第六十四話:行こう!
古書店を出た。もはや見慣れてしまった、正気を失った神保町が目の前に広がる。気色の悪い色の空、踊り狂うビル、そして道を埋め尽くす影、影、影──これが地獄か。そう思っても仕方の無い地獄絵図。
しかし結季奈にそれを恐れる心はもう無い。傍に立つ仲間達。共にここまでやってきたイコン達の存在が、何よりも頼もしい。
「メアリーは恐らくEggの跡地から動いては居ない」
月姫が端末を手に報告する。その報告を受け目をやると、まるでそこへの道を塞ぐかのように影が道を埋め尽くしている。空を見れば、先ほどまで勝手気ままに狂っていた建物達がまるでこちらを睨み、監視するかのように統率の取れた狂気を発している。
「Eggが破裂したのにまだ改変は達成されていない。つまり、失敗したかまた中途半端に終わったと見ていい」
「……」
「となれば、実行にどこか無理があったということ。恐らくヤツが動かないのはそれが理由だ」
月姫の解析にイコン達は皆それぞれ無言の返事を返していく。やる気充分と言わんばかりに拳を合わせる者、得物を握る手に力をこめる者。士気はすこぶる高い。
「いいか、これが最後だ!」
そして月姫が振り返り、そんな仲間達に向け言い放つ。
結季奈はそんな仲間達と月姫の姿を交互に見ていた。まるで目に焼き付けるかのように。ここまで、ずっとやってきたことを永遠に記録するかのように。
反対に仲間達は結季奈を見やる。本当に、これが最後なのだ。
──月姫。
「終わらせよう。決着を……そして、この世界の答えを出すんだ!」
──忠雪。
「最後までお供いたします。行きましょう」
──宇琳。
「いよいよなんだね。任せて、宇琳頑張るよー!」
──センチュリオン。
「大丈夫よ結季奈ちゃん。皆がいるわ」
──シグ。
「これで最後だ。さっさと片をつけちまおう」
──そして──
「ねぇ、結季奈」
「ん?」
「これが、本当に最後なんだね」
「……うん」
「おい! 何か来るぞ!」
何か言葉を続けようとしたのか、トーマがあやふやに開いた口は誰かの叫びに閉ざされてしまう。反射的に顔を上げると、何か大きな物体がこちらに向けて〝落ちてきて〟いた。
「ッ!」
着弾。凄まじい風と衝撃が発生し、結季奈は体が宙に浮くのを感じた。
「うわあああああああああッ!」
目を開ける。相当高く打ち上げられたようで、建物の屋上が足元に見えた。周囲を見ると、皆散り散りに吹き飛ばされてしまったようで、視界に誰も映りこんでこない。
「う……うわっ、うわあああッ!」
「結季奈!」
頭上から声がする。それにつられて、顔を上げた。
「行こう!」
トーマだ。トーマが真っ直ぐにこちらを見ている。そして結季奈に向けて、何かを伸ばしている。これは──手だ。トーマが真っ直ぐに結季奈へ、手を伸ばしている。
何度も、何度も自分を助けてくれた手。
でも、自分からは一度も繋げなかった手。
──今度は。
「……うん! 行こう!」
瞬間、恐怖が消えた。そのまま結季奈は手を伸ばし、トーマの手をしっかりと掴む。
「よし!」
トーマが腕を引く。結季奈の体は重力に反して上昇し、トーマの腕の中に招かれた。
瞬間、二人の周囲にどっ、と影が殺到する。皆一様に醜悪な翼を生やし、視認できない目で二人の様子をうかがっている。
「邪魔するな!」
トーマが銃を抜く。そのまま影に銃を向け、何度も引き金を引く。宙に浮かび、真っ直ぐに落下しながら影にまとわりつかれた二人は、それでも敵を撃墜していく。拳銃の弾が尽きれば今度は散弾銃を抜き、それさえも尽きたら今度は鞭を振るう。
