第六十話:だってそれが、私の世界なんだから
「ま、こんなもんかね」
そのまま大きな黒い塊と化した二人の前でメアリーは小さく息をつき、わざとらしく肩をすくめた。
勝った。もとより負ける気など毛頭無かったが、散々自分を邪魔してきた結季奈を始末したというのは、多少なりとも気分を高揚させる。
「……トーマ……」
泥の塊の中で、結季奈は体に妙な浮遊感を覚えながら小さく呟いた。
負けた。Eggに入る前は絶対にメアリーを止めると思っていたのに、蓋を開けてみればこのザマだ。力も、知恵も、何より、覚悟が足りなかった。
「ねぇ……トーマ、お願い、返事してよ……」
手を伸ばす。その先にはトーマが倒れている。今度は体に手を届かせることすらかなわない。
「嫌だよ……」
「……」
「怖いよ……」
「……」
「死にたく、ない、よ……」
「……」
「かっこいい!」
突然、ひどく場違いな声が響いた。幼い、無邪気な高い声。しかし、何故だろうか。結季奈はこの声を──知っている。
顔を上げる。すると、小さなテレビが出現していた。
「これ……私の家の……!」
同時に浮遊感が消滅し、しっかりと地に足をつけている感覚が戻ってきた。ゆっくりとテレビの前まで歩いていき、画面を覗き込む。そして息を呑んだ。何故ならそこには──在りし日の、幼い結季奈が映し出されていたから。
「わた、し……?」
「おとーさーん! 見て! かっこいい!」
テレビの中の幼い結季奈はテレビの向こうで父を呼び、目を輝かせながらスクリーンを見つめている。
「君、は……?」
背後で声がする。振り返るとトーマが半身を起こし、そのままテレビの前まで這ってきた。
「僕、を見て……くれる、の……?」
すると、画面の中の結季奈の背後にまだシワの目立たない父の姿が現れた。
「お、チルドレン・フロンティアじゃないか……結季奈、こういうのが好きなのか?」
「うん! すっごいかっこいい!」
「ゆき、な……君は……結季奈……」
テレビの前にたどり着き、バランスを崩したトーマはそのままテレビにすがりつくような姿勢になり、たった今聞こえた名前を反芻した。
「そうか……はは、結季奈、君は……僕を……見てくれるんだね……かっこいいなんて……言ってくれるんだね……!」
そうだ──思い出した──何故自分が、この作品を知っていたのか──
幼い頃、テレビを点けた時に目に入ったカウボーイハット。白黒の世界で繰り広げられる銃撃戦──脚本の良し悪しなどわからない幼い結季奈には、それがたまらなくかっこよく見えたのだ。まさかそれが──トーマを救っていたなんて。
「忘れて、た……」
そしてテレビが消えた。結季奈が驚くと、今度は代わりに月姫と、それと向き合うトーマが現れた。
「お前は」
「トーマ・ザ・キッド。知らないかな? チルドレン・フロンティアって映画の主人公なんだけど」
出現したトーマは結季奈の隣で震えているトーマとは打って変わって生き生きとしている。結季奈の知っている普段のトーマがそこにいた。
「あぁ、あの作品の、か」
月姫がそう呟く。すると同時に二人が消え、立ち位置を入れ替えて再出現した。
「トーマ、改変が起こった」
「見ればわかるよ。皆は」
「準備させている。それで、ここからが重要なんだが……」
月姫が指を鳴らすと、隣にモニターが現れた。目を凝らすと、荒い画像の中に結季奈が映りこんでいる。
「どういうわけかただの人間が改変に巻き込まれている。お前にはこいつの保護をしてもらいたい」
「……」
「どうした?」
「……結季奈」
「何?」
「どうして……君が」
モニターに映る結季奈の姿を捉えると、途端にトーマの表情が深刻になる。そして、食い入るようにモニターを凝視し始めた。月姫はそんなトーマの顔をむんずと掴むと、無理矢理自分と向き合わせて続ける。
「いいか、とにかくお前はこいつを保護しろ! そしてここまで連れて来い! いいな!」
「……!」
はっとしたトーマがやさしく月姫の手を振り払う。
「オーキードーキー! 任せてよ!」
「……そう、だったんだ」
そのまま消えた月姫とトーマが立っていた場所を見つめながら、小さく独り言のように呟く。
トーマは結季奈のことをずっと知っていたのだ。ずっと、ずっ──と。ただ、自分は、それを──忘れていた。結季奈の中で、それは無かったことになっていたのだ。
──そうか。私は──
瞬間、全てが弾ける。結季奈にまとわりついていた泥はまるで断末魔を上げるように弾け消え、頭を満たしていた気持ち悪さは何か別のものに追い出されるようにして収まっていく。
目を開ける。相変わらず辺りは闇に包まれたままだったが、もうそんなのはどうでもいい。ゆっくり振り返ると、今度は狼狽した表情のメアリーが目に入った。
「き……聞いてないんだけど! なんだよ! そんなのありかよ!」
「メアリ」
きっ、と結季奈がメアリーに向き合う。
「私、わかった」
一歩前へ出る。
「私が先生や、あんたを間違ってるっていうのは……無かったことにしたくなかったからなんだ」
ふつふつと勇気が湧き上がってくるのがわかる。まるで自分じゃないように感じる。
──いや違う。これは自分だ。自信を持て。
「トーマや、シグや、先生、忠雪、センチュリオン、宇琳、菜緒ちゃん……そしてあんた。皆と出会えたこと。皆と一緒にいれたこと」
「……」
「それを、無かったことになんかしたくなかったから。消したくなんかなかったからなんだ!」
──胸を張れ!
「誰にも好きになんかさせるもんか!」
──例え、正しい世界があるのだとしても!
「だって! それが!」
──例え、今が間違った世界なのだとしても!
「〝私の世界〟なんだからッ!」




