第六十七話:意外と私馬鹿だったんだなぁ
──カチリ。
乾いた音が響いた。
「……弾切れ、だったか……」
「……」
トーマが小さく呟く。目の前には、メアリーが座りこんでいた。
「……ちっ」
メアリーが小さく舌打ちする。
「メアリ!」
結季奈が叫び、メアリーへと走り寄る。
「あーあ、負けたよ。せっかくあと一歩まで行ったのに」
そう言って振り返る。核があった場所には、なんでも無いかのように半壊した三省堂書店が建っていた。
辺りを見渡してみると、建物は皆規則正しく立ち並び、空もまた明け方の白さを取り戻している。イコンのなりそこないの影達は消え去り、半壊した神保町は静まりかえっていた。
「ねぇ」
「言うなよ、何も」
口を開いた結季奈の言葉をメアリーが遮る。そしてそのまま、地面に大の字に寝そべった。
「さ、殺れば? もう私抵抗しねーし、それ使えば全部終わるよ?」
そう言われて、結季奈は手元のペンを見やった。
メアリーの代わりに、主人公に選ばれた結季奈が手に入れたペン。それを使えば、全部、終わる。メアリーが作った幻想を、終わらせられる。
「……」
結季奈が小さく頷いた。
そしてそのまま、ペンをへし折った。
「は?」
「やんねーよ」
そう言って結季奈がしゃがむ。そしてメアリーにデコピンを喰らわした。
「言ったでしょ? 私はこの世界であったことを無かったことにしたくないって。あんたと一緒にいたことだって、私にとっては大事な思い出。消すわけないじゃん」
結季奈の行動にメアリーはぽかんと口を開いている。
「あんた……どこまで私を……」
メアリーが悔しそうに口を開く。が、言葉を途中まで紡いだあたりで突然表情を変えた。
「あ、そっか」
「?」
「私は理不尽を求めたんだった。私の力が通用しない、絶対的な理不尽」
呟くように言うと、起き上がり、結季奈を視線を合わせた。
「とっくに叶ってたわ」
「え?」
「あんたは何度も私の邪魔をして、何度も私の計画を阻んだ。なーんだ。私にとっての理不尽はアンタだったんだ。あーあ! もっと早く気づいて楽しんどけばよかった!」
メアリーはそう言うと、再び大の字に寝そべった。
「……意外と私馬鹿だったんだなぁ」
今度は結季奈がぽかんとする番だった。しかしすぐに噴き出し、
「知ってた」
楽しそうに、笑った。
「はは、そっか……ん?」
ふと、メアリーが自分の指先に目をやる。見ると、指先が光を発し半透明になっていた。
「あー、そっか。負けたから還るのかぁ」
「!」
その言葉を聞き、結季奈が身を乗り出す。
「……行っちゃうの」
「ま、そういうルールだし」
メアリが寝そべったまま肩をすくめてみせる。
「……ねぇ、メアリ」
少しの沈黙の後、メアリーに対して結季奈が口を開く。
「もし……また会えたら」
「ストップ」
が、すかさずメアリーが遮る。
「言わないで。こんだけ好き勝手やって、そんな救われた最期は許されねーよ。これはケジメ。最後まで悪役でいさせてよ」
「……そっか。わかった」
結季奈がそう言うと、メアリーも笑った。いつものように、二人の高校生の笑顔がそこに現れる。そしてそのまま、メアリーは音も無く、消えていった。
「……バイバイ。メアリ」
バイバイ。そう返された気がした。メアリーが消えた後に残った残光を掬い取るように手を伸ばしたが、そこには何もなかった。
「終わった、ね」
「……うん」
結季奈が振り返り、トーマと目が合う。安堵か達成感か、二人は遠慮がちに笑った。
「結季奈!」
背後から声がする。トーマの肩越しに結季奈が目をやると、月姫らイコン達が息を切らしながら走ってきていた。
「皆……! おーい!」
そんな彼らを、立ち上がり手を振って迎える。結季奈の元気そうな姿に一同は安心したような顔をし、少し速度を落とした。
「無事だったか!」
開口一番、月姫は結季奈の身を案じた。問題ないよと結季奈がいたずらっぽく返すと、今度ははっきりと安堵のため息をついた。
「あいつは」
「……帰っていきました。あいつの居場所に」
「そう、か」
「先生。メアリは、幸せだったと思いますか」
結季奈がぽつりと言う。質問というよりは、独り言に近かった。
「……さぁな」
しかし律儀にも、月姫は返事を寄越した。
「〝メアリー・スーの考えていること〟など、理解できん」
「……そうですね」
結季奈も答える。しかし実の所、心配はしていない。
だって、メアリだもの。
「ん」
ふと、月姫が声を発した。なんとなく結季奈が振り返ると、月姫が自分の指先を見つめている。そこからは、先程メアリーが発していた光が漏れ出ていた。
