第六十一話:遅くなった
どこの誰がなんと言おうと。トーマが居て、メアリが居て。皆が居て──世界が間違ってたって、変えられた世界だったとしたって、それがどうした。そんなの、〝今〟を間違ってるだなんて言う理由になんかなるわけがない。
「ふざけんなあああああぁぁぁぁぁぁああああぁぁああぁああぁッ!」
メアリーが激昂する。そのまま飛び出し、結季奈に掴みかかる。
「何が私の世界だッ! 私に作られた存在のくせして、いっちょまえに世界を語るんじゃねえッ!」
しかしその刹那、横から伸びてきた手がメアリーの腕を掴み、結季奈から引き剥がす。
「……!」
「トーマ!」
「ごめんね結季奈。遅くなった」
優しく笑いかけるトーマ。帰ってきた。いつものトーマが、帰ってきた。
「お前……お前だよお前! なんだよ聞いてないぞ!」
メアリーが叫び、トーマを睨みつける。完全に想定外だったようだ。まさかトーマの絶望に続きがあったなんて。ましてやその先に、〝希望〟があったなんて。
「そんなの知るか」
一蹴し、散弾銃を抜く。
「結季奈は勇気を示した。彼女の世界を守ると言った」
そしてしっかりと、レバーを引く。
「なら僕もそれに報いるさ。ずっと救われなかった僕が、初めて救われた世界。僕を救ってくれた人がいる世界。無かったことになんかさせない!」
「……チッ!」
メアリーが大きな舌打ちをつく。それと同時に、彼女の隣に不気味な濃紺色の心臓のような肉塊が現れた。
「結季奈、下がって!」
「これなんだかわかる? 新しい世界の核。アンタらが何をどうしようと、もう私の世界は目前なの! 邪魔なんかさせるか、私だってもう待つのは飽きたんだよッ!」
「やめっ……!」
結季奈が手を伸ばすと同時にメアリーがそれに触れる。
その瞬間、心臓が爆発した。はっきりと、結季奈の目の前で音もなく爆発する。同時に、音と、感覚を吹き飛ばしたままEggが、空気が誘爆していく。その連鎖の中に放り込まれ、結季奈の意識は容赦なく揺さぶられる。やがて彼女がそれを手放し、さらに深い闇へと落ち込んでいくのは当然のことだった。
──。
────。
「……な」
「……季……奈!」
「結季奈!」
はっ、と目が覚める。目を開けると同時に、宇琳とセンチュリオンの心配そうな表情が目に入った。
「宇琳……センチュリオンも……ってわぶっ」
「よかった……よかった……!」
結季奈が目を覚ましたのを確認すると、いきなりセンチュリオンが結季奈を強く抱きしめた。その巨体と太い腕に、結季奈は息苦しさを感じてしまう。
「く、苦しいよ……!」
「本当に……本っ当によく頑張ったわね……! 立派よ、あなたは……!」
「結季奈、皆見てたよー、すっごいかっこよかった!」
「あ、はは……ありがと……かな?」
「結季奈!」
センチュリオンの抱擁から逃れると、入れ替わるようにトーマが現れる。
「あ、トーマ……待って、私どれくらい……!?」
「五分くらいだよ。今はEggの近くの建物の中」
「メアリは!?」
「わからない」
そのままトーマがカーテンを開く。五分ぶりに見る神保町の姿は更に悪化しており、結季奈はそれに目を見開いた。
「何……あれ」
無人だったはずの神保町には、Egg内の闇をそのまま人型に切り抜いたような何かが大量に闊歩しており一転、無数の気配が充満していた。
「イコンのなりそこない、だ」
「なりそこない?」
唐突に放られた解説に反射的に結季奈が振り返る。そこには、月姫が立っていた。
「あ、えっと……その」
「……」
目が合ってしまった。Eggへ突入する前にあれだけのことがあったのだ。気まずくならない方がおかしい。
ふと、月姫が何か言いたげに口を開いた。しかしすぐにその口はしぼんでいき、元の表情に戻ってしまう。
「……まずはあれをどうにかしないといかんな」
そうしてやっと搾り出した言葉はそれだった。
「そう……ですね」
結季奈がそれに応じる。突入前の話をすることを二人とも意図的に避けているように感じた。イコン達がはらはらと二人の様子を見ていたが、現状は特に問題はなさそうだ。
「あれは、今どれくらい?」
「神保町全域と見ていいだろう。Eggが破裂した時かなり広範囲に飛び散っていった」
「全域?」
ふと、その言葉を聞いて結季奈の顔色が変わる。
「……シグと菜緒ちゃんは」
瞬間、その場に居る者の表情が一斉に変わる。
「戻ろう! 二人が危ない!」
***
「……」
体が軽い。相澤は始め、そう感じた。
ふわり、と一歩踏み出す度にそう音がしているかのように体が浮く。
ああ、これは──夢だ。そう理解する。まるで風船になったかのように足が踏ん張れず、速く走れないこの感覚。間違いなく夢だ。
その感覚がどこか心地よく、しばらくは夢の中に身を置くことにする。何故だろうか、まるでしばらく寝ていなかったように体が覚めることを拒否する。
ふと、前方に誰かがいることに気づいた。
「あれ……」
黒いクセのない髪、やや小柄な部類ではあるが、それを感じさせないすらりとした体躯──
「せん、ぱい?」
無意識に足がそちらを向く。
「……先輩、先輩!」
名を呼びながら走る。速く走れない。じれったく感じながらも必死に走り続けた。少し先に立っているシグはその間、じっと彼女を待ち続けていた。
「先輩……! 私は!」
たどり着き、目の前のシグに向けて言葉を吐く。
相手が振り返った。顔がよく見えない。しかし間違いなくシグだ。自分にはわかる。
──が、言葉が続かない。何を言えばいい?自分は、何を伝えたかった?
「あ、えっ、と……」
ふと、頭に何かが乗った。顔を上げると、シグが自分の頭に手を置いている。
「……」
意思に反して口が閉じる。何も言えない。何か言わなければいけないことがあったはずだ。しかし──それは──
「!」
シグが動く。手を下ろし、また向こうを向くとそのまま歩いていってしまう。
「ま、待って! 待ってください!」
必死に後を追うが、やはり追いつけない。手を伸ばし、ますます叫ぶがシグが足を止めることはない。
「嫌、行かないで……!」
ついに、見えなくなってしまう。




