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第六十九話:ありがとう

「よし、行くよ。捕まってて」


 言うなり馬が急発進した。ぐんぐんと加速していき、無人の神保町の、静まり返った大通りを一頭の馬が走っていく。


「どこへ行こうか!」

「どこ行く!?」


 顔をなでる風を感じながら、二人は意味も無く大声で言葉を交わした。それが何故かひどく愉快で、笑いがこみあげてくるようだった。


「ん、ここは……」


 ふと、馬がスピードを落とした。無人で、かつ半壊していたのでわかりにくかったが、結季奈行きつけの古書店の前に来ていた。


「そういえば、このあたりだったね」

「……そうだね、私たちが出会ったのって」


 ──乗って!

 ──トーマ・ザ・キッド……?

 そうだ、ここから始まったのだ──いつもの見慣れた景色、見慣れた通り。それが一変した、この異常な日常は。


「あの時は何がなんだかわからなかったなぁ」

「はは。僕ももうちょっと上手く接してあげられれば良かったなって思うよ」


 少し馬が速度を上げる。出会った当時の話をしながら、あてもなく走っていると、今度は俎橋にたどり着いていた。


「ここも」

「ああ……色んなことあったなぁ」


 ──伏せて! 結季奈!

 ──なんで私なの!? 私何か悪いことした!? ねぇ何で!?


「学校でも、ね……」


 ──もういいんだよ……もう、私のことはいいから……

 ──ふざけるなああああぁぁぁぁぁああぁあぁあぁぁあぁぁああぁあぁぁあッ!

 はは、と小さな笑いが漏れる。そこからまた少し走ると、がれきに埋まった地下鉄への入り口が視界に映り込む。


「ここも……」


 ──今の言葉を聞いても彼女がいつも通りだって言えるのか!?

 ──どうなってようがあいつはあいつだ! 


「……そうだね」


 ──創作物の中の……まさか、あんたって……

 ──マイ、ネーム、イズ……メアリー・スー。


「ねぇ、トーマ」

「ん?」

「何か、言いたいことあるでしょ」

「いや、そういうわけじゃないよ」


 数多の思い出が、結季奈の頭の中で蘇り、弾けていく。数えてみれば半年程度の出来事だったが、その中であまりにも濃い思い出が形作られていた。


「嘘だね。なんか変だし」

「そうかな?」


 二人を乗せた馬がゆっくりと道を引き返す。すると、二人の視界に神保町が映り込む。

 全てが始まり、全てを終わらせた町。イコンと結季奈らの、奇妙で、ひどく愛おしい戦いの舞台となった場所。


「ねぇ」

「なんだい」


 でも、全て終わったのだ。結季奈はこの町を、世界を護ったが、彼らは元の世界へ帰らなければならない。

 ──だから。もう、言わないと。今言わないと多分、もう言えない。


「ありがとう。私のところに来てくれて」

「!」


 馬が止まる。


「トーマ?」

「……うん。どう……いたしまして」


 突然、トーマが黙って馬から降りた。


「どうしたの?」


 結季奈もそれに続き、馬から降りた。乗せる相手を失った馬は一声嘶くと、またどこかへ走り去っていってしまう。しかしそれでも、トーマは黙ったままだ。


「ねぇ、トーマ……」


 突然トーマが振り返る。


「ありがとう、結季奈」


 そして、そう言った。

 沈黙。急に二人の会話がかみ合わなくなってきた。


「……あぁ……やっと言えた!」


 トーマが沈黙を破る。


「え?」

「本当は、出会ってすぐ言うべきだったんだよね」


 トーマが結季奈に歩み寄る。そして、優しく微笑んだ。


「僕は君に救われた。本当に、助けられたんだよ。だから君と初めて会った時、絶対助けなきゃって思ったし、何が何でも護ってみせるって思った」

「……」

「でも、これだけ言えなかったんだよね……その……照れくさくてさ。駄目だよね。結局今になっちゃった」

「うん……いいよ」


 ──そうか。だからこいつは、ずっとこんな調子だったんだ。

 初めて会った時からずっと疑問だった。何故トーマは自分にここまでしてくれるのか。〝自分にとって大切な人だから〟というのは何故だったのか。Eggの中でその理由を知ったが、今のトーマの言葉を聞いて、初めて、〝実感〟として理解できた。

 ふと、目頭に感覚がある。


「あれ……」


 涙が頬を伝った。トーマがそれに気づき、拭おうと手を頬へ伸ばす。

 その指先は、消えかかっていた。


「……! そっか。もう……時間みたいだ」


 突然、結季奈がトーマに抱きついた。


「っ!? 結季奈!?」


 何か、言わねば。そう思うが、言葉が出てこない。何を言おうか。言葉の用意などしていない。いや、していても果たして言えただろうか。


「……!」


 言葉が出ない様子の結季奈を見ると、小さくトーマが息をついた。そしてそのまま、結季奈の背へ腕をまわした。


「結季奈。笑って欲しいな。別れるなら、笑顔がいい」

「うん……!」


 言うなり結季奈が顔を上げる。その表情に、笑みを浮かべながら。


「うん、やっぱり。君は笑顔の方が素敵だ」


 結季奈の腕がトーマの肩にまわる。トーマを抱き寄せるように、一層強く抱きしめた。


「トーマ」

「なんだい、結季奈」

「トーマ……!」

「なぁに」

「あり、がと……」

「……」

「ありがとう……ありがとう! 私、あんたのこと絶対忘れない! 時間が経って、おばあちゃんになって……! お墓に入ったって絶対あんたのこと忘れないから! 絶対に、絶っ対、に……! 生まれ変わったって、その度に思い出すから……!」


 顔を上げ、吐き出すように言葉を紡ぐ。目に涙をいっぱいに浮かべ、それを拭うこ

ともせず、代わりに精一杯の笑顔を浮かべながら、結季奈は言葉を紡ぎ続ける。

 忘れるものか。紡がれた言葉が決して空へ消えていかないように、この記憶は私という存在が消えるまで、永遠に残り続けるのだ。


「うん……!」


 言葉を返すトーマの体が少しずつ消えていく。いじらしく、ひどくゆっくりと。

 結季奈の腕に力がこもる。まるで、誰かにトーマが連れて行かれるのを防ぐように、ぐっと、力いっぱい抱きしめた。


「結季奈」

「!」

「元気でね」


 そう、聞こえた気がした。次の瞬間、トーマの姿は消えてなくなり、結季奈の腕は空を切った。


「……トーマ」


 手を見る。そこにはトーマの残光が残っている気がしたが、何もなかった。


「……」


 突然その手がぼやける。そう思った途端、目から涙が零れた。


「──!」


 泣いた。大声を上げて、泣いている。突然結季奈はそう理解した。アスファルトに膝をつき、天を仰ぎ、大声で、泣いていた。

 何を叫び、何を喚いているのかなんてわからない。ただ自分の中から湧き上がる何かを吐き出していた。それが結季奈の慟哭だった。

 ありがとう。強いて言えるとすれば、この言葉だけだった。

 ありがとう。ありがとうトーマ。本当に──、


「行っちゃやだああああああああああああああああああああああああああ!」


 私は、あなたと出会えて本当によかった。






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