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24.雛落とし

 押さえた頬がまだ痛む気がした。

 叩かれたのは先日の話なのに、鴫野の手のひらの感触はずっとへばりついたままだ。


 確かにデリカシーが無かった。

 三人とも親との関係に傷をかかえているのだから、もっと発言には慎重になるべきだった。

 つばさは反省をしている。


 反省をしているが、厳しいのは人の世だけではないとも思う。

 自然の摂理の過酷さも友人女子諸君は知るべきだと憤慨もしている。

 弱いものが淘汰されるのは必然なのだ。


「そりゃ叩かれるな」

 コンデジを構える白山の横顔が笑った。


「でも、カラスの営巣とツバメの営巣で優劣をつけるのは変ですよ」

「まあな。理屈は分かるよ」


 白山はシャッターを切る。レンズが見据えるのは林の上ににょきにょきと生えているアオサギたち。五組程度のこぶりなコロニーだ。

 池のそばのほうの林には、カワウも営巣のために集まっている。

 白山は構図や解像的に大したものが撮れなくとも、こういったシーンを観察し、記録するのを好む。

 ここからではよく見えないがアオサギの雛が一羽、木から落っこちたらしく、親鳥は面倒そうに下に降りて世話をしているらしい。この公園で彼らを捕食できるのはオオタカくらいだが、密度の高い林では難しいだろう。


「年頃の女の子なんだし、ふたりともきみに味方をされたいんだからな」

「ぼくとしては、くるみさんをフォローするつもりでツバメの説明をしたのに」

「理屈じゃなくて感情に寄り添ってやらないとダメだぞ。おれもデリカシー不足で女性に叩かれたことがある」

「何をしたんですか?」

「恋人の誕生日を間違えた」

「うっわ。それはエグいですね」

「サイテーだよな。ところで、つばさはふたりの誕生日は把握してるのか?」


 つばさは鴫野とくるみの誕生日を思い浮かべようとするも、できなかった。

 ちょくせつ聞いたことはないが、メッセージアプリのプロフィールに書いてあったのを見た覚えがある。二月だか七月だか……月すらあいまいなうえに、どっちがどっちのだったかすおぼろげだ。


「って、ぼくは別にふたりの恋人ではありませんが」

「しかし鴫野さんが真原さんの前できみをぶったのたのも、駆け引きなんじゃないかなあと、おじさんは思うんだな」


 白山はふいに首を縮めると、「ハナアブだ」と言って、宙をホバリングする小さな虫にカメラを向けた。小気味よいシャッター音が響く。


「駆け引きですか?」

「おう。鴫野さんなりの真原さんへの牽制(けんせい)だ。わたしはつばさくんをぶてる距離にいます、ってな」

「ええ……。なんですかそれ」

「本人も意図してないかもしれないがな。そして真原さんには真原さんのやり方がある。おれはなぜか彼女のほうがきみに謝罪するに一票を投じよう。それもこっそり、鴫野さんの知らないところで、だ」


 つばさは目をしばたたいた。

 白山の予想通り、真原くるみはつばさが反感を買ったその日のうちに、『私のせいで叩かれてごめんね。ふたりとも仲良くしてね』とメッセージを送ってきていた。

 つばさはなんで分かったのだと、アブの失敗写真を削除する白山を見つめる。


「なんで分かったかって? おれもチェックしてたツバメの雛が全部、巣から落とされててがっかりしてるからだ。それか、おれに乙女のハートがあるからだな」


 よく分からないことを言う。つばさは首をかしげつつ、「全部ですか?」と訊いた。


「うむ。全部っても、あるひとつの巣の話だが。間男(・・)の仕業だろうな。これもツバメなりの戦略だが、つばさも間男には気をつけろよ」


 白山は「まったく、鳥になりたいよ、うん」といつもの口癖を出しつつ、遠くを眺めた。


 ツバメの雛が巣から落ちるのには、いくつかパターンがある。

 先日つばさが女子たちに指摘をした、育てきれないぶんや弱った個体を親が捨てるパターン。これと雛同士の押し合いによる落下は似ていて、一羽だけ巣の下に落ちていることが多い。

