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14.ホームアンドホーム

 河川敷での撮影会以降、つばさは鴫野とよく会うようになった。

 つばさは学校が始まってからは、時間を惜しんで登校前の早朝や、下校後の夕方の短い日照時間に公園でカメラを構えていて、鴫野もそこにやってくるのだ。

 鴫野は焦点距離の短いカメラでも野鳥を撮りたがったし、鳥を撮らずとも公園の利用客の子連れや老夫婦なんかを勝手に写して、本人たちにシェアしたりもした。

 つばさとしては注意したい気持ちもあったが、彼女がシャッターを切ったことでトラブルに繋がったことはないし、悪用するはずもないと信じていたのでこらえた。

 白山も公園の人口の川でよく遭遇した。

 彼はよく右翼の折れたメスのマガモを眺めているのだが、鴫野もカモを気にかけるようになり、つばさもそばを通ればカモを探さずにはいられなくなっていた。

 茂みや橋の下に隠れていて見つけられなかった日は落ち着かず、一度は日没前に三人で手分けをして探したりなんかしたこともあった。


 ――あのカモはいったい、いつまで生きられるのだろうか。


 つばさは祖父や母とも一度、出かけた。

 自分から家族を外出に誘ったのは初めてだったが、友人たちと出かけることで敷居が低くなっていた。もちろん、家族写真を撮るための口実でもあった。

 隣の市の山を登ったのだ。

 がん患者に登山は酷ともいえたが、心肺機能の改善があったり、精神的な達成感がよい方向に働いたりという記事を読んだため、提案した。

 野鳥が見られ、健康的で安上がりで、家族写真を撮っても不自然ではない、一石二鳥どころではない名案だと思った。

 だが、標高三四〇メートル程度のゆるやかで控えめな山だったのに、乗り気だったはずの恵はいざ登り始めると文句が多く、潔には無理をさせ、けっきょく頂きまで登ったのはつばさひとりだけだった。

 隣町を見渡せる見事な景色だったが、シャッターを切る気は起きなかった。

 ここに白山か鴫野がいれば、つられて何枚かは撮っただろう。

 鳥見にしても、特定外来生物のソウシチョウを見かけたがシャッターが間に合わなくて地団太を踏んだり、ベンケイヤマガラのために登山道を塞ぐ三脚を蹴飛ばしたくなったり、クマタカらしきがどうしたと枝折り草踏み新しく獣道を作りだす一団に舌打ちをしてしまう結果だった。

 もちろん、どの鳥にも興味はあったから、また来たいと思ったのだが、バードウォッチャーと登山家が揉めているのを見て、誰にも邪魔されない自宅近所の田畑や林のそばが恋しくなったのだった。


 野鳥を撮る人には、いくつかのパターンがある。

 ひとつ、カメラや写真撮影自体が好きで、被写体の一つとして鳥を選ぶ人。

 この中には「写真を撮っている自分が好き」なタイプもまじる。

 ふたつ、鳥はもちろん、自然や生物好きから発展して記録のためにレンズを向ける人。

 その中には学術的な研究をする人や、車を走らせ遠方や奥地に出向き、ブラインドやテントを活用して何時間もこもったりするストイックな層がいたり、反対に自分のかよいやすいマイフィールドに特化して遠出はあまりしないライトなタイプがいる。

 鳥好きから発展して、植物や虫なんかに詳しくなる人もちらほらだ。

 あとは、余暇を潰すための趣味として「ただ流行ってるから」と選択をしたり、同志たちと時間や趣味を共有する目的で野鳥観察を選んだ人たちだ。

 これらの理由にはいい悪いもなく、どれかひとつとも限らず複合的な場合もあるが、重きを置くポイントや、自然やマナーに対する主義主張に開きがあるため、現場やSNSでいがみ合いが起きることもある。

