第四十八話:すまなかった
「……シグ!」
トーマの叫ぶ声が頭の中にこだました。そしてそんなシグにトーマが駆け寄るのが見えた瞬間、音と速度が帰ってくる。
「近っ……寄んな!」
シグが苦しそうに叫び、腕を振ると小型の戦闘機が牽制するように飛来する。
「先生! シグが!」
「やりすぎたな……!」
月姫が渋面する。
その時、結季奈の頭にシグというキャラクターの設定が思い起こされる。
「そうだ……そうだよ、この場面は……!」
ゲームの画面が鮮やかに思い起こされる。シグの原典、その三作目終盤の場面だ。
シグの無人機転送、及びその操作システムはシグの体と連動しており、脳が発する電気信号をダイレクトに無人機に伝えている、そんな設定があった。多少ならまだしも、一度にあまりにも多くの機体を動かしすぎたせいで脳がショート寸前まで行き、瀕死の重態に陥る場面が──
「くっ、そ……こんな時に!」
「もうやめるんだシグ! このままだと君が!」
「黙れェ!」
自暴自棄。一転してそんな言葉を想像してしまう程痛々しい姿に変わったシグはとめどなく血を流す口と鼻を押さえながらトーマを睨み返す。
そのまま手を上げると彼の背後から五メートルはあろうかという人型ロボットが三体現れた。それらもまるでやけくそだと言わんばかりに腕をふりまわし、トーマに迫る。
「危ない!」
トーマは三体を同時に処理するのことはできないと即座に判断し、結季奈と月姫を庇いその場を脱しようとした。するとそんなトーマを追い越すように忠雪、センチュリオン、宇琳が飛び出し、ロボットに真っ向からぶつかっていく。
刹那、三体の巨人はそれぞれ首を斬られ、腹に風穴が開き、全身がひしゃげてお約束のように爆発四散した。
「うわあああああ!」
そのすさまじい爆風に結季奈がトーマの腕の中で絶叫する。
「危ないッ!」
その中で、トーマが叫ぶ声だけが聞こえた──
***
「……あれ」
静寂は突然訪れた。ほんの一瞬の時間しか経っていないはずなのに、永遠にも近い時間が一気に圧縮され、吹き飛ばされたかのように一瞬前と今の時間が繋がらない。いつの間にか自分を庇うように覆いかぶさっていたトーマは居なくなっており、隣にいたはずの月姫もいなくなっていた。
顔を上げる。場所は移動していない。少し前方にトーマの背中が見えた。
「……シグ!」
思い出したように声を上げ、立ち上がる。すると、目的の相手はすぐに視界に映りこんできた。
「!」
息を呑む。そこには血溜まりができていた。シグはその真ん中に倒れこみ、浅い息をしている。
「……いつもそうだ」
シグが、ゆっくりと口を開く。
「いつも……いつもいつもいつも……目前で奪われる。俺は……何かを掴んじゃいけないのか」
「先輩!」
向こうで声がした。見ると、相澤が叫んでいる。申し訳なさそうな顔をした忠雪に後ろ手を掴まれたまま、その拘束を解こうと必死に暴れていた。
「おい……そいつに何かしてみろよ……お前ら全員骨も残らねえと思え……」
「シグ」
トーマが呟くように口を開いた。
「……ごめん」
「哀れみか」
「違う!」
顔を上げずにシグがそう言う。既に立つこともすらできないはずなのに、周囲に放つ濃厚な殺気はまだ絶えず緊張感を与えており、迂闊には近寄れなかった。
「お前らに何がわかんだよ」
ぽつり、とシグが言う。
「俺だって真っ当に生きたかったさ……だがお前ら、想像できるかよ」
「……」
「全てを一瞬で奪われた幼い子どもの目を。家族を……帰る場所を……そいつをそいつたらしめる全てを奪われた奴に……お前らならどんな声をかける?」
段々とシグの声に感情が見え始める。これは、怒りと、悔しさと──深い、深すぎる悲しみ、か。
「俺には、妹が居たんだ……世界でただ一人の、俺の家族だった」
「シグ」
「俺達は……必死に生きた。生きる為になんでもした。死に目にも、あった……だが……楽しかった。何より、あいつが笑ってくれたのが……俺にはたまらなく嬉しかった」
シグが体に力を入れ、立ち上がろうとする。しかし、地についた腕は体を支えきれず、シグはまた血溜まりの中に転がった。
「シグ!」
「……だが死んだ。殺された。両親と同じように、軍隊にな……偶然戦闘に巻き込まれて、意味も無く。俺は幸せになっちゃいけねんだと、そう思ったよ」
シグが自嘲的に笑う。その乾いた笑いは結季奈の背にまわり、恐ろしく冷たい感覚を走らせた。
実を言うと、結季奈はこれを知っていた。シグの過去は彼の原典で語られるからだ。
だが──深い。深すぎる。この絶望は、救い難い何かが、そこにある。文章で読んだ時にはこれといって強く感じるものがなかった己の白状さに、結季奈は今更ながら吐き気を感じた。
「そんな俺が……イコンになって……初めて……失いたくないと、傍に居て欲しいと思ったのが……あいつだったんだ……!」
またしてもシグが全身に力を入れる。こんどは両腕共に負荷に耐え抜き、上半身が起き上がった。
