10.フォトラリー
フォトラリーの開始だ。
つばさと鴫野は公園東側を回るルートで、白山は西回りだ。
東側は日の入る明るいスポットが多くて撮影しやすく、西側は木々の茂る森があって鳥の総数は多いと思われる反面、光の入りづらい箇所が多い。
制限時間は午前十時までの一時間。こちらはふたりぶんの集計で勝負をすることになっているが、つばさとしては自分の見つけたぶんだけで白山に勝ちたいところだ。
池を見下ろせる広場からスタートして、二手に分かれた。
白山はさっそくカラスにカメラを向けているが、つばさはこの隙に広葉樹の木立に耳を澄ませる。
確か数日前にこの木にシメの群れを見た。
シメは、くちばしのごついいかめしいつらをしているが、高音でか細い声で「ちぃちぃ」と鳴く。
「さあ、がんばるぞー。ね、どうやって探したらいい?」
にこにこ笑顔の鴫野が訊ねる。
学校では仏頂面もいいところだが、本当ならこんなにも表情豊かなのだ。
「と、とりあえず鳴き声から探してみよう。それを頼りに居場所を探すんだ」
鴫野は「了解!」と言うと、耳に手を当てながら、きょろきょろとし始めた。
つばさは気恥ずかしさに圧され気味だったが、いちおうは真面目にフォトラリーとミッションをこなすつもりだ。
展望広場を下って池についたら、動きの緩やかなカモやサギを使って、カメラの使い方をレクチャーしよう。
やはり白山の言う通り、ふたりで探索すると効率がいいようだ。
鴫野は素人とはいえ、鳴き声はもちろん、ちゃんと枝葉のこすれる音にも反応してくれた。つばさだって、まだ鳴き声を暗記するほどは慣れていない。
視覚に関しても、枝についたこぶみたいなシルエットを探したらいいと助言した直後に、キジバトを先に発見されてしまった。
その枝はすでにつばさはチェックしたつもりだったのだ。
「二羽いる。夫婦かな?」
「たぶん。キジバトのつがいは繁殖期じゃなくてもいっしょにいるんだ」
「ふうん。仲がいいんだね」
含みのあることばだと思った。鴫野は両親が離婚して転校してきた。
「仲がいいのはそうだけど、人間の価値観とはちょっと違うかも。キジバトは子育てが終わると別のペアに組み変わるらしいから。キジバトばかりじゃなくって、多くの鳥がそうだよ」
「子育てが終わったら、ね」
地雷を踏んだか。鴫野はキジバトをにらんでいる。
にらまれるほうはまんまるになりながら、「ほーほー」と呑気なものだ。
「じゃあさ、ツバメは? まいとし同じところに来るでしょ?」
「あれも、同じペアとは限らないみたいだね。渡りは過酷だし、片方が死んじゃうことも多いんだって」
つばさは自分の両親を思う。自分には父はなくとも、祖父がいたが。
そういえば本で読んだが、親戚が子育てを手伝う鳥もいるらしい。
沈黙を打ち払うように、鴫野がまた何かを見つける。
さっき見落としたシメだ。ふたりは撮影に戻る。
やはり鴫野は目がいいらしく、ツグミ、シロハラとつぎつぎに発見されてしまった。
「うーん、あまりおっきく撮れないね」
「そのカメラはズームが利かないからね」
「どのくらい違うの?」
レンズをめいっぱい伸ばし、お互いのスクリーンを比べてもらうと、「ずるい!」と言われてしまった。
「こんなに違うんだー……。あっ、つばさくん、今何か動いた。あれ撮って!」
彼女の指差すのは高木の上のほう、小さな身体に長い尾のシルエットが枝から枝へと飛び交うように動いている。
「エナガだ」
「知ってる! エナガって、あのまっしろでぽわぽわしたやつだよね!?」
「それは多分、シマエナガだね……」
カメラを構えるが、逆光が酷い。どのくらい写るか分からないが、とりあえずシャッターを切った。