 つばさは一番目と二番目のあいだの理由でカメラを持ち、今回の撮影ではイヤなものをたっぷりと見せられ、「慣れた場所のほうがいいな」と身に染みたのだった。


 けっきょく、思い通りにいかないことだらけの登山では家族写真を撮ることも叶わなかった。


 ……ところが、つばさがこれだけ苦心して撮れなかった家族写真を、ある人物がいともたやすく撮影してしまったのだ。


 鴫野の用事に付き合うために、出かける仕度をしていたときのことだ。


「つばさ、あんたにお客さん」


 ノックもなしにドアを開けたのは母の恵だ。

 二階のつばさの部屋からはインターホンがあまり聞こえない。

 物音を立てていたり、イヤホンをしているとさっぱりだ。


 朝はいつも不機嫌な恵だが、今日は妙にニヤついている。

 パートが休みだからだろうか。

 つばさに「ほら、早く早く」と手招きをして、部屋から出るように促した。


 母の横暴に腹を立てながら廊下に下りると、祖父の潔が玄関で誰かと会話をしていた。


「おう、つばさ。最近、やたらと出歩くようになったと思ったら、こんなべっぴんさんを引っかけてたのか」


 ――べっぴんさん?


 我が家の玄関に立っているのは、このあと待ち合せるはずのクラスメイトだった。


「ごめんね、急に来て。早く起きて退屈だったから、ちょっとこの辺を歩いてたの。そしたら、空木って表札が見えて。珍しい苗字だから、つばさくんのとこだと思ったの」

「そよの家だったらどうするの?」


 つばさは不機嫌を隠さずに言う。

 反して鴫野は、「さっき、窓から雲を確かめたでしょ?」と笑った。

 思い当たることがあった。

 鴫野が『雨が降りそう』とメッセージを飛ばしてきたのだ。

 予報では晴れといっていたはずだと空を見たら、やっぱり雲一つなかった。

 ついさっきの出来事だ。


「ホームセンターで待ち合わせだったじゃんか」

「だから、ごめんねって」

「こら、つばさ。せっかく来てくださったのに文句ばかり言うな。本来ならおまえが迎えに行くべきだろうが」

「古臭いよそういうの」

「古いもんでもいいものはいい。よし、恵さん、こづかいを持たせよう」

「いくらがいいかしら?」

「いらないって!」


 普段は無駄遣いにうるさい恵が、なぜかもう財布をスタンバイしていた。

 それがまたつばさの怒りに油を注ぐ。


「ホームセンターの二階にはフードコートがあっただろう?」

「近所にはモールも。鴫野さん、お昼はまたぐ予定かしら?」

「ちょっと買い物して終わりだよ!」

「何を買うんだい?」

 潔が鴫野に訊ねる。

 鴫野は愛想よく「春物のカーテンです」と答えた。


「こりゃたまげた。カーテンを選ぶ仲だったとは!」

 潔はわざとらしく尻もちをついておったまげた。

「あらまあ」

 恵も露骨に頬を吊り上げ、口元に手をやる。


「漫画かよ! 鴫野は夏に引っ越してきてまだ部屋が整ってないんだよ。だからそれで……」

「だからって、いっしょに選ぶなんてねえ」

「俺も美代子とカーテン探しをして喧嘩をしたことがあってな。けっきょく、お互いに生地を選んで左右で違う色にしたんだ。なかなか洒落てるだろ?」


 保護者どもが何か言っているが、それどころじゃない。

 少年の頬は大火事だし、こちらを見て笑う女子を早く追い出したくてたまらない。

 仕度を済ませていたらさっさと出てしまえたのだが、あいにく荷物は二階だ。


「待ってて、荷物取ってくる」

「まだ時間はあるんだろう? よし、せっかくだから俺がお茶でも……」


「うるさい!」


 つばさの怒声に潔も恵も黙りこむ。