「え」
「そうか。まぁ、そうだな」
月姫が納得したように息をつき、顔を上げる。見ると、他のイコン達も同じだった。
「待って……皆も消えちゃうの?」
初めて結季奈の声が震える。その声を聞いて、イコン達は申し訳無さそうに笑うだけだった。
「待って……待ってよ! この世界は無くならないんでしょ……? ずっと、これからも今まで通りなんでしょ……!?」
「今まで通り、だからこそよ」
センチュリオンが口を開いた。
「結季奈殿は、この世界を護ったんです。護ったどころか、この物語の外、つまり……過去と、この先の未来も、取り戻したんです」
今度は忠雪が。
「宇琳達はホントはそこにいちゃいけないんだもん。帰らなきゃ」
宇琳。
「そんな……」
「そんな顔すんじゃねえよ。始めからわかってたことだろが」
今度はシグが面倒臭そうに言う。背後の気配を不自然な程無視しながら。
「……結季奈」
「嫌だよ」
トーマが口を開いた。しかし結季奈がそれを遮る。
「メアリの夢は終わったんだ。夢からは醒めなきゃ」
「夢じゃないって最初に言ったのはトーマじゃん!」
声を荒げてしまう。目頭が熱くなっているのを感じた。
「やだよ……メアリもいなくなっちゃったのに、皆もいなくなっちゃうの……? そんなの……あんまりだよ……嫌だよ……」
「……」
結季奈はその場に座り込み、両手に顔を埋めて泣き出してしまった。
「結季奈」
ふと、声がする。ゆっくりと結季奈が顔を上げると、月姫が視界に入った。その場にしゃがみ、結季奈と視線を合わせている。
「泣かないでくれ」
「……」
「皆、お前のことが大好きだ。大好きなんだ。だから……最後くらい、笑って見送ってくれ。お願いだ」
「……」
結季奈は答えない。
「結季奈」
もう一度、月姫が優しく結季奈の名を呼ぶ。
「……うん」
少しの間の後、小さく結季奈が言葉を発した。そうして鼻を鳴らし目を拭うと、立ち上がり、無理矢理微笑んでみせた。
「そうだ。やっぱりお前はそれがいい」
月姫がそう言い、手を伸ばす。握手を求めているのだ。
恐る恐る結季奈がその手を取ると、その上に月姫のもう片方の手が優しく置かれた。
「……よく、頑張ってくれた。私にはきっとここまではできなかっただろうな」
「……ううん。先生がいたから、私もここまでやれたんですよ」
「そうか。嬉しいことを言ってくれるな。なぁ……結季奈」
「?」
「私は、〝かつてお前であったこと〟を誇りに思うよ」
そう言って、月姫は優しく微笑んだ。そこには、確かに〝多摩川結季奈〟の笑顔があった。
「!」
「結季奈」
月姫が手を放すと、今度は背後から声がした。振り返ると、宇琳が結季奈を見上げながらぴょんぴょんと跳ねている。
「宇琳……あんたもありがとね」
「宇琳帰りたくないよー……もっと結季奈と一緒にいたいよ!」
「うん……私も」
宇琳もまた、今にも泣きそうな顔をしていた。しかし大きく鼻をすすり、なんとか表情を取り繕うと、結季奈同様に無理矢理笑って見せた。
「でも……しょうがないんだよね、そういうものだから……だから、結季奈……また会おうねー!」
「……うん。またね!」
そう言って結季奈と宇琳が抱擁を交わす。初めて会った時に感じたなんとなく大人な香りは、相変わらずほんのりと漂っていた。
「結季奈殿」
宇琳から手を放すと、代わって今度は忠雪が現れた。
「初めて会った時、ほんと驚いたよ」
結季奈がいたずらっぽく言う。その言葉に忠雪は萎縮し、少し小さくなった。
「でもさ」
そんな忠雪の腕を結季奈の両手が掴む。片腕には、古い傷跡が刻まれていた。
「何度も助けてくれたよね。ありがとう」
「……! いえ、当然のことです……!」
そう言って謙遜する忠雪の表情は明るくなっていた。ちらと傷跡に目をやったが、もう申し訳なさそうな顔はしなかった。
「結季奈ちゃん」
横から声。結季奈がそちらに笑顔を向けると、やはりセンチュリオンが立っていた。
「センチュリオン……あなたも、本当にありがとう」
「いいのよ。それがワタシの使命だから」
そっと、優しく抱きしめられた。
「立派な人におなりなさい。大丈夫。結季奈ちゃんならなれるわ」
「……うん。頑張るよ。応援してて」
にぱっ、とセンチュリオンが笑う。結季奈もまた、笑顔で返した。
「シグ!」
センチュリオンが手を放し、次に結季奈はシグの名前を呼んだ。
しかし返事が無い。不審に思ってあたりを見渡しても、あの仏頂面は視界に入って来なかった。
「……シグ?」




