところで、つばさは当初、高価な機材でカモばかりを撮っている撮影家たちに首をかしげていた。
動きも単調だし、「かっこいい」わけでもない。
特に年寄りたちが好んでいるのは、目が悪くても見つけやすく、動き回らなくてもいいからだ、などと勝手なことを思っていた。
だが、よく調べてみると、この公園では冬場は特に多くの水鳥が見られるようで、県の野鳥撮影スポットの筆頭に挙げられているほどだ。
大きく広い池は水鳥たちにとって都合がよく、冬場は無数の渡り鳥が訪れ、また旅鳥も中継ポイントとして利用するため、毎日のように違う様子が見られる。
じっさい、写真のよしあしは置いて、見た目の違う水鳥を片っ端から撮影してみて調べてみると、あっという間にニ十種類に達した。
カメラを手に入れる前のつばさに知ってる鳥の名前を挙げろといわれたら、全部でそれぐらいだったかもしれない。それも、動物園や水族館にいるようなのを含めてだ。
水鳥たちは本当に色んな種類が同じ水辺に介していて面白い。
カモはカモでもカルガモ、マガモ。
カルガモは留鳥で、今は育雛シーズンではないが、黄色い雛を引き連れる姿が有名だ。
オスのマガモの頭の構造色は、光加減で緑から藍色に変わって見えて美しく、おもしろい。
コガモとはちょっと違う、アメリカコガモなんてのもいる。連中はシベリアではなく、アメリカと日本を行き来しているらしい。
キンクロハジロにホシハジロ。オナガガモにハシビロガモ。ハシビロの群れが池のまんなかにびっしりと詰まって小島のようになっていたり、群れで円を描くように泳ぎ回っている様子も見た。
黒くてたくさんいるのはオオバンで、カモの仲間ではないらしい。のんびりと水に浮かぶ気の抜けた雰囲気に反して、人間の投げた餌に突撃をしたり、激しく奪い合う姿も見られる。何より、地上に上がったさいに見られる、凶悪ともいえるたくましい足に驚いた。
ふわふわなカイツブリや、比べて大きなカンムリカイツブリ。彼らは潜水が得意で、不用意に近づくとすぐに水に潜ってしまう。カイツブリやオオバンは、ときおり水上を忍者のように走る。飛ぶより早いんじゃないかと思うくらい素早い。
身体の大きさで目立つのはサギだ。サギにしてもコサギ、チュウサギ、アオサギがいたし、翼を広げて羽干しする黒くて大きな鳥、カワウもよく見かける。
あとは白黒でパンダみたいな顔をしたミコアイサなんて面白いカモや、ど派手なオシドリも写真に収めた。
なるほど、これだけ面白ければ水辺に張り付くのも納得だ。
集まって鳥をろくに見ずおしゃべりをしてるカメラマンたちもいるが、それでも誰かが気をつけていれば水辺の変化は分かる。これもなるほど、鳥が群れて餌や外敵を察知する様子に似ている。
噂によると、魚を好んで狩る猛禽のミサゴもここに出没するらしい。
もちろん、会ったのは鳥ばかりではない。
白山とも二度会って、連絡先の交換と、これは断られてしまったがあらためての礼を考えていることを話した。
彼は相変わらずマイペースに観察をしているようで、今朝も公園内で見かけていたのだが、アオサギのそばに座っていたので何か待っているのだと思い、つばさは声を掛けないでおいた。
公園を一時間ほど回って戻ってくると、やはり白山もアオサギもまだそこにいて、白山のほうは距離を詰めていて、一メートル半といったところだった。
彼はカメラをそっと構えるも、けっきょくあとずさりをして距離を開けてからシャッターを切っていた。近すぎてピントが合わなかったのだろう。
アオサギは何もないところでじっと待ち続けていて、カラスが落とした葉に反応して水を突き、それを白山が笑ってしまい、アオサギが驚いて飛び立ってお開きとなった。
池のそばを散策していると、遭いたくない人物を発見した。
カメラを倒して揉めた例のぎょろ目の中年男性だ。
彼は今日も自転車で来ていて、荷台には荷物の詰まったリュックを乗せ、池のほとりに三脚を立てていた。
たまり場のようになった水際で、他の撮影者たちと会話に勤しんでいる。
どうやらオシドリがねぐらから出てくるのを待っていたようだったが、前日に図鑑然とした一枚を決めていたつばさは、それを盗み聞いてほくそ笑んだ。