「うーん、知ってる人にはエナガって分かるけど。せめて顔が写ってないとな」
「降りてこないかな?」
「白山さんが言ってたけど、今の時期はエナガは微妙だって。春先になると巣材集めで活発になるから、狙うのはその頃がいいって」
鴫野は「そっかあ」と残念そうに言い、他の木へと移っていくエナガたちに「ばいばーい」と手を振った。
撮影は続く。池にたどり着くと、水鳥のたぐいで大幅に数が稼げた。
マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、キンクロハジ、オオバン。
「あのもふもふしたの可愛い! あっ、潜っちゃった……」
「カイツブリだね。そのうち出てくるよ」
「あっちに色違いがいる。形は同じなのに悪者っぽいね」
白に頭は黒のツートンカラーに、まっかな瞳。冬羽のミミカイツブリだ。
「見て、プテラノドン!」
そんなバカな、と思ってみて見るとカワウの羽干し姿だ。
言われてみるとシルエットが翼竜にそっくりだ。
それから、コサギ、チュウサギを撮影して、カメラの基本的な設定の意味を説明する。水のしぶきを映したり、カワウの着水を追ったりするコツにも、鴫野は「明るさやシャッタースピードの関係は簡単な数学の公式みたいなものだね」と、呑みこみがいい。
試しにちょっとふたてに分かれて撮影してみる。
自分も負けていられない。
ところが、必ずいるだろうと思ったアオサギが見当たらなく、この池にもいるはずのカワセミも見つけられなかった。
「見て見て、おっきく撮れた!」
長い尾羽をぴこぴこと振りながら地面を走り回る小鳥、ハクセキレイ。
二羽いて、たまに追いかけ合ったりしながらの舗装された道の上で餌探し中のようだ。
既に鴫野が撮影したが、つばさもカメラを地面すれすれまで下ろして撮影する。
「鳥の目線の高さに合わせると、もっといい感じになるよ」
「ほんとだ! つばさくんすごい!」
うむ。撮影は続く。
賑やかに鳴くシジュウカラ、トキワサンザシの赤い実を頬張るメジロを撮影し、橋に差しかかるとアオサギ、セグロセキレイ、キセキレイと相次いで発見する。
アオサギは鴫野のカメラでも撮れるだろうと、わざと放っておいたが、彼女は「あれってよく突っ立ってるよね。映画にもなったやつ」と言うだけで撮らなかった。
「ね、今あそこで何か動いたよ!」
またも先に何かを見つける鴫野。彼女の指差す先には刈りたての葦原がある。つばさは目を凝らすが、何も見つけられない。
「また動いた。あの半分池に沈んでるところだよ。白いお腹の。なんて鳥?」
あてずっぽうでカメラを向けるとようやく見つけた。
裸眼でよくあそこまで見えるなと感心する距離だ。
どうやら彼女のほうが目がいいのは認めざるを得ないらしい。
少し面白くなかったが、いちおうこれもカメラに収めておく。
「撮れた? なんて鳥?」
答えづらい。つばさは最近、この鳥を見ると彼女のことを思い出してしまうようになっていた。
「む、教えてくれないの?」
「……イソシギ」
横から「ふうん」と含み笑いの納得が聞こえる。
鴫野磯子の意味ありげな視線がつばさの頬に刺さった。
「ね、お願い。少しだけ戻って、あっちから撮って欲しいな。つばさくんのカメラなら、おっきく撮れるよね」
時間も押し始めている。道を戻るのはゲーム的にはルール違反じゃないかな。とも言いたかったが、これを断ったことが白山に告げ口されると何を言われるか分からない。
スマホで時計を確認してから、しぶしぶ承諾する。
イソシギのベストショットを選んでもらい、スマホに転送していたらやはり時間を食ってしまった。
ニ十種類撮ったか撮らないかだが、まだいけるだろう。