 やってしまった。自分でもこんな大声を出したつもりはなかった。

 かっこ悪いところを見られたと鴫野を振り返ると、彼女はまるで天井に何かがいるかのように視線を上に逃がしていた。

 けれども、すぐにつばさたちのほう見て「そうだ!」と手を叩き、「お母さんはもう少し右に、おじいさんは左に」と指示しつつ、ポーチからカメラを取り出した。


「笑ってー。はい、撮りまーす」


 ぱしゃり。


 こうしていとも簡単に、なんだか騙し討ちみたいなかたちで家族写真が撮れてしまったのだった。

 恵と潔は「もっとちゃんとした格好で」と言ったが、「自然体が一番ですよ」と女子中学生にあしらわれ、彼女は「あとで送るね」と楽しげだった。


 つばさとしては面白くない。今日まで苦労を重ねて撮れなかったのに。

 それに、頼んだのならまだしも、鴫野は祖父の病気のことは知らないはずだ。

 ホームセンターに向かう道中に、思わず文句を言ったら「この前のお返し」と、河川敷でのことを持ち出されてしまった。

 しかし、つばさはそれで終わりにせず、普段から勝手に他人を撮るのが気に入らないことを口にし、肖像権だとかプライバシーだとかを並べ立てた。

 鴫野は鴫野で譲らず、「それでも撮っておいたほうがいいよ、絶対」などと言う。

 つばさは否定できない。法律とかマナーなんていいわけだ。

 本当は助かったし、鴫野のことばの重さはよく理解している。

 けれども、けっきょくカーテンは彼女が一人で選び(そもそも当然だが)、会計が済むまでろくに会話もしなかったのだった。


「じゃあ、次は二階だね」


 さすがの鴫野も声を落とした調子で言った。

 二階に行って食事……ではなく、二階に入っている「ある店舗」の見物にいくのだ。

 もともとは、カーテンのほうがついでで、こっちが本命だった。


 土日ということもあって、売り場は家族連れで賑わっていた。

 わんわん、にゃーにゃーと聞き慣れた鳴き声が、てんでばらばらばらのタイミングで聞こえてくる。吹奏楽部が個別に練習している風景を思い出す。

 二段重ねにされたケージの棚がずらりとならんで、その中にはさまざまな種類のイヌやネコがいる。犬猫たちは覗いている客や世話をする従業員に反応を示して、ケージ越しに手を舐めようとしたり、狭い空間で右に左にうろうろと忙しい。


「すっごいたくさんいるね」

「犬猫だけで何頭いるんだろう?」

「みんな飼うつもりで来たのかな?」

「ほとんどは冷やかしじゃない?」

「あっ、スコティッシュホールド!」


 鴫野が長毛種の仔猫のケージへと近づく。

 仔猫は眠いのか、片目をちょっと開けただけで閉じ、惰眠をむさぼるのを優先した。


「鴫野はネコを飼いたいの?」

「飼いたいけど、うちは日中誰もいないから無理かな。そもそも今のところはペット駄目だし。いつか独り暮らしとかしたら飼いたいなあ」


 つばさも「うちもペットは難しいかな。普段はおじいちゃんしかいないし」とつぶやき、父が生きていた頃に、イヌだったかネコだったかを欲しがった記憶があったなと思い出す。


「今朝はお母さんもおじいさんもいたね」

「たまたまだよ。母親が土日に休みになるのは珍しいんだ」

「それなのに誘っちゃってごめんね」

「別に! それより、あっちのコーナーじゃないの?」


 つばさは再び不機嫌を膨らませて、早足で奥の小動物のコーナーに向かう。

 魚、ハムスター、爬虫類。それから鳥類だ。

 本日の本命は、インコを観ること。といっても、飼うための下見というわけではない。野鳥観察の延長でコンパニオンバードがどういったふるまいをするのかも見たくなったのだ。