 同じく事故でも、巣の崩落の場合は見てそれと分かるだろう。

 次に、外敵による攻撃。カラスの場合は巣の破壊のみのこともあるが、基本的には食糧目当てなので雛は食べられてしまう。ヘビ、イタチ、ネコなどほかにも天敵は多い。親切な人はこれらを避けるために巣の周りに工作をする。

 巣を狙う意外な外敵としては、スズメが巣を乗っ取って自分たちのものにすることもあるそうだ。

 そしてもうひとつ、独り身のオスによる妨害だ。つがいの相手を見つけられなかったオスのツバメは、ほかのつがいのメスを奪うために営巣の邪魔をすることがあるという。これは雛は巣の下に残されるし、全羽が排除されてしまう。

 我が子を殺されたメスが殺したオスに乗り換えるのも驚きだが、それも自然の摂理なのだろう。

 親鳥は自分で捨てた場合を除き、しばらくは雛に執着する。

 関心のあるのあいだに生き残りを安全で親の気づける場所に移動したり、巣の代用品を用意してやれば、育児が継続して上手くいくこともある。


 とはいえ、営巣のうまさも適者生存のひとつだから、人が助けてやることが必ずしもツバメのためとはいえない。

 この点ではつばさも白山も意見は一致している。

 そういう話と、つばさが鴫野にぶたれた話はまた別ということだ。


「別と言われても、よく分からないんですけど」

「人のこころってのはよく分からないものなんだよ」


 つばさは白山に手放しの共感を貰えなかったのが面白くなくて、だからあえて彼を「秘密のスポット」に案内することにした。

 そっと観察するだけの白山になら教えてもいいだろう。つばさの見守るオオタカの巣を。これもある種の駆け引きなのだが、つばさ自身は気づいていない。


 人通りの少ない回遊コースの道のはずれ、それも斜面の下。その先にはフェンスがあって、侵入を制限されている。数メートル進んだ先にあるアカマツの上に、オオタカの巣はある。


 あるはずだった……。


「おれが子供の頃に住んでたマンションにも頭のおかしいやつがいてな。家族総出で雛の孵っていた巣を壊しやがったんだ。ただのいち居住者のくせにだ。大家さんだってツバメの居住を認めてたのにな……」


