第五十八話:アンタと親友やってンのは楽しかったよ
「……うぇ」
気持ち悪い。そうとしか感じられない。
「……あれ」
ふと、あまりにも唐突に意識が覚醒する。はっとしてあたりを見渡すと、どうやら四つんばいになっているらしい。口元に違和感を感じ手をやると、ぬるりとした感触を手が訴えた。そこで結季奈は床に目をやり、自分が嘔吐していたことに気づいた。
「……うっ」
吐き気に包まれた頭を無理矢理動かし、ゆっくりと立ち上がる。あたりは闇に包まれ先を見通せない。しかしまるで自身が発光しているかのように、自分の周囲だけぼんやりと明るかった。そうして見える足元に目をやると、自分の吐瀉物と、足首まで浸かる程度の水があった。
「……トーマ?」
ふと、名前を呼ぶ。トーマがいない。
「トーマ! トーマ! どこ!」
「ここだよ」
声が返ってくる。反射的に振り返ると、闇の向こうでぼんやりとした光が見えた。
「ようこそEggへ。結季奈なら来ると思ってたよ」
「メアリ……!」
トーマの代わりに返事をしたのはメアリーだった。吐き気に包まれている結季奈とは対照的に、ぽつんと置かれたパイプ椅子に腰掛け、脚を組んで笑っている。
「いやぁかっこよかったよ、月姫ちゃん相手に啖呵切ってんの。めっちゃ良かった」
「あんた……馬鹿にすんのも」
「ああわかったわかった。怒んなってシワ増えんぞ。で? 何? 何しに来たの?」
「……あんたを止めに来た」
「うん。そう言ってたね。ほら、やってみ?」
「……」
「……」
メアリーと結季奈がにらみ合う。こう言ったはいいが、実際結季奈にできることなど何があるのか。
「……ねぇ、聞きたいんだけど」
「うん?」
「あんたにとって……私はなんだったの」
「ふぅん、そうだね」
急に放られた質問に、メアリーはわざとらしく考え込んでみせる。
「利用してただけ。友情も何もないし、ただただ滑稽で邪魔な存在だった……って言えれば悪役っぽいとは思うんだけど」
メアリーが結季奈に満面の笑みを向ける。
「正直、アンタと親友やってンのは楽しかったよ。これはホント。一万何回も出会ったケド、飽きはしなかったかな」
「そっ、か……」
何故か、涙がこみ上げてくる。
「ねぇ、メアリ」
「何?」
瞬間、結季奈が身構える。武器も何もないが、メアリと戦うと決めた覚悟がそうさせる。メアリーはそんな結季奈を笑って眺めていた。これまでに飽きるほど見せてきた笑みを浮かべながら。
しかしそのまま何がどうなるわけでもなく、少し時間が流れた。そうして、ゆっくりと結季奈の構えが崩れていく。
「……」
「どした」
「やっぱり、戦いたくない」
涙が溢れてしまう。メアリーを止めると誓って来たのに、早々に挫けそうになってしまう。その場にへたり込み、メアリーに視線を向ける状態になってしまった。
「……」
「……メアリ」
「残念だけどさ、そういうワケにもいかんのよ」
反対に、メアリーは立ち上がり、結季奈に歩み寄った。
「アンタと友達でいるのは確かに楽しかった。でも……私は、私の世界を作るのに、どれだけの時間を使ったと思う? どれだけ……どれだけ、どれだけどれだけどれだけ……! どれッだけ待ったと思う!? どれだけ苦心したと思う!? そんな簡単に折れるワケねぇだろ馬鹿! ここまで来て、どんな覚悟で来たかと思えば! 戦いたくないだのなんだのって……! 笑わせんじゃねぇよッ!」
一気にまくし立てるメアリー。感情をむき出しにし、聞いたことがない程の声で結季奈を罵倒した。
「……ッ!」
「ああ、そうだ。トーマに会いたがってたね。ほら、あそこにいるよ」
メアリーが指差すと、その先でやはりぼんやりと光が灯る。するとそこに、膝を抱いて座り込んでいるトーマが見えた。
「……トーマ?」
メアリーに指摘された事実から目を背けるかのように、反射的に名を呼ぶ。するとトーマが顔を上げた。不思議そうにあたりを見渡し、今名前を呼んだ者を探し始めている。
「こ、ここだよ! トーマ!」
「……」
やっとトーマが結季奈の方を向いた。しかし、結季奈とメアリーを見つけるとぎょっとしたように後ずさり、恐怖の表情を浮かべ始めた。
「トーマ……?」
「だっ、誰、だ……君は」
「えっ」
結季奈の声から半ば息になっている声が漏れる。
「わ、私だよ! 多摩川結季奈!」
「し、知らない! 君なんて知らない!」
「どうしたの……? 私がわからないの……?」
「やめろ! 来るな!」
「うーわ相当効いてんなありゃ」
背後で声がする。結季奈が慌てて振り返り、距離を取るのと同時にメアリーが視界に映りこむ。先程から一転、また人を食ったような顔に戻っていた。
「トーマに……何したの」
「お、いい顔するようになったじゃん。それよそれ。せめてそういう顔しろよなー。ここにはね、人の心を攻撃する力があんのよ。さっきから気持ち悪くてしょうがないでしょ? そりゃね、心を攻撃されてるから。アンタの心にある傷とか、トラウマとか、そういうのを刺激されてるからなの。で、あいつはそれのダメージがデカ過ぎるみたいだね。人格崩壊、挙動不審、記憶喪失……あれじゃ私を止めるどころじゃないね。まったくあんたらは二人揃って……」
やれやれと首をふるメアリーの前で結季奈は妙な感覚に囚われた。
トーマが、心を攻撃されて弱っている?結びつかない。トーマ・ザ・キッドを苦しめる過去が、彼にあるというのか?しかもあれだけのダメージを与える何かが。少なくとも、彼の原典にそんな設定は無い。
どういう──ことだ?
「あ、気になるって顔してんね」
メアリーが笑う。
「見てみる? あいつの記憶を、心の中を、追体験してみよっか」
「えっ」
「よっし行くよ!」
「ちょっ、待っ──」