「着地するよ! 結季奈! 備えて──」
不意に叫んだトーマの声。それが言い終わらないうちに地面に到達する。相当な高さから落ちたのにも関わらずトーマはしっかりした足取りで着地し、結季奈は彼の腕の中でその衝撃を受け止めた。
「……くっ!」
しかし地上にはすでに影が大挙して待ち受けていた。結季奈を下ろし、両腕が使えるようになったトーマは鞭を威嚇するように振り回すが、それでも影の足はとまらない。
その内の一体がついに飛び上がった。真っ直ぐにトーマに狙いをつけ、降下し──
「邪魔だ!」
突然聞こえた声と共に空中で機銃に撃ち抜かれ、蜂の巣になり落下した。
「!」
激しいエンジン音がする。音がする方を見ると、その瞬間無数の影を撥ね飛ばしながら一台の車が乱入してきた。数ヶ月前この町で日向から逃げる為に用いた、近未来的なデザインのものだ。
「おい、こんなとこで雑魚相手にしてる場合か?」
止まった車の運転席が開く。中からニヒルに笑ったシグが現れた。
「多摩川先輩! 行ってください!」
その隣の助手席には相澤が座っている。
「シグ!」
「菜緒ちゃん!」
シグが指を鳴らす。するとどこからとも無く戦闘機が来襲し影の包囲網に機銃を喰らわすと、一箇所抜け道を作り上げた。
「行け」
「……ありがとう!」
今度はトーマが高らかに指笛を鳴らす。それを聞いてか、シグが乱入してきた場所から一頭の馬が現れる。
「多摩川先輩!」
トーマに手を引かれ結季奈が馬に乗ると、不意に背後から声をかけられた。振り返ると、車窓から顔を出した相澤がこっちを見ている。
「えと、その……頑張ってください!」
「……うん、任せなっ!」
親指を立て、笑ってみせる。それを見届けると、突然車がエンジンを吹かした。それを合図に馬が駆け出す。
「行くよ!」
塞がりつつある突破口を一気に抜け、走る。しかしそれでも神保町の大通りは影や変形した瓦礫で塞がれており、真っ直ぐには走り抜けられない。
不意に、大型の影が現れ、道を塞いだ。反射的にトーマは手綱を引き、進行方向を変える。
「頑張れぇっ……!」
右へ左へと走るが、影はそれについてくる。太い腕を振り下ろし、あわや潰されそうになる場面が何度もあった。
「くっ、そ……! どいてくれよ……!」
「トーマ!」
ふと、トーマの懐から月姫の声がする。突然聞こえた声に二人は驚いたような声を上げた。
「先生!?」
「よし、聞こえるな。よく聞け! 今からルートを指示する!」
どうやらトーマの懐にある通信機から声がしているようだった。それを理解した二人はすぐに返事を返す。
「そのまま右手に進め! そのデカブツは無視して構わん!」
言われた通りに手綱を引き、大通りから伸びる細い路地へ入り込む。
「そこを左だ!」
路地にも影は溢れており、油断できない。
「待て、真っ直ぐ進むな! さっきのデカブツがいるぞ、また左だ!」
まるで全て見えているかのように月姫の指示が飛ぶ。どこからどうやって見ているのか、月姫の指示通りに進めば敵の少ないルートで進むことが出来た。
「先生……いったいどこから……?」
「上だ」
ふと、声色が変わる。それにつられ顔を上げると、頭上のビルの屋上で双眼鏡を握っている月姫が目に入った。
「先生!」
二人が声を上げる。すると月姫はゆっくりと視線を落とし、二人に微笑みかけた。
「そのまま真っ直ぐだ。その先にもう雑魚はいない。進め!」
通信機越しではなく、肉声が飛ぶ。二人ももう通信機に返事は寄越さず、頭上へ返事を放るとそのまま振り返ることなく走り出した。




