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第五十一話:……そんなことないよ

 ──。

 ────。

 ────────。

 三日。それから、三日が経った。


「……」


 結季奈がカーテンをそっ、と持ち上げる。相変わらず、世界は壊れたままだった。

 あれから一団は神保町の古書店へと無事に帰り着いた。安全地帯ではないが他に行くあても無いため、取りあえず帰ってきた。少なくとも、建物が消えては現れてを繰り返すこの三日間のうちで、今の所異常はない。

 時間が問題を解決する、とはよく言うが、今回の問題は到底時間なんぞの手に負える代物ではない。先の見えない不安、焦燥、絶望──三日前から世界を満たす空気は物理的に悪くなっているが、雰囲気という意味の空気も最悪だった。

 結季奈はカーテンを下ろし、小さくため息をつく。そして部屋の奥にある扉へ目を向けた。同時に、扉を開けてセンチュリオンがのしのしと出てきた。


「センチュリオン」

「あら……結季奈ちゃん。いたのね」


 結季奈に名を呼ばれたセンチュリオンは小さく笑い、結季奈の肩に手を置いた。


「ごめんなさいね。つらいでしょう」

「大丈夫。それより……菜緒ちゃんは」


 センチュリオンは黙って首を横に振った。その反応は予想通りだったはずなのに、結季奈はそれに返す反応に困った。

 センチュリオンはそんな結季奈にこれ以上無理しちゃ駄目よ、と優しく言うと遠慮がちに部屋を出て行った。外を見回りに行くのだろう。この三日間、イコン達は外の様子を探りに何度も出て行っている。忠雪も見つからず、焦りが結季奈にもわかるほどだった。


「……」


 センチュリオンが出て行った後、結季奈は改めて扉の前に立つ。一種の使命感のようなものを感じた。この扉の向こうに居る者をなんとかしてやらなくては。理由も無く、そう思った。

 そしてゆっくりと扉を開く。まず視界に映ったのは無機質なベッド。そこには全身に包帯を巻かれ、堅く瞼を閉ざしたシグが寝かされている。そして──


「菜緒ちゃん」


 隣に置かれた椅子に座り、それを黙って見下ろしている相澤がいた。結季奈に名を呼ばれたというのに一切の反応を寄越さない。


「隣、いい?」


 反応が無い。仕方なく、結季奈はそのまま相澤の隣にしゃがみこんだ。


「ねぇ……こんなこと言うのも、その、あれだけどさ……」


 少しの沈黙の後、結季奈が口を開いた。


「少し、休まない? 菜緒ちゃん、三日もこのままだよね」

「大、丈夫……です……」


 やっと相澤が返事をした。しかしその声は弱々しく、まるでうわごとのような呟きだった。


「駄目だよ……このままじゃ、ほんとに菜緒ちゃんの方が駄目になっちゃう」


 結季奈が相澤の顔を覗き込む。三日間シグの傍を離れない相澤の顔は疲れ切っており、目の下にうっすらくまができている。


「大丈夫……ですから……」


 そんな結季奈の視線から逃れるように相澤が目を伏せる。


「駄目だって」

「……怖いんです」

「え」


 ぽつり、と相澤が漏らした。そのままそっと少し顔を上げた相澤の目には、既に溢れんばかりの涙が浮かんでいる。


「ここを離れたら……先輩が……どこかへ行ってしまう気がして……先輩……私のせいで、こんな……私の……私の……せい、で……ッ!」


 言葉が詰まってくる。同時に涙が零れ、膝の上に置かれた手が強く握り締められた。


「ち、違うよ! 菜緒ちゃんのせいじゃ……!」

「違くないです……! 私のせいなんです……! 私が……! 私が、馬鹿だったから! 私が軽率だったから! 私のせいで……先輩が!」


 ついに相澤は耐え切れなくなり、声を上げて泣き始めてしまった。結季奈は慌てて立ち上がり、相澤を抱きしめる。相澤はそんな結季奈の服を強く掴み返し、ますます声を上げ泣くが、結季奈はどうすれば良いのかわからず、ただ大丈夫、大丈夫と繰り返すことしか出来なかった。

 シグは目を覚まさない。これだけ大きな声で相澤が泣いているのに、その目は堅く閉ざされたままだ。息はしているようだが、相当危ない状況なのはわかる。

 自分のせいで誰かが傷つく──少し前に同じ経験をした結季奈は相澤の絶望が痛いほどよくわかり、それだけに下手なことは言えなかった。


「……ん」


 ふと、相澤の声が止んでいることに気づいた。胸元に目を落とすと、相澤は結季奈の胸に顔を埋めたまま、小さく寝息を立てていた。無理も無い。彼女は三日もこうしていたのだ。どこか空いているベッドへ運んでやろう、と結季奈は優しく相澤を抱え上げた。シグの傍から離すことを少し躊躇ったが、このままにしておくのはもっとまずいと思い、半開きになった扉を開いた。


「……結季奈」


 すると、同時に大部屋へと入ってきたトーマと目が合った。トーマは少し驚いたような顔をしたが、寝息を立てる相澤の姿を認めると事情を察した。


「僕が運ぶよ。僕のベッドでいいかな?」


 少し遠慮がちに言うトーマに結季奈は頷く。そうして今度はトーマが相澤を抱き抱えると、自室へと入っていった。


「ふぅ」


 そんなトーマの姿を見送ると、今度は屋上へと続く階段へと目を向けた。


「……」


 屋上へ出る。やはりそこでは暗い気持ちの悪い色の空、消えて現れ、狂ったように踊る建物、悪い空気が結季奈を迎えた。

 結季奈はそんな光景を眼下に、フェンスへ手をかけた。数ヶ月前にセンチュリオンが取り付けた物だ。

 自分はどうするべきなのか。どうしていればいいのか。あまりにも沢山のことが起こり過ぎ、わけがわからなくなった結季奈はかえって落ち着いており、小さくため息をつくことで自分を表現していた。

 メアリが、イコン。

 その事実はあまりにも衝撃的で、受け入れ難いものだった。


「結季奈?」


 ふと、名前を呼ばれる。振り返ると、出入り口に宇琳がちょこんと立っていた。


「探したよー。ここに居たんだね」

「うん」


 とてとてと結季奈の隣までやってきた宇琳はゆったりとそう言う。いつも通りの物言いであるが、努めてそうしているというのがわかった。


「最悪の空気だねー。あはは……」

「……うん」

「ねぇ、結季奈」


 結季奈が宇琳の顔を見やる。


「宇琳のこと、怒ってる?」

「どうして?」

「忠雪を見捨てたから……あの時、結季奈を無理矢理連れ出したから」

「……そんなことないよ」

「そっか」


 宇琳が顔を上げる。そのままフェンスから手を放し、また出入り口に向かって歩いていく。


「先生が目を覚ましたんだ。後ででいいから、結季奈にも来て欲しいなー」

「本当? いや、今行くよ」








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