第六十二話:もうこれ以上この人を傷つけないで
「先輩!」
その瞬間、目が覚めた。今の言葉は実際に自分の口をついて出た言葉だと理解し、その感覚で目が覚めたことを悟る。
見慣れない木の天井。ここは──どこだ。確か、自分は──
「!」
思い出した。自分が今まで、何をしていたか。そのまま体を起こすと、自分がベッドに寝かされていることに気づく。シーツから微かに漂ってくる匂いから察するに、誰か知り合いのベッドに寝かされているらしい。
服は制服のまま、しかもそれにじっとりと寝汗をかいており気持ち悪い。まだふわふわとしている頭を振り働かすと、同時に夢の内容を突然思い出した。
「……先輩」
無意識に言葉が出る。そのまま急に頭が焦り始め、ベッドから飛び起きるとそのままドアノブに手をかけ、乱暴に扉を開いた。
「!?」
そして目の前の光景に腰が抜けた。広い部屋は黒一色の人やら動物やらで溢れかえっており、異様な空気になっていた。
「あ、あぁ……っ」
恐ろしい。目の前の何かが一体何なのかわからないが、とにかく近くにいたくはない。気づかれないようにそっと距離を取ろうとしたが、ふと、大部屋の奥へ目が向く。そこにある扉は──シグが寝かされている部屋に続いている。
その部屋を、その部屋の扉に影が何人も取り付き、無理矢理開こうとしている。
「だ、駄目っ」
弱々しい声が出た。そのまま無意識に体が逆方向へふらふらと進み始める。
「や……やめて、お願い」
声を発するが、影は無視しているのか、それとも聞こえてないのか反応を返さない。ただ扉を開こうと乱暴に揺すっている。
「やめ……てっ!」
ついに相澤が影の一人の肩を掴み扉からはがそうとした。刹那、その影がいきなり振り返り、相澤の頬を強く張った。
「うっ! 痛っ、た……!」
同時に次の瞬間、大きな音を立てて扉が剥がれた。すると部屋に集まっていた影達は突然餌が投げ込まれた檻の動物のように、その先の部屋へと殺到し始めた。
頬をさすりながらその様子を見る相澤。その視線に、影の間からベッドに寝かされてるシグの姿が映った。
──!
「先輩っ!」
それが一気に相澤の意識を覚醒させる。影を押しのけ部屋に転がり込むと、シグに取り付こうとしていた影を横から突き飛ばした。
瞬時に別の影が迫る。それも突き飛ばし、無理矢理シグから引き剥がした。
「先輩……先輩ッ! 起きてください!」
ベッドに身を乗り出し、必死に叫ぶ。しかしシグは反応を返さない。すると突然、後ろから羽交い絞めにされた。
「離して!」
しかし激しく暴れ、その拘束からも逃れる。
「もう……これ以上……!」
ベッドの横から影が現れる。反射的に脚がそれを蹴飛ばした。影たちは床に転がる同胞の姿を見ると、一瞬ひるんだ。
相澤は肩で息をし、シグのベッドに縋りつくように後ろ手で体を支えながら、しかしそれでも影達と向き合う。
「もうこれ以上……この人を傷つけないで!」
すると、突然影の動きが止まった。
「え……?」
ゆっくりと、相澤の方を向く。それまでシグしか見ていなかった影まで、ぐるりと首を曲げ、相澤を視認した。
「!」
そしてそのまま標的をシグから相澤に変え、一気に殺到した。
「い、嫌っ!」
反射的に迫ってきた影を突き飛ばすが、もうそれでなんとかなる数ではない。あっという間にもみくちゃにされ、自分がどうなっているのかもわからなくなってしまう。
黒一色に染まっていく視界の中に、シグが映る。邪魔者がいなくなったベッドに、影が三人取り付き、シグへと手を伸ばしている。
「──! ──ッ!」
──先輩! 先輩ッ!
必死に暴れ、手を伸ばすが届かない。シグが見える隙間はどんどん狭くなっていき、ついに──塞がってしまう。
全身が殴打され、滅茶苦茶にされる。痛いのかそうでないのかわからない。
最後まで、自分はあの人を助けられなかった。もみくちゃにされながら、相澤が感じていたのは諦念と、己の無力感だった。
シグは自分をずっと守ってくれた。日向やハンター、自分が錯乱した時も、ずっと傍にいてくれた。そして、自分のせいで、傷ついた。
何か返してあげられたのか?自分はシグにそこまでしてもらうに値する人間だったのか?ただただ、申し訳なさだけが頭を支配する。
「ごめん……なさい……」
外へ呟くことすら許されない謝罪が口の中で弾ける。それを合図に、相澤の全身から力が抜けた。抵抗することをやめた。
ずるり。
「……?」
耳に音が響いた。湿った何かをはがす様な、水分の含んだ汚い音。そう理解した瞬間、体が楽になった。不思議に思い目を開けると、影の拘束から脱している。ぼんやりと、その場に座り込んでいた。
感覚が鋭くなり、ゆっくりと流れ始めた時の中で首を回すと、影を無理矢理引き剥がしている〝誰か〟が目に入る。
包帯の隙間から覗く黒いクセのない髪、やや小柄な部類ではあるが、それを感じさせないすらりとした体躯──
「お前ら」
低い、ぶっきらぼうな声。
「そいつが誰かわかってんだろうなああああぁぁぁぁああぁぁぁあああぁッ!」
シグだ。シグが──立っている。
「命の二つや三つぐらいじゃすまさねぇ! 爪の垢も残らねぇと思えええッ!」
「……先輩」
次々と影が宙を舞う。乱暴に蹴り飛ばされ、殴り伏せられ、壁に叩きつけられ動かなくなる。
横から飛びついてくるものは肘打ちで叩き付け、上から飛び掛ってくるものは拳を突き上げ弾き飛ばす。
ふと、相澤の背後に影が忍び寄ってきた。シグは目ざとくそれに気づくと近くの影の腕を掴み乱暴に宙に放る。それは真っ直ぐに飛んで行き、相澤に手を伸ばしていた影に激突した。
「菜緒!」
突然シグが相澤を抱き寄せた。
「タクティカルコードッ! 〝ビー・オー・ビー〟ッ!」
そのまま空いている方の片手を突き出し、叫ぶ。するとシグと相澤をを中心におびただしい数のミニチュアの戦闘機が現れ、二人を護るように周囲を旋回し始めた。
「やれッ!」
シグが叫ぶ。すると無人機達は一斉に飛び出し、近くにいた影に手当たり次第に銃弾を浴びせかけていく。
そのままみるみるうちに動ける影は減っていき、やがて部屋に残るのは相澤とシグだけになった。
「……」
「……」
そっ、とシグが手を放した。そうしてゆっくりと相澤の視線がシグの目を捉える。間違いない。鋭い、愛想の感じられない瞳。散々見た、シグの瞳だ。
「怪我はないか」
「先輩……うっ、う、う……」
そのまま、涙が一気に溢れた。
「せんぱああああああああああい! うわあああああああああああああああ!」
声を上げ、子どものように泣きじゃくる。そうしてその場にへたり込んだ相澤の前で、シグが静かに息を整える。そしてそのまましゃがみ、相澤と視線の高さを合わせた。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいいっ! 私、私っ!」
「菜緒」
ふと、相澤の頭に何かが乗った。頭をなんとか働かせて確認すると、手が置かれている。そっと顔を上げて見ると、シグと目が合った。
「謝んな」
ただ一言、そう言った。




