表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/29

11.話し合い

 どこでこんな話を? つばさはスマホのメッセージを前に首をかしげた。


『花園さんがわたしのあだ名呼びをやめたいって言ってるの聞いたんだけど』


 話の出どころ聞くと、お手洗いのマークのアイコンと共に「本人の口から! 盗み聞きだけど!」と、ちょっと怒ったようなメッセージを返された。


『花園さんの連絡先、分からない? ちょくせつ話したほうが楽だけど、花園さんの周りって常に誰かいるから』


 クラスでは花園希の連絡先を知らないほうが珍しい。

 つばさが『つながれるか聞いてみるけど、要件も言っておこうか?』と聞くと、『ありがと。話があるってだけ言ってもらったらいいよ』と返された。


 昼休みの出来事だ。

 つばさは給食のビーフカレーを食べながら、鴫野の席へとさりげなく視線を向ける。

 鴫野は付け合わせのツナひじきサラダをつつきつつ、スマホを操作している。

 ときおり花園たちのグループのほうを見ているようだ。

 花園も食事の手を止めてスマホを触りつつ、なんども鴫野のほうを見ている。


『他の子が呼ぶのもやめさせる方法』


 鴫野からのメッセージと共に視線が飛んできた。

 メッセージはひとりぶんだが、視線はふたりぶんだ。

 一大グループの中心人物までがつばさを見ている。

 つばさは「女子はすごいな」となかば呆れる。自分ならそこまでフットワークを軽くできない。

 あと、仲直りをするにしても昼食を食べ終わってからにする。


『普通にみんなにやめようって言えば?』

『却下』


 鴫野の即決却下に少し腹が立ったが、つばさにもそのやり方が花園のプライドに傷をつけるのは分かる。

 花園はつばさのほうを向きながら、マイ箸を一本づつ手に握りこんで、おはしのお尻の部分で机を叩いてリズムを取っている。

 いい手はないかと悩んでいると、鴫野まで何やら手を机に這わせ始めた。人差し指と中指で手を歩かせ、ときおり止まって屈伸するように指を曲げて手を上下させる。動きの緩急からして、セキレイのジェスチャーだろう。


 つばさは「もう直接話せば?」と思いつつも、『ただ花園が呼ぶのをやめればいいだけだと思うよ』と返した。


『あだ名が広まったときと同じように戻っていくと思うよ』

『確かに。でもちょっと弱いかも』

『じゃあ、ついでに別のあだ名もつけてもらえば?』

『それ、いいカモ。のぞちゃんに言ってみよ』


 なんだかもう仲良くなってる感じがして、勝手にやってろという気がしてしまう。


 ――女子って分からない。


 とはいえ、こういう切り替えのいいところはやはり鳥同士の関係にも似ているな、と思ったのだった。

 早いもので、この日のうちから「カモコ」は、じょじょに「鴫野さん」に戻り始めた。

 花園希は持ち前の調子のよさですぐに鴫野に声を掛け、そのまま親しい友人も引きこんで会話を始めたのだ。

 会話の内容までは分からなかったが、さすがのコミュニケーション能力だとつばさは感心した。

 だが、「イソぴょん」と聞こえたときには、さすがに片眉を持ち上げた。


 始業式の放課後の鴫野を思い浮かべると、「イソぴょん」はちょっと違うのではないだろうか。いやでも、公園で会ったときの彼女のノリは「イソぴょん」が合うだろう。いやいや、長い髪を下ろしてコートを着こんだ大人っぽい姿にはやっぱり似合わない……。


『イソぴょんになったぴょん』

 ウサギの絵文字付きだ。少年は頭を抱えた。


 ところで、頭を抱えたのは坊主頭のクラスメイトたちも同じだった。

 数日もすれば、たいていのクラスメイトは「鴫野」と呼ぶようになったが、野球部だけはどうしても「磯野」と呼ぶのをやめられないようだった。

 呼ばれる当人は裏ではそれに大ウケし、彼らのことを「中島くんたち」と呼んですらいるので、言いなおす野球少年たちが気の毒なのだった。


 ただ、スマホ紛失の件だけは真相が不明のままらしく、その点だけはまだ引っ掛かったままだ。花園のほうからスマホについて聞いてきて、鴫野は疑ったことまで包み隠さず話したそうだが、「仕方ないね」と軽く流されたらしい。この線だと花園がやった線も薄く思えるが……。

 花園はほんの数日前までは「カモコさんカモコさん」と、わざわざ突っかかるようだったのに、三歩歩いたら忘れるかの如く、ほかの女子と変わらずに鴫野と「友達」をしているようだった。