 最初に言い出したのは鴫野だったが、つばさももちろん興味があった。


「あっ、セキセイインコだ。わたしが行ってた小学校で飼ってたよ。青いのと黄色いのがたくさん」

「ぼくの小学校ではニワトリだった。今は飼ってないみたいだけど、朝はうちまで鳴き声が聞こえたんだ。あとは、よく遊んでた友達の家には文鳥がいた」


 犬猫と比べて小鳥はあまり力を入れていないのか、ケージは六つだ。

 文鳥、コザクラインコ、マメルリハ、セキセイインコの青系が二羽と、基本カラーの黄色と緑が一羽。

 客もあまり興味を持っていないのか、ケージのそばには誰もいない。


「外に出たいのかな」

 緑のボディにオレンジの顔をしたコザクラが、くちばしで扉をがちゃがちゃとやっている。

 マメルリハもエサ入れに乗っかって、サイドの扉をこじ開けようとしている。

 文鳥は左右に忙しなく動き、セキセイたちは銅像のように固まっていた。


 ――やっぱり、可哀想だ。


 狭いケージに閉じこめられて、大勢の人の前に晒されて。

 野鳥観察を始めるまではあまり意識をしなかったが、鳥は本来、空を自由に飛び回るものだとつばさは思う。

 動きの少ないセキセイたちはまだ、ひと月半前に生まれたばかりらしい。


「セキセイや文鳥はおこづかいでも買えちゃうね」

「ケージや餌代はかかるけどね」


 あっちのマメルリハはもうじき生後二年で、二八〇〇〇円の値札に二〇パーセントオフのポップが取り付けてある。

 コザクラも生後一年を過ぎていて、同じく二〇〇〇〇円からのニ〇パーセントオフだ。


「見て見て、こっち側、可愛いよ」


 サイドにはガラスのショーケースがあり、中にはアクリルケージが並んでいる。

 保温用の電球がまぶしく光り、照らされる鳥たちはこちらを見て震えているか、一緒に入れられている仲間と団子になっている。

 雛鳥のケージだ。こちらには値段はつけられておらず、販売開始予定日が示されている。


「雛から育てると手乗りにしやすいっていうよね」

「人間に育てられるなんて、不自然だよ」

「そうかな……? ネコもいいけど、インコも飼ってみたいな。インコならうちでも飼えそうだけど……」


 鴫野はショーケースに顔を近づけ、オカメインコの雛を見つめている。

 コンパニオンバードの活発な時間帯も、野鳥の活動時間と重なるはずだが、部活をしていない鴫野なら構ってやれるのだろうか。


「あー、可愛いなあ。真面目に検討してみようかな」


 つばさも考えたことがないわけではない。

 野鳥にも思わず飼いたくなるような鳥は多い。

 日本に棲息する鳥は多くが地味なカラーリングで、つばさ好みだ。だが、鳥獣保護法で飼育は禁じられている。

 いっぽうで、品種改良されたインコはどうにもおもちゃっぽく思えた。

 生き物をおもちゃのように、それこそおもちゃ同然の値段で……。


「どうしたの、つばさくん?」


 余計なことを言うとまた険悪になってしまうと思い、つばさは「別に」と言うと最初の棚の裏側の通路に移動した。



「えっ!?」



 ケージの前に異様な様子の客がいた。

 なんと、緑色のマウンテンパーカーを着た中年男性が、ケージを覗きながら小刻みな屈伸運動のようなことをしているではないか。


「どうしたの、つばさく……ぶっ!」


 鴫野が吹き出し、つばさの背中に抱きついて激しく肩を叩いた。

 急な密着だったが、つばさも目の前の状況に気をとられて、それどころではない。


「何してるんですか、白山さん!?」


 白山かえるが、インコのケージを覗きながらリズムを取っている。

 彼はこちらを向いてもそのまま上下運動を続け、抱きついていた鴫野が爆笑をこらえようとひくひくと痙攣した。


