第六話:悪党は信じられないか?
「はぁ……はぁ……」
部屋を後にした結季奈は少し走り、見慣れた道を目指した。走っても走っても同じ場所を回る──ということはなく、思いのほかすぐ知っている場所へ出た。
「神保町交差点……」
肩で息をしながら見慣れた交差点についたことにほっと胸をなでおろす。先ほどまで自分がいた場所はちゃんと神保町だったのだ。そういえば最近新しく書店ができたと聞いていた。まさかイコン達の拠点だったなんて知らなかったが。
結季奈は呼吸を整え、周囲を見渡す。ここは確か近くにあの店があったはずだ。
「おばあちゃん!」
交差点を曲がり、十数分程歩くといつもの行きつけの店に着く。覚えている限り一番最後に日常を感じていた場所。思った通り、店の中にはいつもの老主人がきょとんとした顔でカウンターの向こうに座っていた。
「あらあらどうしたの、そんなに息切らして」
「え? あぁ……なんでもない」
なんとなく訪れたはいいが今は特にここへ来る理由がなかったことを思い出し、歯切れの悪い返事をすると、そのまま退店するのももったいない気がしたので少し古書を眺めていくことにした。
いくつもの見慣れた表紙が次々と目に入ってくる。大分前から目をつけてはいるが、いつも何かしらの理由で買えていない小説や、申し訳ないと思いつつも立ち読みで読みきってしまった漫画──結季奈の心は少しづつだが落ち着きを取り戻してきていた。
「……イコン、か」
「あまりその単語を呟かない方がいいぞ」
「ひっ!? 」
背後から突然声をかけられ、小さく悲鳴をあげる。恐る恐る振り返るとそこにはまた見知らぬ男が立っていた。
そのまま黙って二人の視線がぶつかる。相手を観察してみると、身長は結季奈とほぼ変わらなく、表情はとにかく無愛想。それなりに美形ではあるようだがとにかく愛想というものを感じられなかった。
「え、えと……」
「忘れもんだ」
男はそういうと結季奈に何かを放ってよこした。反射的に受け取ってみると結季奈の鞄についていたはずのキーホルダーだった。
「センチュリオンがもう落とすな、だとよ」
困惑する結季奈などおかまいなしに男は言いたいことだけを一方的に言うと、頭につけたグレーのヘッドホンの位置を直しながらそのまま店を出て行こうとする。
「あ、あぁ待って!」
「なんだ」
「あなたも……イコン?」
「だから……そうやすやすとイコンって言うんじゃねぇよ」
男は面倒臭そうにため息をつくと、頭をかきながら結季奈と向き合った。
「ここはイコンが生まれやすい環境にある。こんだけ人がいるが、どれだけイコンが紛れ込んでるかわからねえ。お前に興味のないイコンならいいが、あの人斬りみたいな奴がイコンについて知ってる奴を見つけたら……わかんねえわけじゃないだろ?」
淡々と話す男の言葉に、結季奈は冷や水をかぶせられたように背筋に悪寒が走ったのを感じた。そうだ。目の前のこのイコンのように一般人に擬態しているイコンだっているだろう。ただでさえイコンについてよくわかってないのに、一般人は知りえないイコンについて知っている、など怖くて言えない。
「え、あ、その……」
「あら、見ない顔ねぇ。いらっしゃい」
主人はそんな結季奈のことなど知らずに呑気に男に声をかける。対して男は陰気に会釈を返しただけだった。
「とにかく、今後ここを訪れるんなら注意するんだな。今まで通りにしてりゃイコンに目をつけられることはねえだろうさ」
男は最後まで無愛想にそう言うと今度こそ店を出て行こうとした。
「ま……待って」
「……なんだよ」
男はさっきより不機嫌そうにふりかえる。
「あなた……シグでしょ? 〝ゼロ・ブレイズ〟の……ほら、あれにでてくる無人機の軍隊の指揮官!」
シグ、結季奈にそう呼ばれたイコンは少し眉をひそめた。センチュリオンや宇琳とは違う反応を示したことに結季奈は少し身構える。
「だったらどうした」
「言いたくないけど……あなた悪役だよね?」
「悪党は信じられないか?」
シグの挑戦的な返答に結季奈は気圧される。だが正直それは本音だ。結季奈は恐らくほとんどのイコンについて知っている。知っているだけに目の前のイコンがシグとなれば、それは警戒しなくてはいけない相手だということも理解してしまう。
シグ──近未来の地球を舞台に繰り広げられる戦争を描いたSFゲームのイコンだ。戦争を止めようと奔走する主人公に対し、無人機で構成された軍隊を一人で率い世界中の軍隊を潰してまわるライバルキャラとして登場した。立場としては悪役ながら、その強烈なキャラクター、深いバックストーリーなどから主人公に負けない人気を博したキャラクター──
ではあるが、そんな彼がイコンとして、月姫らと共に世界を守っているというのは少し疑問が残る。結季奈の記憶が正しければシグとは、彼なりの信念を持ってはいるが、世界を守るなどと言い出すタイプではなかったはずだ。
「まぁ、それが普通だ。正しい判断だよ。オタクだったのが幸いしたな」
シグが笑う。そこにこめられた意味を結季奈が感じ取るにはあまりにも複雑な笑みだったが、とりあえず忠雪から感じたような殺意は感じられなかった。
「別にお前をどうこうしようって気はねえよ。興味もねえしな」
シグは手をひらひらと振りやっと店を出て行った。一人残された結季奈は右手に握られたキーホルダーの感覚だけをぼんやりと感じながら、その場に立ち尽くしていた。