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02.少年と正義

 つばさの住まいの近所には、県営の自然公園がある。

 敷地は広大で、行楽用の広場にマラソンコースや運動用の遊具、人工の川や森林などがあり、そして何より、四季折々に水鳥の訪れる広い池があった。

 つばさはカメラを持ったら、美しい自然や見事な夜景、そして特に格好のいい猛禽類――大空を支配する鳥の中でも頂点に立つ彼ら――を写真に収めることを夢想していた。

 手に入れたカメラは理想とは違ったが、そのカメラの公式サイトに載せられた見事な作例写真を見て驚き、市の広報誌の写真提供者に中高生の名前を見つけ、「よし自分も」と息巻いたのである。


 手始めにと、この公園に初めて訪れたのは去年の暮れだった。

 花もなければ紅葉も終わって木々は寒々とし、タカのたぐいは影も形もなく、小鳥すらもまばらで声ばかり、けっきょくは池のほとりで立ち尽くすアオサギや水面をゆっくりと泳ぐカモたちにレンズを向けたのだった。

 そのせっかく撮った写真にも、人間の捨てたゴミが写りこんでいたし、鳥の羽ばたきはことごとく被写体ブレを起こしていたのだった。


 つばさは落胆した。だが、そのくらいで諦めてしまうほど飽きっぽくなかったし、毎朝と同じ議題で祖父とやり合うくらいには忍耐強い。

 また、母や祖父の暮らしを助けたいという願いを小学校のころから持っていたから、職業選択の幅を広げる勉学も得意だという自負がある。

 じっさい、中学に入ってからの定期テストではどの教科も八十五点を下回ったことがなかった。頭がいいのだ、きっと。


 そういうわけで彼は、自分の撮影の何がいけなかったのかよく調べた。

 草木が季節に従うのは仕方がないとして、バードウォッチングのシーズンの盛りのひとつといわれる冬に、どうして鳥たちの姿がなかったのか。

 原因は時間帯だった。

 夜行性のものを除いて、たいていの鳥たちは太陽と活動を共にする。

 日の出と共に起き出し、午前中に食事などを済ませると、昼頃にはねぐらや物陰に引っこんでしまうものも多い。

 それから、日が沈む前にもう一度活発になるのだが、つばさが公園に訪れたのは昼下がりだった。

 今日は朝食後、すぐに家を飛び出している。まだ冬の弱い日差しも、まだ完全ではない。


 次に、鳥の生息域の問題だ。

 鳥はその生態によって、暮らす場所が違う。

 スズメやヒヨドリなんかは市街地でもちょっとした緑があれば見つかるが、水鳥は当然、水のあるところにしかいない。

 他の生物の入ってこられない茂みに潜むものや、深い森や北国に行かなければ会えない鳥も多い。

 反対に、カラスは人の暮らすところならどこにでもいるし、ドバトやハクセキレイなんかはコンクリートやアスファルトの上を歩き回っている。

 つばさの探していたのはオオタカで、低い山やその近辺でよく見られるものだった。

 このあたりはいわゆる平野で、田畑や林は多いが山からは少し離れている。

 ことに県営公園は自然が豊かとはいえ、住宅地や大きな幹線道路に囲まれていた。

 小鳥は小鳥で、他者の目から隠れてゆっくりできる場所がここにはいくらでもある。小鳥が出てこないのなら、猛禽は余計にじっとしているだろう。

 いや、タカなんてそもそもここにはいないのか。でも、遠出はできないし……。


 空の覇者に会うことは叶わないのだろうか。

 彼は粘り強く調べた。

 すると、まさにこの公園にかよっている人物のブログに、オオタカの撮影記録があったのだ。

 カメラも古く、距離も遠く、鮮明でない写真だったが、確かにオオタカだった。

 撮影記録も五年前のものだったが、やってくる可能性はあるということだ。

 ならば来たるべき瞬間に備えて、カメラの腕前を上げよう。

 以来、つばさはこの公園に足繁く通っているのだった。


 つばさは公園の敷地にたどり着くと、カメラの電源を入れた。

 今日も撮るぞと緑の天井を見上げ、深呼吸をする。

 冬のよく冷やされた空気と、草木や土から立ちこめる独特のにおいが肺いっぱいに入ってくる。いい気分だ。

 耳を澄ませば枝葉がこすれ合う音や、どこかでシジュウカラの鳴く声やコゲラが木をつつく音が聞こえる。

 それから、近く遠くに騒ぎ続けるヒヨドリたちの声。


 ……が、あまり楽しむ余裕もなく、つばさは慌てて土の地面に退いた。

 通行人だ。もちろん、公園内でも歩道は歩くためのものだと理解している。


 正月三が日の朝だというのに、すで人は多かった。

 ランニングをする壮年の男性や、新年の挨拶を交わし合う老人、双眼鏡を首からさげたバードウォッチャーらしき年配の女性の一団、それから、中学生では背伸びをしても手に入らないであろう、ロケット砲のようなカメラをさげて自転車をこぐ老爺などがいる。