「お前らに何がわかる! 奪われるばかりで……幸せになれなかった奴の悲哀が! 苦しみが! どうしてお前らにわかるんだ!」
シグが顔を上げる。その表情には未だ闘志が宿っており、強い憎悪の念を振りまきながら目の前に立っていたトーマを睨みつけた。
「あいつは! 俺に答えをくれた……! 奪われてばかりの俺に……! 欲しいものは自分で手に入れるしかなかった俺に……! 初めて、何かをくれたんだ……!」
ひどく荒い息をしながら腕の機械に手を伸ばす。はっとしたようにトーマが腰に手を伸ばすが、銃を抜くよりも早くシグが血を吐き、三度その場に倒れこんだ。
「シグ……! もうやめてくれ!」
「畜生……またかよ……やっぱり俺は幸せになっちゃ悪いのかよ……!」
吐血の入り混じった息をしながらシグがちらと相澤の方へ目をやる。
「……生きてくれてるだけでいいんだ……もし俺のことを忘れちまっても……生きててくれればそれでいいんだ……それすら、駄目なのかよ……!」
それが、シグの本音だった。強くて、無愛想で、孤高な男の胸の内には、誰よりも純粋で、誰よりも切実な思いが渦巻いていたのだ。結季奈は中途半端に腕を伸ばすが、そのまま引っ込めてしまう。
シグに、目の前の男に、何が言えるのか。あまりにも深い絶望感がそこに横たわっている。自分と、シグとの間に、越えられない絶対的な何かが、横たわっている。
「……菜緒」
シグが小さく呟く。相澤が顔を上げた。
「すまなかった」
消え入りそうな言葉が、まさしく宙へ消え入った。
しかしその言葉はありとあらうる障害を越え、まっすぐに、まるで意思を持っているかのように相澤の下へ、彼女の心へ、飛び込んできた。
「……先、輩……?」
相澤がゆっくりと声を上げる。夢から覚めたかのように、おぼろげな視線を向ける。今、シグの声がした。それは、どこから──
「先輩……何……して……?」
視線の先に、血まみれで倒れこむシグが映る。
「……! や、やめて! やめてください! 先輩!」
相澤が叫び、忠雪の拘束を無理矢理振りほどくと、汚れるのも構わずシグの元に駆け寄った。
「先輩……! 先輩! どうして、こんな……!」
必死にシグを呼ぶ。かすかに息を漏らすような返事が返ってくるだけだ。
ふと、相澤は背後に気配を感じ振り返る。そこには月姫が立っていた。
「せ、先生! 先輩が! 先輩が死んじゃいま──」
その瞬間、相澤が目を見開き、青ざめた。今までの自分について思い出してしまったのだ。今の今まで、自分が何をしていたのか。
何故、シグがこうなってしまっているのか。
「……私が……私の……わ、私、の……せい……?」
相澤が二、三歩後ずさりし、その場にへたりこんでしまう。脱力しきったまま、まるで死人のようにゆっくりと振り返る。そこには、変わらず血溜まりの中に横たわるシグがいた。
「先輩……ごめんなさい……ごめんなさい!」
堰を切ったように相澤が泣き出す。血溜まりに倒れこむシグにすがりつくように泣き続けていた。やがて、そんな相澤の肩に手が置かれる。
「相澤、気持ちはわかるが……」
「嫌ぁ!」
「まずは手当てをしなければならん! それに、お前の体内に仕込まれてる爆弾をだな……!」
その言葉に相澤がはっとしたように顔を上げる。
「お願いします! 先輩を……先輩を助けてください!」
「わかってる。任せろ」
「紫乃崎……」
「相澤は誓って助けてみせる。死なせはしない」
「……悪い……」
虚ろな目で月姫を見上げるシグを前に月姫が包帯を取り出した。月姫が医者として活動しているのを結季奈は初めて見た気がした。
「ねぇ、シグ」
結季奈が遠慮がちにシグに声をかける。ゆっくりとシグは視線を上げ、目線で返事をした。
しかし言葉が続かない。なんと言葉をかけるべきか。わからない。わかるわけがない。目の前の男の闇を前に、自分の言葉などどれほどの力があるのか。結季奈はそう感じていた。
「私はさ……あんたの言う通り、その……わかってはあげられない、と……思う」
だが──
「でも、さ。いや……なんだろ、上手く言えないな……」
言わなくては。
「努力するよ。私なりにシグのこと……わかりたいから」
言わなくてはならない。シグがどれほどの闇を抱えていようと、その闇を前に自分の言葉がどれほど軽薄に感じられようとも、言わなくてはならない。
「だから、そんな寂しいこと言わないで。あんたがどんな奴だろうと、私はそれ受け入れるから。それが……えぇと……」
シグという存在の世界にも、私がいる、と、声を上げなければならない。そう思った。
「……多摩川結季奈、だから?」
「……」
シグは答えない。相変わらず微妙な視線を結季奈に向けるだけだ。そしてそのまま、その視線を外してしまう。
「……」
「覚えとく」
小さく、シグがそう返事をした。
「……シグ……」
「そうだヨー、シグは一人じゃないヨー」