「やあ、少年と少女。何をしてるんだい」

「いや、こっちが訊いてるんですよ!」

 思わずツッコミを入れてしまう。

 白山は謎の動きを止めると、ケージを指差した。


「ホオミドリアカウロコインコ? 十六万円って、高っ!」

「こいつはこっち側では安いほうだな」


 ここも鳥の販売コーナーのようだが、ケージが大きく三つだけで、広めにスペースが確保してある。

 ホオミドリの他にはシロハラインコ三十五万、ルリコンゴウインコ六十五万と、血統書付きの犬猫に負けない価格が表示されている。

 ルリコンゴウについてはカラスやタカよりも大きく、『寿命五十年』と赤字で値札よりも大きなポップが取り付けられていた。


「ルリコンゴウは世界最大のインコでな。ここの看板鳥で、たまにあっちのふれあいコーナーで一般向けの放鳥もされてるぞ」

「でも、売ってるんですよね?」

「勝手な推測だが、高額のインコはブリーダーからや鳥専門のところで買う人が多いんじゃないか? こいつは展示用で、別の個体を買うとかかも知れん。それより、こいつらの前で踊ってみると面白いぞ」


 白山が再びケージの前で屈伸をすると、インコたちが動きに合わせてヘッドバンギングを始める。


「インコやオウムは知能が高くて学習能力も高い。有名なところでは研究者の飼っていたヨウムのアレックスだな。彼は簡単な計算や英語による会話ができたらしい。野生の苦しみから解放された状態だと、隠された能力をのびのびと引き出せるんだろうな」


「野生の苦しみ、ですか?」

「ケージに閉じこめられてるのが可哀想だってか? 相手をしてやらなきゃそうだろうな。野生と飼育で寿命が十倍も変わることもある。退屈なら拷問だろう。だが考えてみろ、命懸けで餌を探す必要がないんだぞ? 不自然といえば不自然だが……」


 白山はダンスをやめ、つばさの両肩に手を乗せた。


「人間に例えればつまり、働かなくてもいいんだ」


 白山は「働かなくていいんだぞ、少年」と繰り返す。

「まったく、鳥になりたいよ、おれは」

 つばさは「はあ……」と力無く返事をし、鴫野のほうを見た。

 彼女は白山に(なら)ってか、ケージの前で頭を前後に振っている。


「見て見てつばさくん! この子わたしのマネしてるよ!」


 楽しそうで結構。つばさは改めて何をしていたのかと白山に質問をする。


「以前、インコを飼っててな。今はもう飼うことはできないが、懐かしくなってたまにここに見に来るんだ。で、毎回こいつと挨拶をしている」

「インコなんて飼ってたんですか」

「ああ、生き別れてしまったがな」

「生き別れ? 逃がしちゃったんですか?」

「いやいや、ロストしたら生きのびちゃいないだろうさ。あいつはまだ元気にやってるはずだ」


 白山は何やら遠い目をしている。つばさは自然に溶けこんで野鳥が寄ってくるまで待つ彼が、かごの中の鳥を相手にしていたなんて意外に思えた。


 意外というか、気に入らない。


「あなたが鳥をペットにしてたなんて、ちょっとゲンメツですよ」

「なんでだよ。世話も欠かさなかったし、ちゃんと可愛がってたぞ。親権は取られたが……」

「鳥は飛ぶものでしょう!?」

「放鳥もしてたぞ。肩や頭にも乗ってたし、毎日おれの身体で登山大会だ」

「登山なんて……」


 嫌なことを思い出させる。

 白山は澄ましていたが、見透かしたような薄笑いに思えて腹が立った。


「何をイラついてるんだ? まさか鳥を飼うのが下等で、野生の観察が上等だとでも思ってるのか? きみだって、立ち止まってレンズを向けるだけでも野鳥にはストレスだってことくらい知ってるだろ? それだけで営巣をやめるケースだってある。それに生き物ってのは生涯の心拍数が一定だといわれててな……」