 ――やっぱり、お年寄りばっかりだ。


 いやがおうにも祖父のことを思い出してしまう。

 老人たちにはコミュニケーションを兼ねて、運動に訪れている者が多い。

 ウォーキングはもちろん、ランニングウエアを着こんで若い人顔負けのペースで走る者や、専用ベンチや手すりを使ってストレッチをする者がいる。

 彼らは健康維持に努めているというのに、自分の祖父はどうしてあんな考え方をするのだろうか。


 とはいえ、彼らの爪の垢を祖父に飲ませたいなどとは思わない。

 どちらかというと、他人への気配りの出来る祖父の爪の垢を飲ませたいと思うことのほうが多かった。


 ――今日もいる。


 森林エリアの一角、休憩用のベンチのそばに人だかりができている。

 人だけでなく、カメラの三脚もずらりと並ぶ。

 こちらには年寄りだけに限らず、若い年齢の人もまぎれており、これまた双眼鏡やカメラときた。


 ちょっとした珍しい鳥、アオバトの撮影スポットなのだ。

 緑色をした綺麗なハトで、ドバトやキジバトよりも臆病だ。

 ただ、珍しいといっても「この県内では」という条件付きで、全国に視野を広げればよく見られる海岸があったり、特定の神社のハトの群れに普通に混じっていたりもする。


「下りてこんなあ」「来ませんねえ」

 撮影者たちは頭上を見上げてぼやいている。


 つばさはこの一団に加わろうとは思わない。

 つばさはすでに、この公園のほかの地点で二度もアオバトを撮影した経験があった。

 一度は風の強い日に不自然に揺れる枝を見つけ、常緑樹に隠れる姿。

 もう一度は、この場所から少し離れた水場で水を飲む雌雄のペアだ。

 撮影者らはドングリを拾い集めて竹の柵の窪みに設置し、意図的にアオバトを誘い、何時間もここで粘っている。


 ――そんなのは自然の姿じゃない。それに。


 ベンチには人ではなくリュックサックが陣取り、三脚のひとつは道を挟んで反対にも設置されていた。通行人たちはここの道を通るさいは足早になったり、意味もなく首を縮めて通り過ぎていた。


