20.セーラー服とロープ
つばさが真原くるみの入院する病院を聞き出し、見舞いの約束を取りつけることができたのは、三月に入ってからのことだった。
行動自体は、鴫野と決めた翌日からおこなっていた。
だが、真原の交友関係はあまり広くなく、そのうえ山田結愛と近しい生徒は口が堅く、美術部員すらも詳しい事情を知らないようで、話はなかなか進展しなかった。
ようやく聞けても、「真原って子は恋愛で負けて自殺した」とか、「グループでハブられて自殺した」など既に噂に流れていて、無責任でしかも面白がってるようなものばかりだった。
彼女の所属していた山田のグループは、真原が来なくなってからは図書室で集まることをやめていた。なるべく教室にいる時間も減らしているようで、いつでもチャイムぎりぎりで、昼休みもどこかへと姿を消してしまう。
鴫野のチョコレートの件や真原の自殺について何か知っている……というよりは、つばさには自白をしているように思えた。
だが、今回の件には人のいのちが懸かっているかもしれないという懸念があるため、迂闊には動けない。
もちろん、見舞いの是非についても周囲の大人にも相談したうえで行動をしている。
大人たちの助けが必要なのだ。真原くるみにも、それを助けようとするつばさたちにも。
相談を受けた白山は、ふたりが真原に会うことは止めず、生半可な気持ちで踏み入らないことと、「たとえふたりがかりでも彼女のすべてを背負いこもうとするな」というアドバイスをした。
山田一派に関しては、自分たちからアクションを仕掛けたり、真原や大人に何かするように促すのは避けろと釘を刺した。
鴫野は自身の父親に意見を聞いた。
だが、「磯子がイジメられているのではないか」と勘繰りだしたので、ややこしかったようだ。
「女子のいう友達の話なんだけどは自分の話」というのが彼の持論らしい。
もちろん、担任の教諭にも、いの一番で声を掛けたが、曖昧な表情で首を振ったり、黙して秘するばかりで、あからさまに何かあるのに話せないふうで成果が上がらなかった。
つばさは自分の身の回りで、いちばん人生経験のあるだろう人物にも相談した。
祖父の潔だ。彼とは前回に居間で語り合ったとき以来、かえって重い話はしやすいと感じていた。
つばさが潔を訪ねたとき、彼は探しものか整理整頓でもしているのか、元は美代子の部屋だった物置き部屋で、押し入れやらタンスやらを開けて散らかしているところだった。古い衣装やアルバム、型落ちの電化製品など、つばさにも懐かしい品がちらほらと見える。
「おじいちゃん、自殺ってどう思う?」
「自殺? ……ひょっとして、俺の治療の話の続きか?」
「今日は別の話。うちの学校の子が自殺したかもしれないんだ」
「まさか、この前のべっぴんさんか?」
「女子だけど違うよ。噂で証拠もないし、本当でも未遂なんだけど……」
つばさは少しためらいながら続ける。
「ぼくも一枚噛んでいるんだ」
潔は作業の手を止め、つばさに向き直ってあぐらを掻いた。
「俺がおまえを叱るべき話か?」
「分からない。聞いて欲しいんだ」
つばさは鴫野のチョコレート事件の話の一部始終を聞かせた。
「……そうか。少し安心した。おまえが加担したわけではないんだな」
「でも、きっかけのひとつだと思うし、ぼくは話を聞かなかった。だから、病院に行って真原さんの話を聞きたいんだ」
潔は腕を組むと「そうだな。ちゃんと話すべきだ。俺もそう思う」と唸った。
「俺が子供の頃と比べて、今の世の中は子供の問題にずっと真面目に取り組んでいる。上手くいっているかどうかは別としてな。俺が子供だった時代では、自殺は弱いやつがすることで、親や教師に逆らうのは悪いことで、やられたらやりかえせといったものだった」
つばさは反論しようと口を開きかけた。だが、潔は「これらは全部、間違いだったと思う」と続ける。
「社会もいじめや自殺に対するキャンペーンに力を入れていた時期があった。その頃、俺はもう親になっていた。俺の知る限りでは、洋もそういったものとは無縁の学校生活を送っていたように思える。いや、俺が単に無関心だったのかもしれん。仕事仕事といってな。言い訳をさせてもらうと、あの頃は好景気やら不景気やらで世の中の変化がせわしなくて、ついていくのに必死だった」