 異変にはひと目で気づいた。

 巣のあるはずの木の下に、何かが落ちている。

 木の枝やら葉っぱやらの巣材のかたまりで、「白い何か」によってオオタカと融合(・・)していた。


「どうして!?」


 つばさは叫び、フェンスにかじりついた。

 手から離れたカメラがストラップで揺られ身体にぶつかるも、お構いなしだ。


「あれはトリモチか? すごい量だな……」

「トリモチ!? なんでそんなのが!」


 オオタカにまとわりついている白いかたまりは、粘着性のように見える。

 少年の頭の中は餅よりもまっしろになってしまい、気づけば白山の制止を無視してフェンスをよじ登り、タカのそばへと駆け寄っていた。

 オオタカはまだ生きていた。メスのほうだとつばさにはすぐ分かった。

 トリモチはすでに乾燥していて、触れたタカの身体は冷えている。

 タカは目を見開き舌を出したまま、短く荒い呼吸をしている。

 ああ……トリモチには卵の殻と黄色い粘液のようなものもくっついていた。

 つばさはそれで初めて贔屓(ひいき)のつがいが抱卵に入っていたことを知った。

 頭上でけたたましい威嚇の鳴き声が聞こえる。オスがいるのだろう。

 だが、トリモチに巻きこまれたメスは、つばさに抵抗するそぶりもみせない。


「くそ! どうしたら取れるんだ! ……白山さん!」


 フェンスの向こうで立ち尽くす彼からの返事はない。

 つばさは自分でも分かっていた。

 力づくでトリモチを剥ぐと、大量の羽根が抜けた。

 それでもオオタカはいっしゅん痙攣(けいれん)しただけで、鳴き声ひとつあげない。

 頭上ではオスが激しく鳴き叫んでいる。直後に風と共に何かが髪を掠めた。

 つばさがつがいの相手を捕食していると思っているのだろうか。


「つばさ、これだけタカが騒ぐと人が来る。誤解されるぞ!」


 ことばが耳を素通りする。いや、構うものか。

 だが、どうしようもない。手の施しようがない。

 いいや違う。悔しさで動けないのだ。

 こんなときだというのに、助けるために藻掻くよりも、原因や犯人を探ることよりも、泣いてしまわないようにするのに必死で動けなくなっているのが、とても悔しい。



 そうして少年は、手の中の鳥がまばたくのを見た。



 今わのきわ、うるんだ瞳に映ったのは、そびえる木立と狭い空。

 その中につがいの相手はいただろうか。

 瞬膜によるまばたきは景色をいっしゅん隠し、彼女はそのあと、ゆっくりとまぶたを閉じた。


 手の中のものが軽くなったのを感じる。

 少年はきっと、これを永遠に忘れることはないだろう。



 白山かえるは鋭い男だが、家族はもっと少年を理解していた。

 帰ってきたときに挨拶をしなかったとか、床や階段を踏む力がいつもと違う――そう、怒っているときのような重い音ならともかく、幽鬼のように静かな――ことに気づくほどには、分かっていた。


 食事の声かけ以外で誰かが部屋をノックするのは珍しい。

 とりわけ、潔が訪ねてくるのはひさびさだった。


「つばさ。何かあったか?」


 重ねて珍しいのは、母の恵ならともかく、潔がノックをして返事を待たずに開けたことだった。

 きっと、ドア越しに訊ねられたら、つばさは寝たふりをしていただろう。


 つばさが泣き腫らした顔で振り返ると、潔は眉をあげたが、すぐにいつもの……いや、小学生の頃ぶりに見せる笑顔になって、「どうしたんだ?」と訊ねた。

 つばさは白山の前では涙はこぼしても、声は上げなかった。

 挨拶もなしに黙って帰ったし、タカの遺骸もどうにかしてくれると勝手に任せて帰ってきていた。意地だった。

 意地だったのに、つばさもまた小学生の頃ぶりに「おじいちゃん」と震え声で潔に抱きついたのだった。


 そしてつばさが潔から離れたのは、自分の子供っぽい行為を恥じたからでも、落ち着いて泣き止んだからでもなく、祖父の身体の華奢(きゃしゃ)さに気が付いてしまったからだった。


 動揺を悟られぬよう、つばさはゆっくりとタカの話をし、聞いてもらった。

 潔にも写真の自慢はしていたから、今日の部分だけを話した。

 そして、話しているうちに、自分はツバメのために怒った友人たちに対してなんて酷いことを言ったのだと重ねて悲しくなり、その件もまた白状せずにはいられなかったのだ。


 祖父なら優しく受け止めてくれる。

 そう信頼しきっていた。

 過ちに気づいた孫息子を褒めてくれる期待まで持っていた。


 だが潔は厳しい口調でこう(いさ)めた。


「おまえの考え方は、優生思想に近いものがあるな」


 ――優生思想?