 つばさは集団のそばで意図的に足を止め、咳きこむふりをした。


 いまどき紙たばこを吹かすじいさんだ。

 自前のキャンプ椅子に座り、天体望遠鏡のようなカメラを設置し、いらだったご様子だ。

 たばこ趣味自体は個人の勝手だが、せっかく空気のいい県営公園だ。

 しかも、つばさの暮らす県は路上喫煙が全面的に条例で禁止されている。

 ところが、この公園の喫煙ルールでは、禁煙箇所が記されてはいるものの、「遊具や休憩場所のそば」という曖昧な指定だった。

 じいさんはベンチから三メートル程度の距離にいた。

 このじいさんがポケット灰皿を使わなかったら、中学二年生の少年はつかみかかっていたかもしれなかった。


 祖父も昔は喫煙者だったが、彼の妻、つばさの祖母が亡くなってからはきっぱりと煙を断っていた。彼は昔から携帯灰皿を使う紳士だったと聞いている。

 つばさは「個人の自由」と、口の中で唱えると、撮影スポットを足早に通り過ぎ、気分を変えるために池を目指すことにした。


 耳を澄ませながら歩いていると、落ち葉の上に座りこんでいるグリーンのマウンテンパーカーを着た男を見つけた。

 ポケットサイズのコンデジを手にしているが、野鳥撮影だろうか。

 彼の視線の先には緑の低木があり、シジュウカラが木と地面とを行き来している。

 カメラ性能が悪いから近づいてくるのを待っているのだろうか。

 シジュウカラが地面に下りて落ち葉をひっくり返し始める。

 しかし彼は特にカメラを構えることもなく、ぼーっとしているだけだ。


 つばさは首をかしげる。低木の辺りは今は日光が落ちてないし、シジュウカラならもっと撮りやすいスポットは多い。

 おや、シジュウカラが次第に大胆になり、距離が近くなっている。

 つばさならカメラを構えただろう。

 しかし、男は落ち葉が跳ねる様子をちら見するだけで動く様子がない。


「あー、鳥になりてえなあー」


 よく分からないが……。まあ、マナーの悪い連中とは違うようだ。

 つばさは妙な男をスルーして、聞き馴染んだ鳥の地鳴きに集中した。


「ひっ、ひっ」と、か細く鳴くのは、ジョウビタキだ。

 ジョウビタキは大陸からやってくる冬鳥で、日本各地の低地の山、都市公園や住宅地でも見られる。

 オスは銀の頭に黒い顔、そして腹は目の醒めるようなオレンジ色をしている。

 これに初めて出逢ったときは思わず息を呑み、距離を詰めることもせずにシャッターを切った。

 あれだけ鮮やかな野鳥を見たのはつばさには初めてだったのだ。

 ところで、このポイントにいるのはジョウビタキでもメスの個体だ。

 メスのほうは薄い茶色を基調として、腹がややオレンジがかった白で、長い尾は裏から見たらオレンジ。そしてなにより、目がくりくりとして見える。


 ――いた。


 道に張り出した枝の上で、鳴くに合わせてぴこぴこと尾を上下に振っている。


 ジョウビタキは普段は単独で暮らし、おのおので縄張りを持つ。

 テリトリーを見張り、餌を探すために少し高いところにいることが多い。

 いちど出逢えば再び見つけやすく、さまになる写真も撮りやすいため、彼らのお陰で坊主を逃れることもたびたびだ。


 つばさはこの鳥に逢うまでは「可愛い」なんて女子の好むものだと思っていたが、いつの間にか公園に撮影に来ると決まって「彼女」を探すようになっていた。


 今回も図鑑写真的な写真を軽く撮ってから、いくつかのカメラの設定や撮影角度を試させてもらい、つばさは可愛らしい姿に思わず笑顔をこぼした。


 立ち去る際、ちらっと先ほどのパーカーの男のほうを見た。

 まだ座りこんでいる。低木と重なると緑の上着が保護色のようだったが、彼の頭に鳥が乗っかっているということはない。

 ちょっと期待をしたが、「野鳥もバカじゃないよな」と、つばさは苦笑した。


 池を目指しながら、出逢う野鳥たちにレンズを向ける。

 柿を食うハシボソガラス、太い枝上で丸く膨らんでいるキジバト、競うように木の実を食べるツグミの群れ。

 池のほとりや浮御堂にはカメラマンたちが集まって談笑している。

 カモはびっしりと敷き詰められるように池に集まっていたが、誰もシャッターを切る様子はなかった。


 ――やれやれ。


 浮御堂では三脚は禁止なのだが、お構いなしだ。

 それどころか、よく見ると浮御堂への橋の入り口のそばでは『修繕工事のため立ち入り禁止』の札とトラロープが外されて落ちている。

 少年の腹の底が熱くなってくる。

 談笑するカメラマンたちは、祖父と同じ七十代に見えた。

 おじいちゃんなら、絶対にこういうことはしないのに。


 気分を落ち着かせるために、つばさは空を見上げた。

 先ほどとは変わって、薄雲が掛かった冬の空だ。


 そこに、ひとつの鳥影が現れた。 


 大きな翼をめいっぱいに開いた巨大な姿。

 首は短く、尾は大きく扇形。

 羽ばたかず、風に乗って池の上空を旋回している。


「猛禽だ……!」


 少年は駆け出す。少しでも近づいて、大きな姿を撮りたい。

 叶うならば、何かを狩る瞬間をレンズに捉えたい。

 息を切らして池のほとりの広場に来ると、つばさはずっこけそうになった。


 ぴーひょろろー。


 トンビ。猛禽は猛禽でもトビだった。

 影は相変わらず黒塗りに見えたが、有名すぎるその鳴き声は誰でも知っているだろう。

 トビは猛禽でも雑食寄りであまり狩りをせず、漁港なんかでは群れて餌待ちしている姿もあるらしい。少年の思う「かっこいい」とは合致しないハズレだ。


 とはいえ、カメラを手にして初めての猛禽類との遭遇だ。

 いちおう撮っておくかとカメラを構えようとする。


「あれ?」


 トビのそばにもうひとつ鳥の影。それはトビにまとわりつくように飛んでいる。


「カラスだ! カラスのモビングだ……!」


 カラスはトビの姿を見かけると追い払おうとするのだ。

 鳥の習性を書いた本で読んだことはあったが、実際に見るのは初めてだ。

 本気の攻撃ではないらしいが、たった一羽のカラスが、一・五倍もある巨体に猛然と立ち向かっている。

 あれはトビだが、タカなどの狩りが得意な相手でもカラスは退かないという。

 猛禽はあまり反撃をしない。騒ぎが起これば狩りは失敗に終わるだろうし、空腹の上に体力を失うから、大人しく場所を変えるほうがマシなのだ。

 いっぽう、小鳥たちから見ると、猛禽は捕食者だから、普段はカラスに押しのけられる彼らにとってありがたいこととなる。

 もちろん、カラスに小鳥を守ろうという正義のこころがあるわけじゃない。

 カラスだって弱っている小鳥や死骸を見つければ腹に納めてしまうだろう。


 つばさはカラスやトビに対して、こころのどこかにいだいていたネガティブな感情が畏敬の念へと生まれ変わるのを感じた。


 ――これが自然なんだ。


 少年はこころを打ち震わせ、公園上空から離れていく二羽を追った。



 カメラを構えることも忘れて、ふらふらと。



「おい、おまえ!」



 何かが身体に当たったようだ。

 顔を下げると、傾いた三脚が視界の隅に見えた。


***

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