「やあ、少年」
盗み聞きに精を出していたところに声を掛けらた。
思わず肩がびくりと跳ねる。話しかけてきたのは白山だ。
「白山さん。おはようございます」
「おはよう。何か面白いものは撮れた?」
「今日は、コゲラが竹をつついてるのを見ました」
「竹を? 虫がいるのかな? っていうか、あんな堅いのに穴があけられるのか」
「どうなんでしょう? コゲラってキツツキなんですよね。初めて見つけたときは感動しました」
「分かる、おれもだよ。キツツキってもっとこう、静謐な森の奥にいるイメージだったからな。静かな湖畔の森の陰からってな」
「それはカッコウでは? でも、よく探すと住宅地にいたりもするんですよね」
「そうそう、あの、びーって鳴き声は虫のものだと思いこんでたよ」
「冬場に聞いてこの時期に虫? ってなりますよね。ところで、白山さんのほうは何か面白いものが?」
知っていて聞くのは意地悪だろうか。
だが、つばさは白山の口から行動の理由や意味を聞いてみたかった。
「アオサギの若鳥がいてな。昨日今日と連続でそいつの観察をしてたんだ」
「若鳥なんですか?」
「まだ雛っぽい羽毛が残ってたし、灰色がかってたからな。それに、餌を捕るのが下手だ。無理矢理に岩のあいだにくちばしを突っこんで鼻先を怪我してたよ。それで、若いと人間への警戒心も薄いから、近くまで寄れそうだなって」
「寄ってどうするんですか? そのカメラでもけっこうズーム利きますよね」
「いちおう九六〇ミリ相当だな。画角からはみ出るどころか焦点も結べない距離まで行けるけど、アオサギは特別だな。やっぱりコンデジだと、もっと性能がよければって思うことは多いよ」
「コンデジはダメですか?」
「ダメってことはないけど、やっぱり性能は負けるよ。レンズを格納しているぶん、ボディの機能が制限されるからね。センサーサイズは小さいし、高級でなきゃレンズは暗いし、シャッタースピードだって稼ぎづらいし、絞りは狭いばかりで表現に差が出てしまう」
つばさは「なるほど」と言いつつ、自分のカメラを見た。
単語自体は聞いたことがあっても、理解できていない用語もまだ多い。
まだカメラに搭載されているオート設定の撮影機能ばかり使っている。
「普通の写真を撮るぶんにはあまり不便しないんだけどな。小鳥の羽ばたきの一瞬を切り取るのはこのカメラじゃ無理だし、羽毛の一本一本まで見るとか、瞳に映った景色を見るなんてのは難しい」
「確かに、飛んでるところは綺麗に撮れないですよね。白山さんは一眼やミラーレスは使わないんですか?」
白山は問いかけに対しておどけたように眉を上げ、「貧乏なので」と言った。
「ははは、うちもです。だから、このカメラをおじいちゃんが買ってくれたときにも母が小言を言って」
「じいさんと喧嘩はしてないか?」
「しないようにしてます。埒が明かないので」
思い出すと腹が立ってくる。とはいえ、白山に当たってもしょうがない。
つばさは口調を弱め、「何か説得するいい方法がないかと考えてるんです」と続けた。
白山なら答えを知っているのではないかという期待も、どこかにあった。
「治療費が気にならないくらいの大金を得るとか?」
「現実的じゃないですね」
苦笑してしまう回答だ。
しかし、白山は大真面目な様子で、顎に手を当て首をひねっている。
「いや、カネがあっても治療の苦痛や生きたその先が弱いままだとダメだな」
「ぼくと母だけじゃ、弱いですか」
「すまん。あの世のほうが強いと言い換えよう。ばあさんにべた惚れって話だろ?」
「この前なんて二時間も思い出話を聞かされましたよ」
「となると、人を使ってこの世に引き止めるのがいいな」
「人って、おじいちゃんに再婚でもさせろって?」
「そんなことさせようとしたら絶対怒るだろ。そうじゃなくって、じじばばが好きなものといったら、あれだろ? 孫……この場合はひ孫か」
白山はつばさを見て、にっと歯を見せ笑った。
「いい相手はいないのか?」
少年はおし黙ってしまう。
まだ中学二年だし、交際経験もない。
恋人がどうこうという話は、まだ女子だけの特権で、男子は身体的で記号的な話に留まっていた。