 違うんだ。なんだか分からないけど、ちゃんと聞いて欲しい。

 自分は間違いに気づいたんだ。


「ふたりにはきっちりと謝罪をしておきなさい。友人の気持ちを踏みにじるようなことをするような奴に育てた覚えはなかったが……」


 言われるまでもなくそうしようと思ってたのに。でも、言葉にできない。

 叱られるのは望んですらいたが、突き放されたのは予想外だった。


「今すぐに謝りなさい。いきなり会いに行くのは迷惑になるから、電話で。文字ではなく、ことばで伝えるんだ」


 逆らう理由はない。だけど、あんまりだった。

 つばさはまずはくるみに掛けた。ワンコールでつながる。

 声は震えていないだろうか、泣いているのに気づかれないだろうか。


「この前のツバメのこと、ごめん。酷いことを言って。ちゃんと謝りたくって」


 自発的にするつもりだったのに言われてしまうと、嘘が混じるような気がした。

 数秒の沈黙ののち『前も言ったけど、大丈夫だよ。ありがとう』。

 それだけならまだしも、『今度から私も気をつけるね』とくるみは続ける。

 スマホからの声は潔にも聞こえているだろう。

 気を遣わせている。謝罪としての手応えがない。これではダメだ。

 だからといって、監視するような視線を当てられてもどうしようもない。


『つばさくん、どうしたの? 急に電話を掛けてくるなんて』


 真原くるみの声は明るい。この前のことなんてもうどうでもいいようだ。

 安心する反面、もう次に行かなければならないことに申しわけなくなる。


「いや、ホントに謝りたかっただけで。じゃ、また学校で改めて謝罪を……」

『ふふっ、そこまでしてくれなくても。じゃ、また学校でね』


 くるみは上機嫌のまま電話を切った。

 つばさは潔の顔色を気配で探りつつ、鴫野へとコールする。

 潔は厳しい。「正しさ」に関わることでは、とりわけこだわる。

 鴫野やくるみの事情のことをつばさから聞かされているだけあって、黙っていられないのだろう。

 つばさは潔のそういうところを尊敬してはいたが、今だけは(わずら)わしく思った。


 コールは十回を数えた。


 鴫野と最後にメッセージのやり取りをしたのも、叩かれた前日だ。

 さすがに舌の根も乾かぬうちにくるみにつないでもらうわけにもいかない。

 つばさが「出ない」と潔の顔を見るも、無言で睨まれるばかりだ。


「学校でちゃんと謝るよ」

「本当だな?」

「うん」

「信じてもいいんだな?」

「うん」

「よく聞きなさい。正論や摂理というものは、いつでも正しいとは限らない」


 つばさは潔に向き直り、「はい」とうなずく。


「正しさを説こうというのなら、相手との距離をよく測らなくちゃならん。たとえ相手が法律や常識として間違っていても、非効率で気持ちに任せた勝手だったとしても、おまえにとって大切な相手なら……」


 潔の動きが止まった。

 彼は宙を見上げるようにし、片眉を持ち上げ、頭を掻いた。

 つばさは気づくのにいっしゅん遅れた。

 潔の自爆だ。

 かといって、このタイミングでつばさからは治療の話を持ち出しづらい。

 つばさは視線だけで抗議することにした。



 ……潔は苦笑いをし、「あーあ」とわざとらしく声を出してため息をついた。



 いよいよ降参したのだろう。

 苦笑を維持したままつばさを見て、口を開きかけた。



「つばさ! ちょっとつばさ!」



 ふいに恵の声が割って入った。

 階下から喚いているようだ。どたどたとした足音もセットだ。

 

「つばさ、あんた、いったい何やったの!?」


 なんだろう、大袈裟だな。つばさと潔は顔を見合わせる。


「恵さん。つばさの女性への失礼については、俺がしっかりと叱っておいた。そんなに騒ぎ立てずとも……」

「女性? 来てるのは男性のかたですよ。ずっと公園にかよってると思ったら、とんでもないことをしてくれて! 相手のかた、怒っていらっしゃるのよ! とにかく、さっさと降りてらっしゃい。お義父さんも、申し訳ないんですけど、一緒に!」


 身に覚えがない。つばさはいっしゅん白山の顔が浮かべたが、後始末を押しつけられた彼がキレて押しかけるなんて想像がつかない。


 慌てて階段を降りて、玄関に出る。


「おう、出てきたな。やっと見つけたぞ。おまえ、今度は証拠も撮ったからな」


 ぎょろりとした目玉が少年を睨む。

 その男のゆがんだくちびるには、不気味な笑みが浮いていた。


***

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