潔は言った。「俺の学友にも自殺した奴がいてな」
「もう三十年以上前の話だ。高校時代の学友でな。学生の時分から奴は要領がよくて、最小の努力で大きな成果を出すのが得意だった。特に仲がいいわけではなく、同窓会くらいでしか会わない仲だったが、バブル景気にうまく乗ったらしく、会うたびに羽振りがよくなっていくのが印象的だった。十人以上が参加する二次会三次会の代金をあいつが持つ、なんてこともあったくらいだ。だが、平成の初頭にバブルが弾けて、あいつの不動産業が立ちいかなくなってな……」
潔は「これだよ」と、首にロープをかけるしぐさをした。
「あいつには嫁も子供もいなかった。遺される者が少ないのは不幸中のさいわいだったという者もいた。当時の俺もそう思った。納得はいかなかったが、借金まみれで藻掻く余生からも要領よく逃げたんだって思うことにした。破産するなりなんなりでやりようはあったし、あいつならそれも上手くやれたんじゃないかと、引っ掛かりはしたんだがな……」
潔はくちびるを舐める。
少し間を置き、唾を呑みこみ。
「次にあいつのことを思い出したのは、洋と美代子が死んだときだ」
つばさも息を呑む。ここで父と祖母の話が出てくるとは思わなかった。
「あまりにも突然だった。考えてもどうしようもないことを悔い続ける毎日だった。だが、遺される側になってから初めて気づけたことは多い。いちいち挙げていったら日が暮れてしまうほどにな。俺も昭和の人間としてずっと社会を生きてきたが、そこでようやく、俺の頭の中にも時代に取り残された考えがこびりついていることに気づいた。だからといって、あの事故のことは到底肯定できないが……」
潔は深く息をつく。深い深い、何十年ぶんものため息に思えた。
「洋と美代子はまだ生きたかった。疑うべくもない。まだ寿命に遠かったのもあるが、何より家族がいたからだ。もしも、首を吊ったあいつにも養わなきゃいけない誰かがいたら、自殺をしなかったかもしれない。自らいのちを絶つことは可能性を閉ざすことで、悪いことだ。おまえたち若者は可能性のかたまりだ。他人の子だろうと、先に死なれるのはやり切れん。つばさよ。おまえの友人には添え木になってくれる人が必要だ。きっと、彼女にとっておまえがいちばん太い添え木だ。いちばん太いのだから、決してそれで殴るようなことはするな。支えるんだぞ。最後まで責任を取れなどと大仰なことはいわんが、おまえにできることは、なんでもやってあげるんだ」
両肩を叩かれるつばさ。深く、強くうなずく。
うなずく一方で、潔の話の「ある矛盾」に、ちょっとしたいら立ちと「希望」を見つけていた。
「俺が力になってやれるのはこのくらいだ。俺は美代子一筋だったし、美代子以外に言い寄ってくる子はいなかったからな……。ふむ、文字通り死ぬほどつばさが好きな娘と、そんなライバルのために奔走する娘か。なるほどなるほど。そういえば、洋もよく女子にモテていたな……」
何か余計な心配もしているようだったが、とにかく、話を共有できる大人が増えるのは心強かった。
貰った答えも、「キビタキ船長」と同じだ。
「確か昔の写真の入ったアルバムもあったはずだな。つばさにも美代子のセーラー服姿を見せてやろう。驚くくらい美人だぞ。鶯鳴かせたこともあるとはまさにこのことだ。白黒じゃなくって、カラーで撮ったのがあるんだ。せっかくだし、洋のアルバムも……」
潔は塔のように積まれたアルバムの束を漁り、つばさに昔話をながながと披露したのだった。
さて、つばさは潔に後押しされ、真原とつないでくれそうな人物を当たりなおすことにした。
教員側がどれくらい事情をつかんでいるかは分からないが、当てにはならないだろう。
だが、自分たちと同じように予想をつけている生徒は必ずいるはずだ。
すると、最初に鴫野が聞きこんでくれたはずの美術部の生徒が、「空木くんのお見舞いなら、くるみちゃんはぜったい喜ぶよ」と、連絡を取ってくれたのだ。
初歩的な見落としだ。事情を知っているのなら、真原がライバル視をしていそうな鴫野に対して口が堅くなるのは当然のことだった。