白山と落ち合うポイントまでにジョウビタキのソングポストがあるはずだ。
これだけは撮影しておきたいと、木の枝や杭の上、休憩所の屋根などを調べる。
ところが、今日はなんらかの理由で留守なのか、なかなか見つけられない。
ここにいるのは特に可愛いメスだから、鴫野にもぜひ見てほしかったのだが。
と、ふいに腕をつかまれた。
ふわっとシャンプーのにおいが漂う。
「見て見て見て見て!」
鴫野にカメラのスクリーンを見せられる。
そこには、小さいながらも画面のまんなかに映ったエナガの姿があった。
枝の股にとまって、こちらを振り向いているシーンだ。
「え、すごっ。どうやって撮ったの?」
「いたから撮っただけだけど。何かしてたみたい。ぱたぱたしてるところはブレちゃったなー」
別の画像を見せてもらう。なんぞ暴れてる様子と、くちばしの先に何かの白い綿毛のようなものを咥えている写真だ。
エナガは糸や羽毛、苔を集めて壺のような巣を作る。営巣にはまだまだ早いが、虫の繭を見つけて本能的についつい、というやつだろうか。
確認のために鴫野が撮影したと思われる木の股にレンズを向ける。
――……。
木の股には白い羽毛と「趾」が残されていた。
どうやら、隙間に挟んでしまって動けなくなっていたらしい。
外敵に襲われたり、糸などに絡んだりしなくても、こういった事故は起こる。
つばさも趾の数の足りないハクセキレイを撮ったことがあったのを思い出す。
ガードレールにとまっていたが、風にあおられて必死につかまっていた。
最初は鳥の癖にどんくさいなと笑ったのだが、あとで写真を見て指の不足に気づいたのだった。
あのエナガも、これから先は苦労するだろう。
そもそも、上手く血が止まらなければ今日までのいのちかもしれない。
自分たちは遊びで撮影しているが、彼らは「生きて」いるのだ。
「ふふん、羨ましい? エナガちゃんもういないよ。シマエナガも可愛いけど、エナガちゃんのほうが好きかも。眉毛みたいな模様がいいね」
鴫野の接近に気づいて慌てたのが事故原因というのも否定できない。
つばさは「そうだね。こっちのカメラならもっとよく撮れたのになー」とわざと悔しそうに返すと、天然の罠を一瞥して、その場をあとにした。
集合ポイントに行くと、白山はすでに到着して待っていた。
時間が五分程度過ぎていたが、そこまで厳密にはやらないようだ。
集計をすると、つばさ・鴫野チームはニ〇種類、白山は一七種類で中学生ペアに軍配が上がった。
勝てたのは嬉しいが、単独の探鳥だったら負けてそうなのが引っかかる。
それに、白山がこの公園に慣れているというのは本当らしく、西回りは水鳥のスポットが弱いだけで、こちらでは見つけられなかったヤマガラ、アオジ、ウグイスなどの写真も撮っていた。
この辺りはつばさが単独でじっくりとやっても、撮れないことのほうが多い。
「む、わたしたちって、基本をおろそかにしてない?」
キジバトは撮ったが、スズメ、ドバト、ハシブトガラスにハシボソガラスが撮れていない。カラスはなんども遠方に姿を見たが、「種類の数」という勝負の都合上、どちらのカラスか区別がつかないためにレンズを向けなかった。
「カラスにも種類があるんですね。わたし、知らなかった」
「ハシブトは身体が少し大きくて、おでこがふわふわだ。ハシボソはおでこは平らで、くちばしも鋭い感じで、よく地上でモデル歩きをしてるぞ」
「へえー。今度、観察してみようっと」
「カラスも身近だけど、面白いよ。あっ、そういえばぼくたち、どっちもヒヨドリを撮ってませんね」
「確かにな。声はあれだけ聞いてたのにな」
ぴーぴーひよひよとずっとうるさかった。