「知ってますよ。そうやってぼくらバーダーは鳥の寿命を縮めてるんです!」


 白山の顔から笑みが消える。


「ヒトである以上、ヒトのエゴからは逃れられないぞ。ペットだって反射的に野生と同じ行動をとってしまうようにな」


 白山は短く息をつき、訊ねた。


「つばさ、もしかしておじいさんと何かあったのか?」

「別に! ぼくが無理に登山をさせて寿命を縮めただけですよ」


 めいっぱい皮肉を込めて、無関係な白山に吐き捨てるように。


「ほう、登山か。何かいい写真が撮れたか?」

「撮れませんでした。マナーの悪いヤツばっかりだし、母さんもおじいちゃんも途中で諦めるし。無駄にがん患者の寿命を縮めただけです」


 つばさの背後で「えっ」と小さな動揺を孕んだ声が上がった。

 振り返ると、鴫野がカメラの入ったポーチを手で押さえる姿があった。


「つばさくんのおじいさん、が……病気なの?」

「……そうだよ。言ってなかったっけ?」


 うしろで白山が「つばさ」と強い口調で呼ぶ。構うもんか。


「膵臓がんの再発で、ほかにも転移してるって」

「つばさ!」

「持って数年なのに、治療しないで放置するっていうんだ」


「つばさ!」

 ひときわ大きな声。

 インコが短く悲鳴を上げ、ほかの客がこぞってこちらを見た。

 視線が刺さる。つばさの頭の中で「店頭で騒ぐなんてマナー違反だ」と、誰かが言い、それを口元をゆがめて聞き流す。


「あ、あの、わたし、知らなくって……」

 鴫野はあとずさり、ポーチを押さえる手は鷲づかみの形になっていた。


「怖がってるだろう。彼女が何かしたわけじゃないだろうに」

「してもらいましたよ」


 ぎゅっと、カメラをつかむ手に骨が浮かぶ。

 同時にくちびるが噛まれ、黒くて長い髪がひるがえされ、少女は逃げるように早足で去っていく。


 少年はその背中を見て、胸のすく思いがした。

 そうだ、本当は鬱陶しかったに違いない。

 ちょっと助けてやったらまとわりついて、調子に乗って……。



 唐突に頭に衝撃を受けた。



「追いかけろ、バカタレ!」

「殴った!?」

 今度はつかまれた。

 いや、財布やカメラの入ったショルダーバッグを奪われた。


「訴えたければ好きにしろ。追いかけて、謝って、落ちついたら連れ戻してこい。そしたらこれを返してやる」


 白山は本気のようだ。

 だが、つばさはバッグのほうへ手を伸ばそうとした。


「もっぱつ殴るぞ。あと、今のダサいところ家族にチクるぞ」

「ズルいですよ。あなたは関係ないでしょう!?」

「ある。おれはおまえの味方だって言っただろう」

「頼んでません!」

「悪いが、これはおれのエゴなんだ。さあ、男ならさっさと追いかけてこい。うまくやったら、ふたりまとめて飯をおごってやる!」

「ふざけてるんですか!」

「おれは大まじめだよ」


 白山はバッグから手を離した。


「泣いてたぞ、鴫野さん。人間、どうでもいいことで泣いたりなんかしないもんだ。きっと彼女は半分、きみのために泣いたんだ」

「頼んでませんよ」

「それもエゴさ。もちろん、きみが彼女を傷つけたのもな。人間にしてもペットにしても、ヘンな別れ方はするもんじゃない。一生引きずるぞ」


 さっきと同じ、遠くを見る目だ。白山の視線は確かにつばさに向いているはずだが、そのさらに向こうを見ているようで、つばさはまるで雪山から吹き降ろす風を受けたかのように、全身が(こご)えるのを感じた。


「でも、追いかけるったってどこに……」


 白山は口をへの字に結んで、ちょいちょいとどこかを指差した。

 その先には、休憩コーナーのベンチで顔を拭っている鴫野の姿があった。


***

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