「……でも、なんだか騙し討ちみたいで申しわけないな」
つばさは病院の前で肩を落とした。
「でも、こうでもしなくっちゃ、わたしなんかが話せる機会ってないもん」
同伴する鴫野は口をとがらせている。
鴫野は真原を救いたい気持ちから行動を起こしていたが、聞きこみを続けるうちに悪役扱いをされて、へそを曲げることが増えていた。
今日も絶対に会ってくれないと決めつけて、「これなら、誰? ってなって、すぐに拒否できないでしょ」と、前の中学校のセーラー服を引っぱり出して着てきている。
鴫野の母親の件で出かけたときに、思い出話のついでに「こんど見せてあげよっか?」と言っていたのだが、つばさは何もこんな形で着てこなくたってと思った。セーラー服なら最近、祖母の学生時代のをたっぷりと見せられたばかりだし。
受付けを訪ね、真原のいる四一〇号室を目指す。
病室をノックしようとすると、鴫野に袖を引っぱられた。
「すごっ、この部屋インターホンついてない?」
確かに、引き戸の隣に呼び出し用のボタンとカメラがついている。
ボタンを押すと、男性の声で「どちらさま?」と聞かれ、つばさは「くるみさんのお見舞いに来た空木つばさです」と名乗った。
そのまま通されるわけでなく、中から男性が出てきた。二十代前半とおぼしき青年だ。眼鏡を掛けているせいもあるが、彼が何者なのかはひと目見て分かった。
「くるみさんのお兄さんですか?」
「そうだよ。きみがあの空木つばさくんか」
背が高く痩せ型。
神経質そうな印象だが、眼鏡の奥から見下ろすまなざしは柔らかい。
「まともそうな子だ。学力優秀で生徒会なんだろ? くるみに会うためにわざわざ聞きこんでくれたそうじゃないか。ところで……」
表情が曇り、視線は鴫野のほうへ。
「きみは? どこの学校の子?」
門番がいるのは想定外だったろう。
鴫野は「えっと……」と、ことばに詰まってしまう。
真原の兄は代わりに答えを求めてつばさを見た。
つばさはこういうケースも想定して、あらかじめそれらしい言い訳を仕立てておくべきだったかと後悔する。
「待って! わたしは、わたしは鴫野磯子です」
「鴫野、磯子さん……?」
思い当たる名ではなかったらしく、真原の兄は思案顔だ。
「くるみさんのライバルです!」
「ちょっ、鴫野!?」
「ライバル? ライバルってもしかして、チョコレートの濡れ衣の?」
「そうです! 濡れ衣のです!」
「だったらきみは入れるわけにはいかないな」
「どうして!? 濡れ衣だって言ってるじゃないですか。くるみさんはやってません!」
「それでもだ! 妹は今、不安定なんだ。帰ってくれ!」
つばさを挟んでふたりがけんけんとやる。
つばさは困る。困った。ペットショップで聞いたインコの悲鳴よりうるさい。
なんで正直に話してしまうんだ。っていうか、ライバルって。
とにかく、このままだと自分までも追い返されてしまうんじゃ?
「兄さん、誰が来てるの?」
兄の脇の向こうに現れたのは、薄桃の病衣にガーディガンを羽織った眼鏡の少女、真原くるみだ。
彼女は「セーラー服……」と睨むように目を凝らしたあと、「あっ!」と声をあげ、それからつばさを見て「つば……空木くん!」とさらに大きな声で言い、頬を染めてカーディガンの前をあわせるように片手で引っぱった。
「くるみ、噂のつばさくんが来てくれたよ。だが、そっちの彼女には帰ってもらうぞ、いいな?」
「よくないよ……。兄さんは少し出てもらえる? 私は大丈夫だから……」
兄を脇へと押しやるようにする真原。
彼女の左手首には包帯が巻かれており、その包帯にはなぜか青や緑の絵の具のようなものがついていた。
兄は「その辺にいるから、何かあったら呼ぶんだぞ」と言うと、つばさと鴫野に見向きもしないで立ち去っ……。
「本当に大丈夫だよな? くるみ」
振り返る兄。真原は「大丈夫だから、ちょっと息抜きでもしてきて」と投げ返してふたりへと向き直り、ため息ひとつをついて苦笑顔を見せた。
「入って。兄さん以外でお見舞いに来てくれたの、ふたりが初めてなの」
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