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第六十八話:……好きです

「おい」


 その頃、結季奈らから少し離れた場所でシグが口を開いた。その視界の先には、黙って自らの袖を引き、やや早足で歩く相澤の姿があった。


「何か言えよ」


 うんざりしたように言うが、相澤は答えない。角を曲がり、結季奈らから視認されない場所に来ると、そこで初めて足を止めた。


「おい……」

「先輩」


 相澤がゆっくりと振り返る。


「どこか、行っちゃうんですか」

「……」


 相澤は視線を落とし、目を合わせずにそう言った。

 違う、という答えを二人は求めている。それはわかったが、あいにくその答えを決められるのはシグではない。


「……ああ。そうだ。黙ってて悪かったな」

「それは、いいです……知ってましたから」

「多摩川から聞いてたか」


 黙って相澤が頷く。


「……一つだけ、心残りがあるんです」

「なんだ」


 ゆっくりと、非常にゆっくりと相澤が顔を上げる。が、上がりきらないまますぐにまた視線を落としてしまう。まるで、目を合わせるのを怖がっているようだった。


「自分の、口で……その、えっと……」

「?」

「やり、なおし……やりっ、直したいんです、こっ……こ、こく、はくっ!」

「!」


 思い切ったように顔を上げる。その表情は真っ赤だったが、それでも何か決意に近いものに満たされていた。


「……そうか」


 小さく、無感情に言葉が飛ぶ。シグと相澤の視線がぶつかり、あまりに多くの意味と時間を含有した沈黙が場を満たした。


「わかった」


 ややあってシグはそう言うと小さく息をつき、黙って相澤の次の言葉を待った。


「あ、えっと……うう……」


 そんなシグを見て、相澤が言葉を続けようとするが、意思に反して言葉は引っ込み、口もかたくなに開こうとしなくなった。


「……」

「せ、せんぱい……えと……その」

「……」

「うんと……えっと」

「……」

「〝シグさん〟っ!」


 急に相澤が声を張り上げ、シグの手を掴んだ。一方のシグは少し強めに握られたその手にちらと視線を落とし、黙って次を待ち続ける。


「わ、私と! 私とお付き合いしてください! こんな私と一緒にいてくれて! 私の先輩になってくれて……! 感謝してます! ずっと、ずっと一緒にいたいです! え、ええと……それから……! 私は!」

「菜緒」


 名が呼ばれる。はっとした拍子に顔を上げた相澤と、シグの視線が再びぶつかった。


「……好きです」


 最後の言葉は漏れ出るように、ぼんやりと、ほぼ無意識に出た言葉だった。そうして相澤にとって、恐らく人生で最も言うことに苦労した言葉が紡がれ、静寂が訪れる。

 ふと、相澤の手に手が置かれる。握ってない方のシグの手だ。


「そうか」

「……」

「……悪いな」


 優しく、シグがそう言った。


「その告白は受けられない。諦めてくれ」


 優しく、しかし簡潔な言葉の壁。相澤の口がきゅっと結ばれる。こみ上げてくる言葉を無理矢理噛み潰し、


「はいっ……!」


 一言、返事を返した。その言葉は震え、目には大粒の涙が浮かんでいたが、それでも彼女が涙をこぼすことは無かった。


「ん」


 少しして、結季奈の元へシグがのそのそと歩いて戻ってきた。かなり近くまで歩み寄ったところで結季奈がやっと気づき、声をかける。


「シグ」

「あいつを」


 結季奈に被せるように、シグが言った。


「菜緒を、頼んだぞ」

「!」


 シグの言葉に全てを感じ取った結季奈が口をつぐむ。いつかのように視線だけが黙ってぶつかった。


「うん、わかった」


 やがて、はっきりと言葉が紡がれる。結季奈の言葉にシグは満足だと言わんばかりに笑った。初めてあった時に見せた難解な笑みではなく、一人の人間としての笑みだった。


「さて、いよいよだ」


 不意に月姫が声を発する。結季奈が振り返ると、いつの間にか月姫らは一列に並び、こちらを見て笑っている。既に体はだいぶ半透明化し、光に包まれ今にも消えそうだった。その中にシグが結季奈の横を通り、加わった。


「皆……!」

「結季奈! この世界は、他でもない〝お前の世界〟だ」


 月姫が口を開く。


「お前が愛し、お前が護って、お前が生きていく世界だ。せいぜい楽しめ。この世界であったことを忘れずに、全力で! ……生きてくれ」


 そう言って手を伸ばす。結季奈はそれを反射的につかみ、もうほとんど実体が無くなってきている月姫と再び握手を交わした。


「……さよなら」

「ああ。それじゃあな」


 笑顔で月姫の姿が光に溶けていく。


「それでは結季奈殿。お元気で」


 今度は忠雪が。


「ばいばーい!」


 声を張り上げ宇琳が。


「グッバイ。素敵な時間だったわ」


 センチュリオン。


「じゃあな」


 シグ。


「皆……!」


 光が強くなっていく。イコンたちから発される光はまばゆいばかりになり、彼らはその中へと消えていく。


「忘れない、忘れないよ! 皆がいたこと、私絶対忘れないから!」


 もはや一つの光の塊になったイコン達が笑った。表情など見えないが、確かに笑っていた。

 次の瞬間、光が一層眩く輝いた。今度こそ本当に、別れが訪れた。


「……」


 ──。


「……」


 ──。

 光が消えていく。先程までそこにいた人影は完全に消え、残光だけがぼんやりと残った。


「……?」


 その残光も消える。結季奈が再び顔を上げると、誰も居ないはずのそこに、誰かが立っていた。


「トーマ」

「あ、はは……置いてかれちゃったや」


 トーマだ。まだトーマは消えていなかった。困惑する結季奈を前に、トーマはいつもの笑顔を浮かべると、バツが悪そうに頭を掻いた。


「なんで」

「わかんない。神様が時間をくれたのかな?」


 そう言うと、トーマは結季奈の手を取った。あまりに自然な動作だったせいで、目の前のことなのに不意をつかれたように感じた。


「ね、結季奈。ちょっとデートしようよ」

「え?」


 トーマが指笛を鳴らす。すると例によって、どこからともなく一頭の馬が現れた。


「よーしよし、今度は危ないことしないからなー、逃げるんじゃないぞ?」


 なだめるように馬をなでると、慣れた動作で馬に飛び乗る。そして手綱を握ると、結季奈に手を伸ばした。


「ほら、乗って」

「……うん!」


 しっかりと手をつかむ。ひらりと結季奈の体は浮き、馬の背へと降りた。先程同じ行動を取ったのに、まったく違う感覚を覚えた。





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