 ――調子のいいヤツ。


 とにかく、女子たちは大した話し合いもなく、数ヶ月に渡って続いた教室のイヤな空気を入れ換えてみせた。


 ――それに対して自分はどうだ。


 つばさはいまだに家族の話し合いができていなかった。

 言い争いを回避するために祖父とあまり接触しないようにしていたつばさだったが、今ではただ避けている。いや、逃げているような気すらしてきた。

 鴫野が正直なように、花園があっけらかんとするように、白山がおどけて名前を明かしたように、上手に祖父と膝を突き合わせることが出来たら、どんなにいいだろうか。


 話し合いに立ち向かうことを考えると、しりごみしてしまう。

 ぎょろ目のカメラを倒してしまったときや、放課後に鴫野と目が合ったときよりもずっと。

 まるで余命宣告を自分が受けるような、といっては祖父に悪いが、いかにこの問題が大きいかと再確認すると同時に、白山や鴫野の力を借りたいと願ってしまう弱い自分に嫌気がさすのだった。


 白山と鴫野は第六感もよかった。

 ただの偶然かもしれなかったが、自室で祖父の気配をうかがっている最中に、ふたりからほぼ同時にメッセージが届いた。

 片方はカラスが逆さまに枝にぶら下がっている珍妙な写真付き、もう片方は次の土日のどちらかにどこかに写真を撮りに行きたいという要望。

 いっぽうは羨ましく、もういっぽうは気恥ずかしく。同級生男子以外にこういうやりとりをする相手はこれまでいなかったことに思い当たり、少し頬を緩めて。


 つばさはそれぞれに適切な返事をしたあと、リビングに向かった。


 ――これは家族の問題だ。自分で動かなきゃ。


 まずは偵察。キッチンに踏みこみ、水きりに伏せてあるコップを手にし、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを注ぐ。

 リビングを覗くと、祖父は何かテレビ番組を観ているようだった。

 年季の入った映像で、公害問題について紹介している。小学校のころに習った四大公害のことらしい。

 かと思えば、ハイジャックがどうとか、作家が切腹したとか、万国博覧会がどうとかもナレーションが話している。どうやら七〇年代の特集だ。


「美代子とは万博にも行ったんだ」


 テレビ画面を観たまま独り言のように言う潔。

 恵はパートでいない。つばさに言っているのだ。


「前も聞いたよ。月の石を見たんでしょ?」

「ただの石ころだったな。わざわざ出向いたのに、人に揉まれに行ったようなものだった」


 それも前に聞いた。まさかボケまで始まったか。

 いや、違う。


「おじいちゃん。それ、お酒だよね?」


 テーブルの上に置いてあるのはカップ酒だ。

 つばさは慌てて駆け寄りカップを取り上げたがすでにからっぽで、ほかにも空きカップが二本転がってる。


「全部飲んだの? 身体に悪いよ」

「身体には悪いが、こころには良いぞ」


 テレビ画面を見たままの返事だ。潔は「そうそう、スプーン曲げなんてのも流行(はや)ったな」と、つまみの冷ややっこを食べるのに使った箸をテレビ画面に向かってかざした。


「自分ががんだってこと、分かってる?」

「肝臓は無事らしいが、膵臓が再発でキテる。酒はご法度だな」

「死ぬかもしれないんだよ!?」


 つばさが怒鳴ると潔は振り返った。


「死ぬかもしれない、じゃない。死ぬんだ。前回のときも、五年生存率三割以下といわれていた。今度は転移こみだ」


 つばさの見下ろす祖父の顔の向こうに酒のカップが居並んでいる。

 だが、潔の顔は素面(しらふ)そのもので、まっすぐとつばさを見上げていた。

 それは、つばさがいまだ出逢えぬオオタカと重なる顔だった。


「治療もカネと時間ばかりかかって、大して効果はあがらん。いちばん最初に余命を聞いて覚悟したときよりも、すでに長く生きている」

「でも、もっと長く生きられるかもしれない」

「生きてどうなる?」

「ど、どうなるって……」


 つばさはとっさには答えられない。

 潔は待つ。テレビでは潔の二十代ごろの思い出が流れ続けている。


「ぼくはおじいちゃんに、死んでほしくない」


 それ以外になかった。潔の顔が緩む。


「ありがとうな、つばさ。俺だってもっと長生きして、おまえの嫁さんやひ孫の顔だって見たい。だがな、死にたくない、死んでほしくないは違うんだ。生きてどうなるか、どうするかなんだ」

「どう、違うの……」


 潔はテレビを消すと、つばさに(はす)向かいに座るように促した。

 いつもと違う。いつもなら、テレビの内容をきっかけに話を逸らすだろう。


「まず、この前おまえが指摘をした、カネが無いから治療を受けないってのは、半分は正解だ」

「お金ならもう少し切り詰めたり、ぼくがバイトでもしたらいいし」

「それがダメなんだ。闘病を続けても、死そのものは避けられない。完治も非常に難しい。どんなに頑張ってもカネをかけても、平均寿命までは持たんだろう」

「でもやれるだけは……」

「持ったとしよう。仮に八十でも生きているとしよう。どうなる?」

「どうって……」

「うちはカネがあまりない。俺がくたばるまでおまえが医療費を稼ぐなんてことをしたら、進学や就職に確実に影響する。俺はあと数年だが、おまえは数十年生きるだろう。俺にはもう、おまえと恵さんしかいないが、おまえたちはもっと多くの人間と関わる。カネと時間と苦労をかけて、おまえたちが得られる結果はマイナスだ」