「気になる相手くらいいるだろ?」
ちょっとウザくなってきた。
とはいえ、「気になる相手」と言われて誰も浮かばなかったわけではない。
ただ、それは恋愛とは別のかたちで、だ。
「すまんすまん。冗談はともかく、単純な費用の問題じゃないだろうな。よっぽど死後の世界を信じてるとかではない限り、ばあさんのこともおまけだ。何か、じいさんにとって、意地を張りたいだけの想いがあるんだろう」
「意地、ですか?」
「それを聞き出すのは難しいだろうな。本人も自覚してないかもしれないし、分かってもきみが介入できるものじゃないかもしれない。ただ、こういうことは今生きてるこの世での問題でかつ、過去から今日まで地続きの問題なのは間違いないよ。人間は鳥とは違って、時間という概念に支配されているし、過ぎ去ったことを悔やむものだ」
白山はそう言うと、空を見上げた。
またトビが飛んでいる。餌を探しているのだろう。
青空に大きな円を描き、だんだんと遠ざかる。
「で、気になる子はいないのか?」
視線を戻した白山は、またにやけ面だ。
真面目になったかと思ったらこれか。
つばさはいらだちついでに、難しい問題を浴びせて仕返しをしてやろうと考えた。
「いなくはないです。でも、好きとかそういうのとは違います」
「ふうん? 聞かせてもらおうじゃないか」
「うちのクラスで……」
続けようとすると、ふたりのあいだを男がぶつかるように強引に通り抜けた。
「うるせえぞ。さっきから、ぴーちくぱーちく、さえずりやがって」
例のぎょろ目の中年だ。
つばさはまた硬直してしまっていたが、白山がこっちを見て「さえずりだってさ」と笑うから、つられて頬を緩めてしまった。
「あんた相手にさえずってたわけじゃないんだ。うるさかったらすまないね」
白山は謝るも肩を震わせている。つばさも必死に口を閉じた。
「いいや、俺のことを何か言ってたんだろう!?」
すごむぎょろ目、白山は両手でどうどうと制しながら、「まさか、さえずりませんて」と笑いをかみ殺している。
もうダメだ。つばさは声を出して笑ってしまう。
「さえずり」は基本的に、オスがメスに向けておこなうラブコールを指すのだ。
縄張りの主張の意味合いもあるが、それも大抵は繁殖期におこなわれる。
「おまえら、いい加減にしろよ!」
「ごめんなさい。マジですんません」
白山は笑いが止められない。
「さえずりが、さえずりがツボにはまって」と、苦しげに繰り返している。
ぎょろ目の男は苛立たしげにうなったが、さっきまでいた水辺のほうを見ると、「クソッ!」と吐き捨てて去っていってしまった。
「あんたら、あの人に何かされたか?」
さっきまでぎょろ目と話していた撮影者たちが三人、小走りでやってきた。
「あの人はあかんわ。マナー悪いし、自慢とダメ出しばっかやし」
「ほんとになあ。シゲさんがフェンス曲げてたのを見たって言ってたけど、たぶん間違いないね」
彼らはつばさたちの返答を待たず、ぎょろ目への悪口を始めると、「あんなこともあった、こんなこともあった」と次々と悪評を吐き出し、盛り上がり始めてしまった。
そうとう鬱憤が溜まっていたのだろう。こちらをそっちのけでぎょろ目中年への罵詈雑言を交換し合っている。彼は行動上の問題も多いようだったが、仲間と思われた撮影者たちは、彼の特徴的な容姿にまで口を出し、差別的なレッテル貼りまでおこなった。
だがつばさは、あまり胸がすく思いではなかった。
ちょうどそのぎょろ目に話を遮られてしまっていたが、今のこの光景がくだんの気になるクラスの女子のことを思い浮かべさせていた。
悪口に三十分ほど付き合い、やっとのことで解放されると、つばさは白山に切り出した。
「さっき言ってた、気になる子の話なんですけど」
「ん、ああ、そういえば途中だったな」
ことがことだけに、教室で話題に上げられるものでもない。
ちょうどいいだろう。つばさはこの件についても相談してみることにした。
応答する白山にはもう、からかいの気配はなかった。
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