つばさは白山の頭を、ちらと見る。相変わらず髪がはねていて、ヒヨドリっぽい。
「ん? おれの頭に何かついてるか?」
「あ、いえ。ヒヨドリっぽいなって」
白山は「そうかあ?」と、ところどころに白髪の混じった髪を撫でる。
「ま、ふさふさなのはいいことだ。おれを撮ってワンカウントしてもいいぞ」
つばさが白山の冗談に愛想笑いをすると、鴫野が「いいですね!」と言った。
「記念撮影しませんか。なんの記念か分かりませんけど」
「おれは構わないぞ。たましいが取られるなんて信じてないからな」
「たましい? なんですかそれ?」
「カメラが普及し始めた大昔に流行った迷信だよ。鏡でもないのに風景や自分の姿がはっきりと写ったから、不気味だったんだろうな」
鴫野はうんちくに相づちを打ちながらも、こちらをうかがうように見ている。
つばさはこれから起こるだろう流れにちょっと気が引けたが、しぶしぶ頷いた。
つばさと白山、白山と鴫野、つばさと鴫野。
それから、白山がタイマーを掛けて、三脚代わりにベンチにカメラを置き、画角に収まるように三人でしゃがんで撮影をした。
最近話すようになったクラスメイトと、公園で会った他人。よく分からない取り合わせに思えたが、鴫野はスマホに写真を送信して貰って、満足げだった。
「じゃ、おれはそろそろ帰るかな。スーパーに寄って食材を買わなきゃいけない。独り暮らしは意外とやることが多いんだ」
そう言って白山は公園の出入り口のほうへと向かおうとする。
それを「あの!」と鴫野が引き止めた。
「今日はありがとうございました。それと、ちゃんと自己紹介をしてなかったので……」
鴫野は「鴫野磯子です。磯子って、お母さんがつけたんです。古臭い名前ですよね」と、急くように続けた。
確かに今風の名前ではない。彼女はこの名前や苗字のせいで何度も嫌な思いをしたのだろう。
「なあに、おれの名前よりはマシだよ」
白山は財布を取り出すと、身分証を見せてきた。
白山 かえる
つばさと鴫野は「えっ、かえる?」と声をそろえ、顔を見合わせた。
「ガキの頃のあだ名はゲロだったよ」
白山はおどけてカエルの声まねをする。上手だ。笑ってはいけないのだと分かってはいたが、つばさは吹き出し、鴫野は口元に手をやった。
「まあ、名前ってのは確かに大切だけど、じっさいに使うのは集団生活のときくらいのもんじゃないかな。自分一人のときは誰も呼ばないし、ふたりきりのときは、きみとぼく、あなたとわたし、で充分だからな」
そう言うと白山かえるは「んじゃ、今度こそ帰る! かえるだけに!」と背を向け、手を振りながら去ってゆく。
少年は彼の背中を見ながら、彼の変わった名前と独り暮らしをしているということに寂しさを覚えた。
「ね、つばさくん。今日は写真、ありがとうね」
鴫野は笑っていなかった。
「わたしがいつもスマホで見てたのはね、前の学校の友達とか、前の家の近所の写真。海が近くてね、綺麗だったんだよ」
「家族の写真とかも、あったの?」
「ううん。あの人は……お母さんは、そういうの嫌いだったから。でも、やっぱり撮っておけばよかったって、最近思うよ。つばさくんも家族写真、撮っときなよ」
家族写真。
――おじいちゃんの病気のこと、ちゃんと話し合わないと。
「じゃ、わたしも帰るね。また学校で」
長い髪をひるがえしたクラスメイトの目尻が光ったのが見えた。
少年の口からは「また、一緒に写真撮りに行こう」と、無意識にこぼれる。
少女はうしろを向いたまま黙ってうなずき、顔に手をやった。
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