「マイナスだなんて」

「仮に完治しても、年齢も年齢だ。介助される生活からは抜け出せないだろう。けっきょく老人ホーム送り。これもカネがかかるな? さもなければ、恵さんに働きながら在宅介護をしてもらうか? 俺も大人だし、男だ。息子の嫁にシモの世話なんてさせたくない。闘病の次に待つのは、恥と申しわけなさだ。だから俺の治療をしないという選択は、誰にとってもいい……いや、マシな選択なんだよ」


 つばさは言い返せない。理屈の上では納得してしまっていた。

 だが、大きすぎて呑みこめない獲物のように、くちばしの部分で持て余してしまう。

 仮に無理矢理に押しこんでも、何かの拍子に素嚢から飛び出してしまうのではないかと思う大物だ。


「でも、だって、いのちじゃないか! 人の生き死にの問題だよ!?」

「そうだ。いのちだ。いのちは生きているからこそいのちだ。俺の余命もいのちだが、まだまだ続くおまえたちのほうが、よっぽどいのちだ」


 潔は残ったカップ酒を一気に呷り、いっしゅん呻いてみぞおちを押さえた。

 つばさは腰を上げそうになったが、潔は手で制した。

 

「俺は戦争が終わってから生まれて、高度成長期の希望と活力にあふれた日本に生き、バブルを経験して、弾けてもなお止まらない技術発展で人間のすごさを見てきた。これ以上旨味のある時代はないだろう。くだらない慣例はあったが、そのぶん倫理や法律運用の面でも、今よりも自分勝手で好きに生きれた。俺は勝ち逃げだが、つばさの時代はそうじゃない。窮屈と試行錯誤のバランス取りの難しい時代がやってくる」


 潔は咳払いをし、続ける。


「いいか、つばさ。福利厚生も延命治療も、関わる人たちのしあわせの総量がプラスにならないんだったら、無意味なんだ」


 つばさはテーブルを激しく叩く音を聞いた。

「無意味ってなんだよ!」

 自分で叩いたのだった。両手がじんわりと痺れていく。


「だったら、おじいちゃんの闘病や介護に付き合ったあとに、それを帳消しにできるくらいにしあわせになれればいいだろ!」


 潔は目を見開いた。

 鳥がレンズを向けられて驚くように。

 だが、「俺がしんどいのは据え置きじゃないか」と肩を揺らし、表情を緩めた。


「まあ、おまえがそこまで想ってくれることそれ自体も、俺のしあわせだ。俺の価値だ。俺の意味だ。なあに、俺の孫ならきっとしあわせをつかむだろう。それは疑わない。だが、おまえの母さん、恵さんはどうだ?」

「母さんだって……」

「恵さんには、悪いことをしたと思っている。洋のバカタレが死んじまったせいで、苦労をかけちまった」

「母さんが出ていけなかったのは、ぼくがいたからだと思うんだ……」

「理由の半分はそうだろう。腹を痛めて産んだ子だ。いや、彼女じゃなくとも、遺されたのた洋のほうでも、俺だけでも美代子だけでも、おまえのために人生を賭けただろう。だが、あのときの恵さんはまだ若かった。おまえの言う通り、おまえを連れてでも置いてでも、別の人生を生きれる道があったんだ」


 再婚、ということだろう。

 しかしそうなると、再婚相手は潔とはほとんど無関係だ。

 あるいはつばさが置いて行かれて母を失うのか。

 どっちにしろ縁が切れてしまうことになる。つばさには肯定できない。


「おまえのため、だけじゃないんだよ、つばさ。俺が頼みこんだんだ。俺が、ひとりぼっちになりたくなかったばっかりにな。俺はそれを後悔している。恵さんと洋は、俺と美代子のようにしあわせを噛みしめられたのだろうか。恵さんは、空木家に入って不幸だったんじゃないかって、思えて仕方がない……」


 つばさは、祖父が初めて弱々しく見えた。

 野鳥が不調を隠すかのごとく、闘病のことを最近まで隠しおおせた祖父が、猛禽のようににらみ理屈と幸不幸の計算式を語った祖父が、もはや緑をつけぬ古木のようになっていた。

 それでも、孫のことばで我を折るようなことはないのだ。つばさは自身の願いの成就の難しさを痛感する。


 つと、玄関のほうから開錠音が聞こえた。恵がパートから戻ったのだ。


「……おっとマズい! 恵さんに怒られる! 彼女が洗面所に行っている隙に、カップをこっそり捨てて来てくれないか! 俺は水を飲んで誤魔化す!」


 潔は立ち上がったが、つばさはとっさに調子が合わせられず、中腰で固まってしまう。


「さっきの話、母さんにも……」

「頼む。恵さんとはまた別に、一対一で話し合おうと思う。俺の責任だからな」


 片目を閉じて片手で拝む祖父は、いつものおじいちゃんの顔に戻っていた。


***

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